第一話

 車の窓から見渡すは、一面の田んぼ道。


 もっとも今の時期は青々としたモノでなく、枯れ草で冬色に染まっているが。


 高校の時まで過ごしていたこの田舎の風景に、どこか感慨深いモノを感じるのは俺が歳を取ったからだろうか。


 違うな。今のアスファルトに囲まれた生活で、知らず知らずの内に心が渇いていたのかもしれない。


 俺は戸山秋色とやまあきいろ。二十五歳。視力には全く問題はないがせめてものオシャレとポリシーとして伊達メガネをしている、まだ穢れを知らぬ童貞だ。


 昔は目標に邁進する夢追い人だったんだが、夢破れて今はフリーター生活だ。


 さて俺のことを語る上で、いきなりここから胡散臭い話になるんだが、頭がおかしくなったワケじゃないから安心してくれ。


 信じてくれたら嬉しいんだが、信じられなくても不思議じゃない話だとは自分でも思う。


 先程も言ったように、俺は夢破れてアルバイトで生計を立てている。そんな平凡に生きるしかないのか、とやさぐれていたクリスマスイヴ。俺の元にある奇跡が舞い降りたのだ。


 いきなり俺の部屋の呼び鈴を鳴らし、俺をぶん殴って昏倒させた隙に部屋に上がりこみ、挙句に『あんたもーすぐ死ぬですよ』なんて抜かす銀髪、碧眼の少女が訪ねて来た。


 彼女が言うには死後の世界というモノがあって、そこでは生前に自分と同等、またはソレ以上の命を殺めた者は、償いを終えるまで輪廻転生の輪に入れない、だそうだ。


 そしてこの先の人生で自らの命を絶つ予定の俺に、どうせ生きてても仕方ないんだからさっさと死後の世界に来て償って次の人生始めろ、などととんでもないことを言い出したのだった。


 当然自分が自殺するなんて信じられない俺は、コレでもかってくらいにゴネまくった。


 しかし誰も知らない俺だけの秘密を知っていたりと、話を聞くにつれ、まだ事態が飲み込めないながらも、彼女が頭のおかしいサイコ女ではなく、非現実的な能力を持った罪人を浄化する執行者なのだと理解してしまった俺は、半ば強制的に死後の世界に連行されそうになった時、不覚にも『童貞のまま死にたくない!』と叫びまくってしまった。


 そこで彼女は俺を過去の、中学二年生だった時代に送る。その時ならまだ俺のことを好きな女の子がいるはずだから、そこで初体験でも何でもしろ、という言い分だった。


 そう、償いとは、過去に戻って誰かが命を殺めるのを未然に防ぐ、というモノだったんだ。


 そうとは知らなかった俺は大変驚いたが、今までの記憶を過去に持ち越せていることへの喜びの方が大きかった。


 何せこの時の俺は、少し前に中学の同窓会の席で『あたし昔あなたのこと好きだったんだよ』なんて言われたばかりだったからな。


 つまりその娘にアプローチすれば俺の童貞脱出は確実だ! なんて、この時の俺は思っていたのだ。


 ここで上書きすれば当然現代の俺も経験者っつー寸法だ。だから俺はこの『上書き』というチャンスを与えてくれた銀髪の少女に感謝の意を込め『リライ』という名前を付けたんだ。


 あくまで便宜上だし、長い付き合いになるとは思ってなかったからな。


 カンのいい方は既にお気づきでしょーが、今現在の俺は童貞です。


 と、いうことは、はい。『俺を好きなあの娘をオトして童貞脱出大作戦』は見事に失敗したのです。はい。


 そう、『あの娘は俺のことを好きだった説』はガセネタだったんです。


 ソレどころか彼女は俺の親友である井上宗二いのうえそうじのことが好きだったというダブルパンチ。酒の席でお世辞を言ったのか、ラブでなくライクだったのか、真相は闇の中です。


 今になって――


「おい! お前俺のこと好きだったなんて嘘じゃねーか! 違ったぞ!」


 なんて言っても頭のおかしいヤツだと思われるのが関の山だからね。


 まあそんなワケで死後の世界への連行と引き換えにしてまで敢行した作戦にまでも破れた俺は意気消沈の極みにあった。


 そんな時、中学校の屋上で俺は彼女に出会ったんだ。


 彼女の名前は久住優乃くすみゆの。俺の一つ先輩でフォークギター部に所属していた彼女は、二週間後に迫っていた文化祭でのギター演奏の発表に向けて、屋上で個人練習をしていたのだ。


 何となく練習に付き合うようになって一緒に過ごす内に、俺は彼女を好きになっていった。


 そして文化祭前の最後の休日、俺は勇気を振り絞って彼女をデートに誘った。


 まさかのOKをもらい、ネズミの王国にて夢の様な時間を過ごした後、帰り道の電車で俺は彼女に告白する。


 そして休み明け、文化祭までの残り僅かな先輩と過ごせる時間に胸を高鳴らせ学校に来た俺を待っていたのは、下駄箱に入っていたMDと、先輩が学校に来ていないという報せだった。


