第7話 天敵・佐倉恭子

 僕は授業が終わってすぐに帰宅する。弟であるぼくには色々とやるべきことがあるのだ。

 通学に使うリュックを自分の部屋に置いて、朝に干していた洗濯物を取り込んでいく。

 カラっと乾いた洗濯物をたたんでしまう。

 お姉ちゃんの服もぼくが片づけているため、タンスの中は全て把握している。

 ちなみに下着は一番上の引き出しだ。可愛らしいパンツやブラジャーが並べてある。

 終われば次はお掃除だ!


 掃除が終わって休んでいると、玄関の扉が開く音がした。

 お姉ちゃんが帰ってきた!

 扉の音が鳴ると同時に玄関へとすっ飛んでいく。


「お帰り、お姉ちゃん」

「おう、ただいま」


 嬉しさ全開のぼくに対してお姉ちゃんは素っ気なく返事をする。

 別に冷たい訳でもないし、ぼくを嫌っている訳でもない。

 お姉ちゃんは愛情表現が不器用なのだ。そんなところも大好きである。


「邪魔するね、弟くん」

「げっ!」


 続いて家に入ってきた人物は佐倉恭子。お姉ちゃんの親友である。

 ボーイッシュなお姉ちゃんとは正反対の清楚な美人さんだ。しかもおっぱいがでかい。

 佐倉さんの姿を目にすると、咄嗟に廊下から引き返してリビングに隠れた。

 『お姉ちゃんと一緒にお風呂に入る同盟』を組んではいるけれど、佐倉さんは要注意人物だ。

 突然遭遇すればびっくりしてしまう。

 バクバクする心臓を落ち着かせていると、お姉ちゃんと佐倉さんの会話が聞こえた。


「あ、あれ~? 弟く~ん?」

「警戒されてるな」

「き、嫌われてる……?」

「孝彦は嫌いなやつには笑顔で接するから、多分照れてるんだろ」

「なら良かった」

「……孝彦はやらんぞ」

「顔が怖いよ、お義姉ちゃん」

「おい」

「あはは、冗談だって」


 二人は階段を上がってお姉ちゃんの部屋へと入っていった。

 ぼくはリビングで棒立ちになりながら呼吸を整える。


「ふ、ふぅ」


 ぼくは他人に主導権を握られることが好きではない。

 だけど佐倉さんにはなぜか主導権を奪われてしまう。

 ぼくの天敵だ。




    ◆




 佐倉さんが厄介な相手だからといって、もてなさなくて良い訳ではない。

 お姉ちゃんが友人を家に呼んだならば、それを歓迎するのが弟であるぼくの役目だ。

 お茶とお菓子をお出しするのだ!

 コンコン。扉をノックする。

 お姉ちゃんが一人のときはノックせずに入っても何も言われないけど、今日はお姉ちゃん一人じゃないから、そういうときは勝手に入ったら怒られてしまう。


「入っていいぞ」

「失礼します」


 恐る恐る中に入った。

 白い小さな座卓にお姉ちゃんと佐倉さんの二人が向かい合って座っている。

 制服のまま座る二人の姿は対照的だ。

 お姉ちゃんはあぐらをかいて座っている。短いスカートからパンツが見えそうなのも気にしていない。

 佐倉さんは正座の足先を横にずらした形のお姉さん座りをしている。お金持ちなお嬢様なだけあってキッチリしている。


「ありがとう、弟くん。気が利くね」

「これくらい当たり前でしょ」


 お盆に乗ったお茶とお菓子を机の上に置く。


「久しぶりに会ったのにつれないなぁ」

「いや昨日会ったから」


 佐倉さんに弄ばれる前に撤退あるのみだ。

 部屋から出ていこうとすると、


「弟くん」

「な、なに?」


 佐倉さんが黒い長髪を耳にかけながら、ぼくを呼び止めた。

 雪の様に白いうなじに目を奪われてしまう。


「これ見てよ」


 佐倉さんが鞄からスマホを取り出した。

 お姉ちゃんのスマホとは違って、特に飾りも何もついていないシンプルなスマホだ。

 もしかして、いつものアレか!

