あくがらす天使

異本いのもとイオンの背中にはつばさが生えていた。


広げた真っ白な両の翼は、

長身のイオンの背丈ほどの長さがある。


腰まで伸ばした明るい長髪に青い色の瞳が映えて、

蛍光灯に照らされたベッドの上に立っていた。


黒髪で丸顔の愛蛇あいだ果奈カナは、

ベッドの上に立つイオンを見上げていた。


「何やってるんですか、イオンちゃん。」


カナが呼びかけると、

上を向いていたイオンは言った。


「アタシは大天使イオン。」


天使?」


「大天使。」


自らを大天使と名乗るイオンにカナは尋ねた。


「その翼はどこから生えてるの?」


大天使は素直に後ろを向いて背中を見せた。


白いワンピースの背中には露出して、

そこから羽の根元が見える。


肩甲骨けんこうこつなんですね。」


カナはもうひとつの疑問が浮かんだ。


「それなら尾羽根おばねは?」


「アタシ鳥じゃないから!」


イオンは恥ずかしがって服のお尻を抑える。

カナはしゃがんで中身を確認しようとしていた。


「飛べますか?」


カナは飛行力学的な興味が湧いた。


たとえろうで固めたイカロスの翼であっても、

骨さえあれば滑空ぐらいはできるに違いない。

秋の気温と蛍光灯程度の熱で溶ける心配もない。


それと、中の人が重たくなければ。


「もちろん飛べるわよ?」


イオンは飛んだ。飛んで見せた。

翼をバサバサと前へ後ろへと無意味に動かす。


カナが見た光景は想像と大きくかけ離れていた。


飛んだと呼ぶよりも跳んだ。

ベッドの上で飛び跳ねた。


イオンの部屋に羽毛が舞う。


「これやると怒られるんだよね。

 天井低いしベッドがきしんで

 下がうるさくなるのとホコリが舞うから。」


「大天使なのに繊細せんさいなんですね。」


飛ぶことを止めた大天使は、

世知辛い下界の住宅事情を語った。


「カナにはこれを授けます。」


突然イオンが取り出したのは、

お腹で抱えるほど大きな卵。


「産んだの?」


イオンは両手と両の羽で

顔を隠して照れるフリをする。


「天使はやはり鳥類でしたか…。」


生暖かく重い卵を抱える。


そこでカナの目が開いた。


見慣れない天井に、

隣で小さな寝息が聞こえる。


イオンの寝顔が真横にあり、

両の腕がイオンの大きな胸に圧迫されている。


イオンは冬虫夏草とうちゅうかそう菌にでも寄生されたかのごとく

養分ようぶんを奪いふくれているお団子頭があった。


静かに寝ている顔は天使に見えないこともないが、

イオンは天狗のような存在感がある。


白く柔らかな大きな手をひとたび動かせば、

なにもない所につむじ風を巻き起こす。


会長であり品行方正ひんこうほうせい容姿端麗ようしたんれいなイオンが、

問題児として取り扱われることはまずない。


問題を起こすのは決まって

イオンに振り回された周辺の人々である。


ふたりで寝ていた布団を畳み、

イオンのパジャマをめくって背中を見た。


不思議な夢であったが

それはあってないような内容で、

カナは自分の行動理由すら忘れかけて

寝癖ねぐせ頭をかたむけ寝ぼけ頭でつぶやいた。


「堕天使?」


背中がはだけたイオンは

肌寒さに寝たままパジャマを戻し

枕に顔を伏せてうなる。


早く起きたカナは

昨日の球技大会での筋肉痛に耐えながら、

キッチンを借りて朝食を作ることにした。


溶き卵に牛乳と砂糖を加え、

4分割した食パンをひた

バターを敷いたフライパンで焼く。


少し遅れてイオンも起きて、

ふたりはテーブルに着く。


テーブルの上には大皿に盛った

黄金色のフレンチトースト。

それとコーヒー。


「カナが作ったの?」


一宿一飯いっしゅくいっぱん恩義おんぎです。」


任侠にんきょうの世界じゃあるまいし。

 あ、アタシもカナの家に泊まったら作ろっか?」


「イオンちゃんはダメ。

 恩をあだで返すタイプでしょ。」


「なんでそんなひどいこと言うの…。」


「これはイオンちゃんが作ってって言ったから。」


「んー…アタシそんなこと言った?」


ほろ苦いコーヒーにイオンはまゆゆがめ、

牛乳と砂糖を注ぎ足す。


「お告げがありまして。」


「ヤタガラスでも夢に現れたの?」


「自分で神話の神様扱いしないでください。

 近いものはありますけど。

 なんと天使の――。」


「あっ! ちょっと! なんで知ってるの?」


「楽しみにしてますよ、演劇部。」


カナから目をそむけてうつむき、

色白いイオンの耳は真っ赤に染まる。


「…いったいどこでその情報を?」


文実ぶんじつの手伝いに来てた1組の委員長さん。」


「あぁ…。」


イオンは嘆息たんそくをもらして弁明べんめいを考える。


カナは文化祭実行委員ではないものの、

書記長の手伝いをしていたことを

イオンはすっかり忘れていた。


「違うのよ。アレは。

 アレはあくまで助っ人だから。

 チョイ役だから、ね。

 わざわざ見に来なくても良いから。」


ついつい早口になって手が空を舞うイオン。


「はい。なので

 文実に録画のコピーもお願いしました。」


「くっぅ…。」


カナは書記の肩書きを利用して文実を手伝い、

自らそのコネを利用した。


カナの手伝いをしたイオンは、

墓穴ぼけつを掘ったことに気づいた。


「不覚だわ…。」


「ですが知ったのが昨日なので、

 残念ながら行けませんけど。」


「そう! ホント?」


イオンは表情を明るくした。


「クラスの出し物を

 担当する時間と被ってました。」


「カナのクラスって。」


「呉服寫眞しゃしん館です。」


普段着ない晴着などを持ち寄り

店員となるカナたちが着飾り、

来場したお客さんに着付けをして

インスタントカメラなどで撮影する。


「大丈夫? 風営法に引っかからない?」


「いかがわしい店じゃありませんよ。」


「アタシもカナに会いに行くね。」


「イオンちゃん、その時ステージですよ。」


「あぁ、そうだった…。もうっ…。」


イオンは再びテーブルに伏せると、

嗚咽おえつをこらえて下唇を強くんだ。


「ステージ終えてイオンちゃんが

 天使の格好で来店したら、

 わたしが対応しますよ。

 異臭会長はクラスで人気者ですし。」


「今、異臭って言った?」


「言ったません。」


「どっち? いや待って! アタシ、

 あの衣装で舞台移動するのはつらい。」


「一緒に記念撮影しましょう。」


「うーん。カナがそこまで言うなら…。

 それでカナはなに着るの?」


イオンの質問に、

眼鏡の奥でカナの目元が小さく笑う。


上下黒色のスウェットに黒手袋、

更に頭までおおうフェイスマスクをして、

矢印状の2本のツノと尻尾を生やした衣装。


カナの手には身の丈ほどの長さがある、

黒く塗ったフォークのようなヤリを持っている。


「虫歯菌の悪魔。」


中学生時代に近所の幼稚園での職業体験で使った、

遊戯ゆうぎ会の衣装をカナは接客用に準備していた。


天使と悪魔のふたりは並んで写真撮影した。

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