第十八話

 ソレからは、ある意味情けない話ではあるが……あっという間だった。


 まひるはその驚くべき行動力で、大学の友達からその友達の友達に至るまで、手の届く人脈全てにチャット等で情報を流し、お願いしてから三日ほどで、見事全ての猫の里親を見つけることに成功した。


 今日はその里親へチビ共を受け渡す為、講義が終了した大学のキャンパスにお邪魔している。


「よかったです……よかったですよ……」


 リライは朝から泣きっぱなしだ。勿論喜びの言葉を口にしてはいるが、半分は惜別せきべつの涙に違いない。


 今もまひるとリトラに頭を撫でられながら、里親さんにくれぐれもよろしく、と涙をいっぱい流して、自らの手でキャリーケースを渡している。


 少しでも気を張ったまま頑張れるように、と弟のリトラを傍らに置いているのだが、効果のほどは疑わしい。


 本来ならリライが果たさんとしているその役目は、俺が背負おうと思っていた。


 だがリライが自分から申し出たのだ。自分の我儘で抱え込んだ子達なのだから、その手を離れる最後の瞬間まで自分が受け持つべきだと。


 ……俺まで泣きそうになった。


「……偉いね。リライ」


 頑張るリライを少し遠目に眺めていたら、不意にくるりが声を掛けてきた。


「ああ……結局俺は、大したことしてやれなかったな」


「そんなことないと思うけど。ソレ言ったらボクの方が──」


「お前は元々関係ないのに手伝ってくれただろ。ご飯作ってくれたし、世話だって。俺は……兄貴なのに何もしてやれなかった」


「…………」


「…………」


 泣きながら二匹目の里親さんへキャリーケースを渡すリライを、二人で黙って見つめる。


「お前の言う通り、さ……偽善なんだよ。多分あの時猫の鳴き声が聞こえて、猫を目の当たりにしなかったら、何とも思わなかった」


「…………」


「殺処分に遭っている猫がいる、なんて聞いても俺は眉一つ動かさなかったろうな」


「…………」


「でも見ちまった。そしたら今度はあの箱ごとゴミと一緒に収集車に放り込まれて潰されちまうって、想像しちまった」


「…………」


「ソレでも俺一人だったら何もしなかったかもな。すげー疲れてるとか、明日早いからとか、自分のキャパを越えてるから、ってパスするかもしれない」


「じゃあ何で?」


 くるりが、こちらを見ないままぽつりと呟く。


「リライがいた。リライには、あいつにだけは大好きな猫がそうやって死ぬんだって思わせたくなかった。アキーロはソレを分かってて見殺しにしたんだ、って思われたくなかったんだよ」


「…………」


「妹の前で、カッコつけたかっただけの偽善者なんだよ」


「いいんじゃない?」


「……あん?」


「正論っぽく聞こえる話をするだけで、何もしないボクよりはマシだったろうし……」


「…………」


「……ボクよりはずっとカッコよかったよ。おじさ──」


「…………」


「──秋色さんは」


 俺は驚いてくるりの方を見た。


 くるりは意識的にこちらを見ないようにしていたようだが、その頬は少し赤くなっていた。


「……さんきゅ」


「どういたしまして。ところでさ」


「ん?」


「ソレ、伊達眼鏡なんだよね」


「……? うん」


「どうして視力に問題がないのに、伊達眼鏡掛け続けられるの? 邪魔じゃない?」


「……最初は気になったり邪魔だったけど、慣れたよ」


「……何か、掛けてる理由あるの?」


「前髪が目に入らないようにするのと、目付きが悪いのを少しでも隠す為。ソレと……安全装置」


「安全装置?」


「こうやってレンズ越しに色んなモノを見てると、スコープ越しに世界を見る狙撃手のように、主観だけでなく第三者視点で落ち着いたモノの見方ができるような気がするんだよ……って、伊達眼鏡掛けてる誰かに言われたんだ。ソレを真似してるんだよ」


「……へえ」


「短気だからな、俺」


「ボクも……眼鏡をしたら、色んな視点からモノを見れるようになるのかな?」


「……試してみるか?」


 そう言って俺は眼鏡を外して、くるりに差し出す。


 ……あ、もしかしておっさんの脂でヌルヌルの眼鏡なんて嫌だよ、て言われるかな?


