なにもしない日
橘 春
スイカ
ざく、ざく、とスイカの種をほじくっている夏海に、ふと、思いつきで僕は問いかけた。
「これ……なんかに似とると思わん?」
「これって?」
視線はスイカに向けたまま、夏海が言う。
「種とっとること?」
僕は頷いて、夏海の手によってほじくられたスイカの種の一つを手に取る。スイカの果汁の海に入れた指に、夏の甘い匂いがべたりとこびりついた。漆黒や闇には程遠い黒い種を弄る。目を細めながら、それを持つ手を太陽の方へ伸ばす。
「それさぁ、残酷やと思わん?」
眩しい、今日も太陽は眩しい、太陽になりたい。
夏海が怪訝そうな顔で「はぁ?」と笑う。「意味わからんねんけど」
しゃく、しゃく、と種の無いスイカを夏海が噛み砕く。ミカンの皮を剥く音が冬だというなら、スイカを噛むときの音は夏だ。風鈴の音も、水しぶきの音も、クラゲが死んでしまうときの音も、すべて夏なのだ。
種を畳に置いて、扇風機のスイッチを弱から中に変える。ぶおおおお、と髪を揺らす風が強くなる。
「ほんで、何に似とるって?」
続きを促されて、僕はもう一度種を手に取る。
「ハムスターを……」
一拍置いて、夏海の表情の変化を見る。変わらない。
「お墓から掘り出す行為……とか」
ぐにゃり、と夏海の眉毛が歪み、僕は手に汗をにじませながらその反応を待つ。今までも、夏海とは延々と変な話を繰り広げてきた。引かれたらどうしよう、とか、そういう心配は一応あった。けれど、変な話に付き合う夏海も僕と同じくらい変な奴だった。
「えー、ちょっとちゃうくない?」
言いたいことはわかるけど、どっちかっていうと、と夏海は続ける。
「好きな人の眼球を抉る、の方が近いやろ!」
予想外の答えに、僕は唖然とする。そうだ、それが近い。スイカを墓だと喩えていた自分の愚かさに、我ながら呆れてしまう。スイカは悲しみや後悔を感じるものではない。もっと、愛おしさや、次のデートの約束を取り付けたい片思い中の女の子のような、そういう気持ちを孕ませるものなのだ。スイカは墓ではない、好きな人だ。
ふふん、と勝者の笑みを浮かべる夏海に、僕はあっさりと負けを認める。変な僕に勝ってしまう夏海も変な奴だし、変な夏海に共感してしまう僕も変な奴だ。
皿にあるスイカは、とうとう最後の一つになっていた。夏海はやはり、それをスプーンでほじくる。好きな人の眼球を抉っている。待ち遠しそうに、楽しそうに。
僕は夏海を横目で見つめながら、本当はハムスターと迷っていた方を、思いついたかのように言ってみる。
「手術、っていうんもあるんかもしらん」
平熱の視線に気付いていない様子の夏海は、ただ、好きな人の眼球を探しながら答える。
「好きな人の? やったら、ある」
頷いて、それに付け加える。
「僕は医者なんよ。ほんで、好きな人の中を手術する」
好きな人の眼球を抉ることと、好きな人を手術することと、どちらの方が純潔なのだろう、と考える。医者になれば、好きな人の彼氏でさえ触れないような内臓に、指をぴとりと当てることもできてしまうのだろうか。
和室は、変な話による変な空気が充満していた。好きな人の、と聞いて、夏海は大きく頷く。また、ぶわりと変な空気が膨らんだ。
「好きな人、何の病気なんやろなぁ」
しゃくしゃく。好きな人を噛み砕き、味わい、幸せに浸りながら夏海が言った。
「わからんけど、僕は胃を撫でる予定や」
「なんで胃?」
ちらり、と偏食の夏海に目を向けてから、それに答えた。
「甘いもんばっかで疲れてる胃を労わってあげんねん」
「うわ、優しい」
笑いながら、夏海は自分の胃のあたりをさすり、痛いんかな、と呟いた。麻酔くらいするわ、と言いかけてやめた。麻酔を打てば、撫でられたことに気付かない、ということに気付いてしまったからだ。
けれど、僕は医者じゃない。
夏海が口を開く。
「うちは脳みそ撫でることにする」
「なんで?」
ばちり、と僕の目と合わせて、いたずらっ子のように口角を上げる。
「おかしくなっちゃった脳みそを労わったるんやん」
すっかり食べ終わった夏海が、ちゃぶ台の上にある砂漠に倒れ込むシロクマのようなスイカの皮を指さす。
「これ、あれに似とると思うんやけど」
気が付けば進んでいる時計の針を見て、思う。きっと、夏が終わっても、僕たちは変な話をしているだろう。
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