第十話


 時計の短針が真下を指す頃、俺はまひるとの秘密基地であった裏山に来ていた。


 昔は獣道だったのに今はしっかり舗装されていて、公園になってしまっている。こんな田舎の山の上に公園を作ったところで利用者などいないだろうに。税金対策か?


 何故俺がこんなところにいるのかというと、まひるに会いに半田家を訪ねたのに、あいつはまだ帰ってなかったからだ。上がって待っていたらと言われたが、用件はあってない様なモノだったので、時間を潰してからまた来ると伝え、ここに来た次第である。


 しかし、子供の時はとても遠い場所だと思っていたのに、今はまるで大した距離に思えないから不思議だ。歳を取ったからなのか、ロクに道を知らなかったからなんだろうか。


 ……いつの間にやら快速電車が停まるようになっちゃって、今では電車で数十分。


 会いに来ようと思えば、簡単に来れる距離だったんだな。


 ……なんで俺はもっと来なかったのだろう。


 俺がしみじみ思いながらちょっと薄暗い山道を歩いていると、目の前が拓けて少し大きめの、けれどロクに遊具のない公園が見えてきた。


 時間潰しにここに来たのは失敗だったかな。またあの薄暗い道を一人で歩いて行かなきゃならんのか。ちょっと不気味でやだな。昔まひると遊んでいた時はまるで気にならなかったのに。


 そう思いながら俺は公園の奥、町並みが見下ろせる柵の前まで歩を進めている途中で、柵の手前に人影があることに気が付いた。どうやら女子学生だ。


 白い夏用のセーラー服に紺のプリーツスカート、肩まで伸びた髪。こんなとこに一人で……何やってんだ?


 ……まさか、飛び降り?


「……あ」


 こちらに気づいた少女が声を上げる。ここからではその表情は窺えない。


「……秋、にぃ?」


「……え?」


 ようやく少女の顔がハッキリ見える。その少女は過去、そして現在での従妹の面影をはっきりと浮かべたその顔で、こちらを不思議そうに見ていた。


「……まひるか?」


《ふへっ? コレがまひるですか? アキーロの……従妹》


 リライの声が聞こえる。親戚とか従妹とか、こいつには不思議な感覚なのだろう。


 ……しかし驚いたな。ふらっと来た元秘密基地の一つに、偶然目当ての人物がいるなんて。


「な、何してんの?」


「ソリャこっちのセリフだ。何してんだ、こんなとこで」


「……別に。何となくまだ家に帰る時間じゃないな~って」


 そう言ってまひるはぷいっと夜景に視線を戻してしまった。その表情は窺えない。


「……秋にぃは?」


「……え、俺? 俺は……まぁ、俺のことはいいんだよ。ソレより、こんな時間にこんな人気のない場所にいたら危ないだろ」


「大丈夫だよ。ちょっと夜景が見たい気分だったんだモン。キレイな景色じゃないけど」


「あー……何だ。悩みでもあるのかい?」


 俺は胸がざわめくのを抑えながら、努めて何てことない風に聞いてみた。


「別に。何となくそういう気分だっただけ」


 ……そう簡単にはいかないか。そもそもホントに何となく夜景がみたい気分だったってことも充分あり得る。


 大体誰だって悩みがあったりメランコリーな気分になったりすることくらいあるさ。人間だモノ。


 イチイチ過敏に反応し過ぎなんじゃないか、リライ? そして俺。


「てゆーか、久し振りだったのによく俺だって分かったな?」


 俺は気になって質問してみた。俺は現代で変わり果てたとはいえ一応まひるを見てたので何とか分かったが、普通いきなり夜の公園に現れた高校生が従兄だと分かるモノだろうか?


「だって全然変わってないモン。相変わらず悩みなさそうな顔にメガネが掛かっただけじゃん」


「何だと? お前、俺だって初めてお前と会った頃から悩みくらいあったさ。知らんだろうが」


「へー。ドレ? 漫画家になるって描いた落書きを春にぃに嘲笑されてヘコんだこと? ソレともお姉ちゃんのお風呂を覗いてるのを本人に見つかって、口止めにパシリにされてたこと?」


 まひるは景色に向けていた顔をようやくこちらに向け、にひ、と意地悪く笑った。


「な、な、な、なんでお前がソレを知ってるんだよ! てことは、マヨねぇぇぇええ!!」


「自己解決できたじゃん」


《アキーロ、じこかいけつって何ですよ? あと何でお風呂覗くですか? 一緒に入れば――》


「違うんだ。アレは外から見たら窓からすごい煙が出てるように見えたから火事だったら危険だと思った正義感からであって決していやらしい目的で覗いたワケでは――」


 俺はリライの声を完璧に無視して捲くし立てた。年下に恥部を知られるのがこんなに屈辱だとは……!