 しかしくるりは無言でソレを受け取り、自分に掛けた。


「……よく分かんない」


 そう言ってこちらを見るくるり。


「……でも、目ぇ逸らさなくなったじゃん。前は逸らしてたのに」


「……アレ? あは……本当だ」


 そう言ってくるりが表情を崩す。


「……!」


 やった……笑った……!


 笑った……! ……よっしゃ!


 俺はようやく、ようやく……ずっと見てみたかった年相応にはにかむくるりの顔を見ることが叶って、人知れず拳を握り締めていた。


「ソレ……やるよ。お前も手伝ってくれたからな。報酬」


「え……い、いいよ」


「遠慮すんな。家に帰りゃまだいっぱいある」


「じゃ……じゃあ、もらっとく」


「おう、そろそろ行くか、リライが限界っぽいしな」


 そう言って俺とくるりは、最後のキャリーケースを手渡そうとしているリライへと歩み寄って行った。


「……こちらが最後の里親さん。ここの大学の職員さんの──」


 そう言ってまひるが紹介する女性へと、俺も視線をやる。


「──です。よろしくお願いします」


 ……そこで、その名前を聞いたとき、俺は実に奇妙な感覚を覚えた。


 聞き覚えは……ないはずだ。


 いや、おそらくだが。


 見覚えも……ない、と思う。


 コレもおそらくだが。


 いや、そんなことはないのか?


 ……分からない。


 コレは……既視感?


「……っ!」


 首をブンブンと振る。


 正体不明の感覚はとりあえず無視して、今は妹の支えにならなければ……!


 俺はリライの方を見る。


「最後の仕事だ……頑張れ、リライ」


「頑張れ、リライ」


「頑張って下さい、姉さん」


 俺とくるりがリライの両肩に、リトラが背中にソレゾレ手を置く。


「はいですよ……ぐす、元気でやるですよぉ……ミャーコ」


「はいっス!」


 …………。


『……え?』


 俺と、くるりと、リトラと、リライが同時に声を上げた。


 声を上げ、その声の主へと視線をやる。


 言っておくが、猫がリライの声に返事をした……などということではない。


 声の主……即ち、里親である大学の職員である女性だ。


「あ、その……すみませんっス。その……ミャー子って……つい、呼ばれたのかと思って返事しちゃいました」


 少し照れくさそうにそう言う彼女を見て、俺は確信した。


「え……と、失礼ですが……もう一度、お名前を窺っても?」


 根拠なんかない。だけど間違いない。


「はい。都優美穂みやこゆみほです」


「都……優美穂さん」


「はい。彼からは『ミャー子』って呼ばれてて……その、さっき思わず返事を……」


 俺は……この人を知っている。


「アレ……アキーロ、眼鏡どーしたですか? て、アレアレ……くるりがかけてるですよ」


 その時の俺は……胸にしがみついてきたリライの頭を撫でてやることすら、頭から抜け落ちていた。


「あー……その、秋色さんに貰ったんだ。えー、と……安全装置」


「安全そーち?」


「あー……んとね、『伊達眼鏡でもレンズ越しに色んなモノを見てると、スコープ越しに世界を見る狙撃手のように──』」


「『──主観だけでなく第三者視点で落ち着いたモノの見方ができるような気がするから』……っスよね。分かります! ウチもゲーム用の対ブルーライトの伊達眼鏡だけど、そう言って掛け続けてるっス!」


「……え」


 くるりが不思議そうに、彼女と俺の顔を交互に見る。


 間違いない。


 どうして忘れていた?


 どうして彼女を忘れていられた?


「……兄さん?」


 リトラが不思議そうに俺を見ている。


「……っ」


 当然だろう。大の男がいきなり泣き出したのだから。


「だ、だだだ、大丈夫っスか!?」


「あ、アキーロ?」


「秋にぃ!?」


「秋色さん?」


 その場にいる全員が驚いた顔でこちらを見る。


「ぅ……くっ!」


 分かっていても、俺は涙を止めることができなかった。


 コレは、彼女を忘れていた自分への呆れと、再会することができた喜び。


 何より、彼女への感謝で!キャパオーバーになった俺から溢れた涙。


 ……間違いない。


 彼女は、俺が伊達眼鏡を掛ける理由になった人物。


 そして、失意と絶望から暗闇のどん底にいた俺を救い出してくれた恩人──


「……優美穂」


 ──都優美穂、その人だった。

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