 ソレから一日、二日経っても先輩は学校に来なかった。そんな時、鞄に仕舞い込んだまま忘れていたMDのことを思い出し、ソレを聴いた俺は――


 ――ファークギター部の顧問と交際していて、一方的に別れを告げられた彼女が文化祭当日に自殺して、出会い方は違えど今と同じ様に彼女を好きになっていた過去の俺がその記憶を閉じ込めていたことを思い出した。


 そして、本来の俺は、今よりずっと先の未来に、実家に仕舞い込んでいたMDを聞き、先輩のことを思い出した時、自ら命を絶つのだと分かってしまったんだ。


 最大の幸運はリライのおかげで、俺はまだ取り返しのつく段階で彼女のことを思い出せたことだろう。結果、俺は友人達の協力の元、優乃先輩の自殺を阻止し彼女に生きる希望を与えることに成功したのだから。


 そしてコレは本当に計算外の幸運なのだが、『久住優乃の自殺』という『戸山秋色の自殺の原因』を取り除いた俺は、偶然にも晴れて無罪放免となったのだった。


 あのクリスマスイヴに大人になった優乃先輩の姿を見た時は、涙が止まらなかった。


 そんなワケで、俺は今も彼女のいるこの世界で生きている。


 そんで任務完了、というか任務消滅したリライに今生の別れを告げ、彼女は元の居場所へと帰って行った……と思ったら、つい三日程前、再び俺の前に現れ、とんでもないことを言い出したのだ。


 ソレは一度に二つの罪を浄化した俺の腕を見込んでだそうで、コレからもリライの仕事を手伝え、といったモノだった。


 驚いたモノの、リライへの恩もあったし、断ったら二度と来ないとか言うし、ソレに俺自身面白そうだな、なんて思わないでもなかったので、こちらの世界に留まりながら、といった条件付きで、俺は押し掛け相棒のリライと暮らすことになってしまった。魔が差したってヤツだ。


 正直、その時はいくらリライが常識のない少女とはいえ、こんなに大変だと思わなかったんだ。


 過去に戻った時に優乃先輩とのデートで行ったネズミの王国に連れてけ、と引っ張り出されるわ、現地でエライ気に入った猫の刻印の入った懐中時計を買わされるわ、ソレを買ってる隙に猫の着ぐるみに付いていってしまって迷子になって泣き喚くわ、挙句の果てに帰る頃には興奮し疲れて寝こけるリライをおんぶするハメになるわ、とんだ一日だった。


 迷子になったから今後彼女の居場所がすぐ分かる様に、というワケでもないが、懐中時計だけでなくリライは今、鈴付きの首輪をしている。


 本当はブレスレットなのだが男性用の大きいサイズしかなくて、ソレが彼女の細い首に丁度よかったのだ。しっかり名前も彫ってある。


 お前はドラ●もんか! と思ったが、本人はやたら気に入ってるみたいなのと、その時の俺にはもう反対して取り上げる気力が残っていなかったので、そのままだ。


 まあこの日の話はまた機会があれば話すからさ。今は先に進ませてくれ。


 で、なんで今俺は車に乗って田舎道を走っているのかというと、だ。


 正月明けの忙しい時期が終わった俺に、家族で墓参りでもして一緒に過ごそう、と母親から連絡があった次第なのだ。


 正直、リライを置いて行けないし、リライを連れて行くのはもっと駄目だ。本人はめちゃくちゃ行きたがって駄々をコネていたが、俺は断ろうと思っていた。


 が、親父が死んで以来、自分の夢ばかり追いかけて苦労を掛けていた母親の頼みを無下にもできず、断腸の思いで俺は思い切った行動に出た。






 で、コレが昨日の俺。


「お願いします! 突然都合のいいことを言っているのは重々承知ですが!」


「お願いするですよ!」


「え? え?」


 ここは近所のファミレスの一席だ。俺の向かいには困惑顔をした艶のある黒髪ロングの美女、優乃先輩が、そして隣には八重歯を見せてニコニコ顔をしたアホ毛付きの銀髪、碧眼の少女リライが座っていて、俺自身と言えばテーブルに頭を打ち付けんばかりに懇願の真っ最中だ。