「何口パクパクさせてんの? 秋にぃって八歳の時から変態だったんだね。分かってるって」


「全然分かってないっ!!」


 そうだった。ここじゃ嘘が相手に聞こえないんだ。不便なこと極まりない!


「まぁしょーがないんじゃない? お姉ちゃんキレイだモン。女の子って感じだし」


「……お前も」


「……え?」


「お前も今は一目で女だって分かるな。髪も伸びたし」


「……別に、こんなの……ただ何となく伸ばしてるだけだよ」


 そう言ったまひるの表情が暗くなる。やっぱりコレが禁句だったのか? またやっちまった。


「まひる」


「……何?」


「実を言うとだ。俺はお前を探してたんだ。さっきお前んちにも行って来た」


「え、何で?」


「運動不足の解消に付き合って欲しくてな。お前なら適任かと」


 そう言って俺は肩に引っ掛けていたバッグから二つのグラブと軟式ボールを取り出した。


「え? 何でまひるなの。友達とやればいいじゃん」


「停学中の上、彼女とイチャこいてたり忙しいんだってよ。ソレに」


「ソレに?」


「男は陰で努力するモノなのだ」


 そう言って俺はひょいっとグラブをまひるに投げて渡し、勝手に距離を取った。


「努力? ちょ、まだまひるやるって言ってないじゃ――」


「うりゃっ!」


 まだ何か言い掛けていたまひるを無視し、俺はボールを放った。ソレは、ひょろひょろと情けない放物線を描いて、まひるが急いで構えたグラブに納まった。


「――秋にぃ、ださ。投げ方もオカマみたい」


「だから友達とできないんだよ! 球技大会でもボロクソに言われたわ!」


「あはは、ナルホド。じゃあ、特訓だね! 付き合ってあげるっ!」


 そう言ってまひるが返球してくる。俺の投げるボールより何倍も鋭い。グラブがスパーンと小気味いい音を立てる。


「どわっ! やっぱお前すげーな!」


「秋にぃが情けないだけだよ。昔から運動オンチだったモンね」


「いやいやソレを差し引いてもお前すげーよ。その辺の男より強いって」


「……そっかな?」


「あぁ、男子に混じってやってもイケるって」


「…………」


「……どした?」


 いきなりまひるが無言になったのと、何となくだが投げるボールから覇気が感じられなくなったのに気づいて、俺は返球しながら質問する。


「ちょっと前からね、友達だった男子がよそよそしいんだ。ケンカもしなくなったし、ひどいこと言っても言い返してこないし……」


「ソレは……当たり前なんじゃないか? むしろ女として意識されてるんだからいいじゃん」


 俺にも女子を女子と意識してない時期があったな……小学生の頃、クラスの女の子を泣かせたら親父にマジギレされたんだ。今ではそんな自分の行いを後悔してたりもする。


「まひるは……何かやだな。男子と遊んでる方が楽しかったのに。だって女子って根に持つしドロドロしてるし、怒るポイントが意味分かんないし」


 ……ソレって、充分悩みなんじゃないか? やっぱり悩みあるんじゃないか。


「大体すっきりしないんだよね! 男なら文句言い合って殴り合ってその日には前より仲良くなったりするのに、女子は長いし回りくどいし味方集めに走るし――」


「……だから、夜景見てたのか?」


 俺はいつの間にか額に浮かんでいた汗を拭ってそう質問した。


「……ソレはカンケーないモン。そういう気分だった……だけっ!」


 まひるは愚痴っていたのが恥ずかしくなったのか、少しバツの悪そうな顔で唇を尖らせる。ソレからしばらく俺達は無言でボールを往復させた。


「何だよ。黙んなよ。もっと愚痴っていいぞ。どっかで吐き出さなきゃ爆発しちまうぞ」


「だって……何か女々しいじゃん」


 思わず俺は吹き出してしまった。面白いジョークだ。女のまひるが『女々しい』だってさ。