 ぼくは佐倉さんへの苦手意識も忘れて横に座る。


「お、おぉ……」


 期待通り、スマホの画面にはお姉ちゃんと佐倉さんのツーショット写真が写っていた。

 コンビニで肉まんを買い食いしたようだ。二人が同じ肉まんの反対側を口にしている。

 お姉ちゃんは恥ずかしそうで、佐倉さんは楽しそうだ。


「お姉ちゃん恥ずかしがってて可愛いね」

「何言ってんだよ、このバカ彦が」

「可愛いものを可愛いって言って何が悪いのさ」

「え、いや……うっせーんだよ、バカ彦!」


 机の反対側にいたお姉ちゃんが、身を乗り出してぼくの頭をチョップする。

 今回の脳天かち割りチョップはいつもより優しい。

 お姉ちゃんは褒められると弱いのだ!


「ねぇ、私は?」

「えっ」

 横を向くと佐倉さんと目が合って固まってしまう。

 まつげがぱっちりとカールしていてお人形さんみたいだ。


「私は可愛くないの?」


 ふっくらとした唇が動いて、艶のある言葉を発する。

 佐倉さんの吐息がぼくの顔をなでる。

 頭がクラクラした。


「どうなの?」

「べ、別に、大したことないし」

「あぁ、可愛い……ねぇ綾乃、弟くんちょーだい」

「なに言ってんだ。孝彦はあたしの弟だっての。恭子には絶対渡さねーよ」

「確かに私は弟くんと姉弟にはなれないけど、夫婦にはなれるよ。弟くん、私と結婚しない?」


 突然のプロポーズにぼくは固まってしまった。

 もちろん本気の発言じゃないだろう。

 そんなことは分かっている。それでも、佐倉さんに結婚を申し込まれて、動揺せずにはいられない。


「あんまり孝彦をからかうな」

「え~、からかってないよ」

「お前も鼻の下伸ばしてんじゃねーよ、エロ彦が」


 今度の脳天かち割りチョップはいつもより痛かった。


「恭子も恭子だ」

「私?」

「恭子がいつもあたしと写真を撮るせいで変な噂があるんだぞ」


 佐倉さんはよく学校でお姉ちゃんと一緒に写真を撮って、それをぼくのスマホに送ってくれる。


「どんな噂?」

「あたしと恭子がデキてるって噂だ」

「へぇ、そうなんだ。そっちの方が男が寄り付かなくなって良いじゃない」

「それは恭子だけだ! あたしは男が欲しいんだっての」


 和服が似合いそうな大和撫子の佐倉さんは凄くモテるらしい。

 よく男どもから告白されて辟易してるという話を聞かされる。

 佐倉さんほどではないが、お姉ちゃんもそれなりにモテているはずだ。


「どこかに良い男が落ちてないかなー」

「ここに落ちてるよ!」


 はい、と挙手する。

 お姉ちゃんはロマンチックだ。

 ドロドロ系ではなく、さわやか純愛系の少女漫画に出てくる王子さまのような男を探している。

 お陰でまだ誰とも付き合ったことがない。

 きっとお姉ちゃんのお眼鏡に叶う人物はぼくぐらいだろう。


「もっと大人になってから言うんだな」


 お姉ちゃんが鼻で笑った。

 ぐぬぬ、とぼくは顔をしかめる。


「弟くんは良い男だよ」

「佐倉さんに言われても嬉しくないし!」

「顔が赤くなってるよ、弟くん」

「うるさい! ぼくはもう出て行くからな」


 ぼくはお姉ちゃんの部屋から逃げ出したのであった。

 やっぱり佐倉さんは苦手だ。




    ◆




 天敵の佐倉さんが帰っていき、晩御飯を食べ終えて、ぼくは食器を洗う。

 もちろんお姉ちゃんの分もだ。

 今日はカレーだったから、臭いが残らないように念入りにお皿を洗った。

 お姉ちゃんはリビングでテレビを見ながら宿題をしている。

 お姉ちゃんの部屋にもテレビは置いてあるけどサイズが違う。55インチの大型だ。


「教えてくれ、孝彦」

「分かった」

 

 苦戦するお姉ちゃんと今日も一緒に勉強する。


「ふぅ、終わった終わった」

「お疲れさま」

「いつもさんきゅーな、孝彦」

「ぼくが好きでやってることだから」

「ったく。お前は本当に自慢の弟だ」


 うひひ。

 頭をワシャワシャと撫でてくれる。

 頑張ってきた甲斐があるってものよ。


「さて、と。宿題も終わったし、風呂でも入ろっかな」

「ぼくも一緒に入る!」

「調子にのるな、エロ彦」


 お姉ちゃんがぼくの頭をチョップする。

 ぼくとお姉ちゃんのいつものやり取りだ。

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