「……え~~っと、秋くん?」


「はい」


 俺が顔を上げると、困り顔の優乃先輩が視界に映る。


 大人になった彼女は、今は音楽大学の講師で、名のある音楽家の助手をやりながら、作曲家を目指しているらしい。


 もしリライが現れなかったら、奇跡が起きなかったら見られなかったその顔を目の当たりにすると、俺は涙を堪える作業に移らざるを得ない。


「お願いっていうのは……えっと、秋くんが里帰りするから、その間この……え~~っと」


「リライですよ! ユノ!」


 リライが元気よく自己紹介する。リライはリトライ時に昔の優乃先輩の顔を見てるから、彼女を知っている。話ができてやたら嬉しそうだ。


「あ、はい……リライちゃんをウチで預かって欲しい、と」


「はい」


「はいですよ!」


 俺は申し訳なさそうに、リライはハツラツと返事する。


「……ふう」


 そこで優乃先輩はエスプレッソを一口飲み、大きく息を吐いてから、閉じていた目をこちらに向けた。


「……秋くん」


「はい」


「……この娘、あの時の娘だよね? クリスマスに……秋くんと……その」


 ……やっぱり覚えてましたか。


 リライが一度帰った時に、こいつについての記憶が消去されたままならばイケるかもしれないと思っていたが。バッチリ復元されてますね。


 そう、俺はあのクリスマスイヴの日、裸のリライと抱き合っているのを優乃先輩に目撃されてしまったのだ。


 厳密には抱き合っていたワケではないのだが、バッチリ目撃され、バッチリぶん殴られて、バッチリ鼻血を滴らせるハメになった。


 結局その後は、優乃先輩を追いかけて言い訳と謝罪を繰り返しながらのデートだったので、友達以上、恋人未満の壁を乗り越えられないでいる。おかげで俺は今も童貞さ! ちくしょう!


「そんな娘をあたしに預かれ……と」


「……はい」


 も……もう駄目だぁ。精神性の汗が止め処なく頬を伝う。


「そもそも、二人の関係は何なの?」


「一緒に住んでるですよ!」


 黙っててくれリライ! 俺が殺されるだろ!


「……ふうん。一緒に、ねぇ……。秋くん、弁解によっては……覚悟してよね」


 ビキビキとこめかみに血管マークを浮き立たせながら、怪しい笑みでこちらを見る優乃先輩。


「じ、実は……ですね。こいつは、俺の妹なんです」


「……へ?」


「……ふへ?」


 二人が呆けた視線を俺に送る。言うべきか言わざるべきか迷った末のデマカセだった。


「実は……最近になって存在が発覚した、遊び人だった死んだ親父の隠し子なんです」


「……え? で、でも……この娘、日本人じゃ」


「十九年前くらいだったかな……親父が仕事でイギリスに行った時に、現地の女性との間にできた娘なんだそうです。こう見えて十八歳だそうです。な?」


「……ふへ?」


「その母親が去年、他界したらしくて……他にアテもなく、藁にもすがる様な気持ちで、俺の元を訪ねて来たんです。な?」


「……ほへ?」


「……だから、母親は違うけど、こいつ、俺の妹なんです」


「……嘘」


 驚いた顔で呟く優乃先輩。


 ……ごめんなさい、嘘です。大嘘です。うーん。親父をとんだ浮気者にしてしまった。


「だから、なおさらウチの家族に会わせるワケにはいかないんです。ウチの母親、普段はおっとりしてるけど、キレたらシャレになりません。親父の墓を掘り起こしかねません」


「そう……だったんだ」


「はい……一応今回の墓参りで、存在をほめのかしてみて、その反応次第では紹介していきたい、とは思ってるんですけど……いきなり連れて行くワケには……」


「……ふへ」


 ちりん、ちりん。


 赤べこの様に、呆けた顔で鈴を鳴らしながら俺と優乃先輩を交互に見るリライそっちのけで、俺は深刻な顔を造る。


 ……どうだ? 穴だらけな気がしないでもないが、今の俺に思いつく最高の嘘だ。イケるか?


「……秋くん」


「……はい」


 真っ直ぐ俺の瞳を見つめてくる優乃先輩。ど、どうなんだ? イケるのか!? イケなかったら死ぬかもしんない。俺。


「そんな事情も知らずに……疑って、ごめんなさい」


 そう言って彼女は深々と頭を下げた。


「……優乃先輩」


 キタ! 通った! でも何だこの罪悪感は!? 俺は大嘘吐きだ! せっかく罪人でなくなったのに、また別の罪を背負った気がする。


「分かった……この娘のことはあたしに任せて、頑張ってきてね」


「優乃先輩……ありがとう」


 そう言って俺はテーブルに置かれた彼女の両手に自分の手を重ねた。今はチャンスなのだ。罪悪感は無視だ。


「もう、また先輩、って言ってるよ?」


「あ、ありがとう……ゆ、ゆゆ、優乃……さん」


「あはは、まぁ今はソレでいっか……頑張ったね」


「アキーロ。自分ってアキーロの妹なんですか?」


 リライが本気で不思議そうな声で聞いてくる。


「…………」


「…………」


 ……黙っててくれリライ。今かなりいい感じだったんだ。


「……秋くん?」


 そう言って、優乃先輩も不思議そうにこちらを見る。どうする? どーする? ドースル?


「そうだリライ、俺がお兄ちゃんで、お前が妹だ。こいつ俺のこと年下だと思ってたんですよ? いくら何でも、俺そこまで童顔じゃないですよねぇ?」


「あ、あはは……そーだったんだー?」


「そーなんですよー」


 おっしゃセーフ! ファインプレーだぜ俺!


「え? だって自分わ死後の世界の執行人であってアキーロわ……いだっ!」


 またも余計なことを言い出したリライの足を、優乃先輩からは見えない様、笑顔のまま思い切り踏みつける。


「何しやがるですかっ!」


「ぶへっ!」


 すぱん! と平手打ちを喰らう俺。


 女の子なんだからグーで殴るのはやめろ、という言いつけはちゃんと守ってるみたいだ。でも痛すぎる。

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