「別にカッコ悪いことじゃねーだろ。愚痴って本心じゃん。愚痴られるのって結構嬉しいんだぜ? 相手にも依るけど。本心を曝け出してくれてるんだな、って、安心しねぇ?」


「……本心」


「そうだよ。こいつは俺を味方だと思ってくれてるんだな、ってさ」


「……味方」


「おう。ソレに誰だって愚痴りたいことくらいあるさ。例えば俺は親友が彼女とラブラブで遊んでくんねー、俺は何で彼女できねーんだ! とか女の身体ってどうなってんだ! 女には性欲ってねーのか! 何で男から誘うのが常識になってんだ! とかな」


 あと同居人が常識なくて困る、とか就職しないでこんな歳になっちまったー、とか。


「超個人的な愚痴じゃん! キメーんだよ!」


 まひるが怒鳴り声と剛速球を返してくる。


「危ねっ! コラ! 女がそういう口の利き方するんじゃねー!」


「そっちが気持ち悪いことばっか言うからじゃん!」


「まだまだあるぞ! お前らが必死に金かけてるネイルとかの価値が全く分かんねー! とか何で水着は見せたがるクセに同じ面積の下着は見せてくれねーんだ! とか冬だからって脇毛の処理をしてないのを発見した時の男の絶望感を考えろ! とかな!」


「キモいキモい超キモい! 死ね!」


 的確に顔面を狙ってくるまひる。取り損ねたら鼻が潰れそうだ。


「だから悩みがあるんなら愚痴っちまえって! あとそんなに足上げたらパンツ見えるぞ!」


「ちゃんと下に短パン履いてるモン! てゆーか、中学生をそういう目で見るなロリコン!」


《ふへ? アキーロ、ロリコンって――》


「そう言えば何故ブルマーは廃止になってしまったんだろう。その価値に気づける歳になった時にはソレはなし。『親孝行したい時に親はなし』に似てるなコレぐはぁっ!」


 またまたリライを無視して感慨に耽っていると、とうとうまひるの放った剛速球が顔面に直撃して、俺は前のめりに倒れこんだ。


「いい加減にしろ! この変態!」


「何をそんな怒ってんだお前は……生理か?」


 俺が怒気を露にしながら近づいて来るまひるに、顔だけ上げてそう問うと――


「……っ! バカじゃないの! 変態!」


 ――顔を真っ赤にしたまひるがトドメとばかりにグラブを投げ付けてきた。もしかしてビンゴだったのだろうか?


「もう帰るっ!」


「あ~待ってくれまひる。秋にぃこの道一人じゃ怖いんだ~」


「知るかっ! 痴漢が襲われるワケねーだろ!」


「あはは、ひどいなおい。よかったら明日も付き合ってくれ! ここで待ってるから」


「……バカじゃないの」


 そう言ってまひるは行ってしまった。うーん、ちょっと素を出し過ぎたか。


「リライ」


《はいですよ》


「やっぱあいつ悩みあるっぽいな」


《ほへ、そーですか? 自分にわよく分からねーですよ》


 ……聞いた相手が悪かったか。


「しかし、あんな怒鳴れるヤツが誰かを殺したり自殺したりするとは思えないんだけど」


《分からねーですよぉ。アキーロ、たまに結構傷つくこと言ーますですし》


「何で俺なんだよ」


《いや何となく。味方だと信用してた人の何気ない一言で、きょーきに走る! とか》


「どこで覚えたんだそんな言葉。悩みはともかく、命を殺める云々はガセだと思うがねぇ」


《だから知らねーですって。上がそー言ってるですよ。下っ端の自分わ従うのみですよ》


「ふーん。とりあえず帰るか」


《あ、アキーロ》


「ん? 何だ?」


《何でまひるわ生理って言われて怒るですか?》


「…………」


《だって生理現象わ人間が子供を作る為に必要なことであって恥ずかしがることでわ――》


 俺にとって悩みの一つであり、そして当面の問題である相棒の羞恥心のなさをどうしたモノかと思案しながら、俺は帰路に就いたのだった。

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