星明かりと煙草の火

茶々瀬 橙

第1話

 彼女はよく、近所のコンビニで煙草を吸っていた。

 僕は星空を見るのが好きだったから、夜中にふらりと家を出ることがあったのだけれど、絶景スポットである公園までのその道中にコンビニがあって、そこでよく彼女の姿を見かけたのだった。

 彼女は決まってよれよれのスウェット姿で、長い髪を後ろで雑にまとめて、自動ドアの傍の車止めに腰掛けて煙草を吸っていた。店内照明の逆光に照らされてぼーっと中空を見つめる彼女はひどく儚げで、教室で見かける彼女とはあまりにかけ離れていて、僕は足を止めることこそしなかったけれどいつも彼女の姿を目に留めながらコンビニの前を通り過ぎていた。目が離せなかったというか、見とれていたというか、そういうやつだ。

 クラスメイトでありながら声を掛けずにいたのは、彼女が放つ触れがたい雰囲気がそうさせたというのもあるし、もっと単純にクラスメイトとはいえ関わりがなかったというのもあった。四十人こっきりのクラスメイトであっても、一年を過ごす中で一言も声を交わさない相手はいくらでもいる。所謂花形の誰からも愛されるタイプである彼女と、枯れ木も山の賑わいなんて言葉がぴったりな僕とがつまりそういう関係だった。これといって悪い噂を聞かない優等生であるところの彼女が退廃的な様子で煙草を吸っているのは意外だったけれど、それだからといって彼女に寄っていって挨拶ができるような間柄ではなかった。

 その日も僕は公園を目指して夜道を歩いていた。昼間であればそれなりに交通量のある車道も、夜更けでは道行く車は疎らだった。コンビニの看板が月明かりに負けじと光っている。秋口の風は少しだけ冷たい。

 いつも通りコンビニの前を通る。しかし今晩は彼女の姿はなかった。別に、通る度に必ずそこにいるわけではない。今日はいなかったな、と思うだけのこと。足は止めずに、だけどちょっとだけ名残惜しくて、未練がましくもコンビニの自動ドアの周りへ目をやりながら歩いた。

「前見て歩いてよ」

 だから急にそんな声がしたとき、僕はみっともなく声を上げてしまった。漫画みたいに飛び上がってしまった。

「すみませんっ」

 とっさに謝罪の言葉が口をつく。

 見ればそこにいた何者かは、コンビニの駐車場と歩道の境で、ブロック塀にもたれてしゃがみ、ぼんやりと煙草を吸っていた。

 彼女は僕を見上げて、

「変なの」

 喉の奥を鳴らして笑った。

 その無邪気な笑顔も、磊落な物言いも、教室で見るものと寸分として違うことなく、それが返って不思議な感じがした。右手の指先につまんだ煙草は小さく火を灯していて、薄闇に静かに立ち上る煙は仄かに甘い香りがする。遠目には儚く見えたその姿は、目前にすると確かな存在感を伴ってそこにあった。

 これもまた彼女の一面か、なんて分かったような感想が浮かぶ。

 こうして接触してしまった以上、いつものように素通りするわけにもいかない。こんばんは、とそれだけを口にする。

「うん、こんばんは。今日は無視しないんだね、わたしのこと」

 にやり、とあまりかわいらしくない笑顔を浮かべて彼女は言った。

「気づいてたの?」

 僕が毎晩のようにここに通っていること。

「そりゃ、あんだけ熱い視線を送られたら、ねえ」

「・・・・・・ごめん」

 紛う事なき事実だ。否定の言葉もない。

 すると彼女はまた楽しげにけらけらと笑った。合間に煙草を咥えて、煙を吐きながらも笑い続ける。

「謝られるとは思わなかった。いいよ、許してあげよう」

「そりゃ、どうも」

 初めて言葉を交わしたけれど、クラスの中心人物というだけあって話し易い人だった。とはいえ他に話題があるわけでもない。彼女の笑いが収まると、たちまちふたりの間に沈黙が垂れ込める。それでも僕がこの場を動かなかったのは下心故だ。僕は彼女と話がしてみたかった。

 彼女は何を言うでもなかったけれど、その代わり僕を邪険にするわけでもなかった。ただぼんやりとして、いつものように中空を見上げている。

 当たり障りのない話題にならばのってくれるだろうか。僕は彼女の横に並んで立って、同じように宙を見上げる。看板の光に邪魔されて星はほとんど見えなかった。

「家、この辺りなの?」

「んー、そうでもないかな。十分くらい歩く。君は?」

「僕はすぐ、そこ」

「へえ」

 家の方角を指差して答えれば、彼女はその先をなんとなく追ってくれる。僕はしゃがんでいる彼女の旋毛を見下ろす。右回りだなあ、なんて薄っぺらい感想が浮かぶ。

「なんでいつもここ歩いてるの? こんな遅い時間に」

 そんな問いは彼女から。言いながらこっちを見上げるものだから、僕は慌てて目を逸らす。

「遅い時間なのは、お互い様でしょ」

「まあ、そうだけど」

「・・・・・・。星を見に、行くんだ」

 密かな趣味を明かすのは、これが随分と勇気が要った。相手が彼女では尚更だ。嗤われたらいやだなあ。

 けれど彼女は嗤うでなく、だからといって関心を見せるでもなく、「ふぅん」と言うだけだった。興味がなさそうというのが一番適当なのかも知れない。それはそれで悲しい。

「そっちは? いつもひとりで。何してるの?」

「わたしは・・・・・・」

 彼女は束の間、悩むように視線を横にやる。

「暇つぶし、かな」

「そっ、か」

 まるきりの嘘とも思えなかったけれど、何かを隠したのは明白だった。それにたとえ態度に出なかったとしても、未成年の少女が深夜にひとりきりで煙草を吸っている理由がただの「暇つぶし」だなんて思うやつはおるまい。

 とはいえそれを追及出来るはずもなく。頷いて、息を吐く。

 またどちらも口を閉ざしてしまって、けれど彼女は特に気にした風もなく煙草を吹かしている。僕は少なからず気まずい思いを抱えながらも、この場を離れられないでいる。

 ちらり、彼女は僕へ目を向けた。

「星。見に行かないの?」

「行くけど・・・・・・、」

 うー、どうしようかなあ。言うだけ言ってみようかなあ。

「一緒にどう?」

 これくらいなら、不自然ではあるまい。きっと。たぶん。

 そう自己暗示を掛けてみるも、彼女はといえば少なからず驚いたのかも知れなかった。驚いたというか、不信感を抱いたというか。訝るように目を細めて僕を見る。首を傾げる。

「なにそれ。ナンパ?」

 そんな率直な言い方をしなくても。でもまあ、そうね。間違ってはいないよね。

「うん。そう。ナンパ」

 鬼が出るか蛇が出るか、というような心境ではあったのだけれど。

 結果的に彼女は、くわえ煙草にくつくつと歯をむいて笑ったのだった。いろんな笑顔があるものだな、とちょっとばかり見入りつつ。そうしているうちに彼女は煙草の火をもみ消して、足下に走っていた側溝に蓋の隙間から、ぽとんと吸い殻を落とした。

「ポイ捨てだ」

「む、いいでしょ。いつもはちゃんと捨ててるよ」

 そう言って彼女は唇を尖らせる。反省する気はないらしい。立ち上がりながら続けた。

「そんなことより行こうよ。どこまで行くのか知らないけど」

「すぐそこの公園だよ」

「へえ。この辺り公園があるんだ」

 行きましょ行きましょ、と行き先も分からないのに僕より先に立って彼女は歩き始める。

 僕はそれを苦笑交じりに追いかける。

 待ってよ、と声を掛けたとき、一瞬だけ彼女が振り返った。そのときに見えた表情が、今にも泣きそうなものに見えたのは気のせいだったのだろうか。

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