忘れていた友達と鬼


「それが俺の視た門城 希恵コンマイさんが生きとった時の最後の記憶や。」



玄狼は話し終えた後で締めくくる様にそう呟いた。

佳純と理子は魂が抜けたような表情で話し終えた彼の顔を見ていた。やがて佳純が眼に一杯の涙を溜めて絞り出すように言った。



「ヒグッ・・そんなん・・酷いわ・・・酷過ぎるわ。

あの子が、コンマイさんが可哀そ過ぎるやんか・・・・・ヒグゥッ。


お父さんに会いたくてズゥーッと待っとって・・ほんで自分のお母さんに殺されてしまうやなんて。

ほんで七十五年もの間、一人ぼっちで戦争に行ったお父さんを待っとったやなんて・・・あんまりやん。アグゥッ、グゥゥー。」



理子が痛めた足を庇いながら這うようにして泣きじゃくる佳純に近づくと後ろからギュッと彼女の身体を抱きしめた。

そしてその頬に自分の頬を擦り寄せながら優しく佳純の髪を撫でる。



「確かに酷い話よね。私も人から聞いた話でしかないけど当時はそうした話は他にもあったらしいわ。

親が子を、夫が妻を、兄や姉が弟や妹を見捨てなければ生きていけないような状況がきっとそこかしこにあったのでしょうね。

多分、あの時代は誰もが人間の心を失って自分だけが生きていくのに精一杯だったのよ。


でもね、コンマイさんはこれで救われたのよ。佳純ちゃんを、そして加藤誠司の魂を救う事で自分の御霊も平安を得ることが出来たの。


自分を殺して捨てるような酷い母親でも幼子にとってはやっぱりたった一人のお母さんなのよ。きっと彼女はお母さんによく似た貴女を守りたかったんだわ。

だから貴女は泣かなくていいの。」



理子の言葉に佳純は腕で涙をグッと拭うと 「ウン・・・」 と小さく頷いた。


すると玄狼が思わぬことを言った。



「実はな、門城 希恵コンマイさんの記憶はそれで終わりやないんや。」


「あら、玄狼はさっきそれで最後って言ったじゃない?」


「うん、確かに生前の記憶はさっきのが最後やけど霊となってからの記憶みたいなもんがもうちょっと別にあるんや。


門城 希恵コンマイさんの次の記憶は古井戸の中から抜け出て祠の周りを彷徨さまよっとったとこから始まっとってな。

ほんでもそれは直ぐに終わって後の七十余年ほどはずっとあの祠の中で念体のまま眠っとったみたい。多分、鵺弓師に鎮魂しずめられたことでそうなったんかな。


と言うてもここ十年ぐらいはたまに目を覚まして祠の周りを弱い念体となってうろついとったようやわ。

そん中で四歳ぐらいの小さい女の子からキィちゃんとか呼ばれて一緒に遊んどる記憶があるんやけどその女の子が佳純ちゃんによう似とんやわ。


ひょっとしてやけど・・あれ佳純ちゃんと違うん?」



佳純はそう言われて初めて思い当たった。白く立ち込めるもやに閉ざされた記憶の中から遠い過去の出来事が薄絹を剥がすように徐々に露わになって来る。



『きぃ・・キィちゃん? そうや、そう言われたらうっすらやけどお祖母ちゃんと祠に行った時にそんな名前の子と何度か遊んだような気がする・・・

お祖母ちゃんが祠の掃除をしよる間、かくれんぼやお話をしたわ、確か。


ほんでもお祖母ちゃんには見えんかったんよな。帰りにキィちゃんの話をしたら


” ハァ? なにを言よんな 。わたっしゃ(私たち)の他に

 誰っちゃ居らへなんだがな。(誰も居なかったでしょ。)”


て言われたんやったっけ。


あれ、コンマイさんやったんか・・そっか、そやきん初めて見たのに懐かしい感じがしたんや。

キィちゃんはずっとウチのことを忘れんと覚えとってくれたんやな。

だからウチの事を助けてくれたんか・・・ウチは忘れてしもとったのに。


ごめんな、キィちゃん・・・ホンマに、ホン・・マに・ごめん・・な。』



佳純はまた溢れ出した涙を手の甲で拭いた。それを見た理子がもう一度、ギュゥッと彼女を抱きしめる。

暫くすると落ち着いたのか彼女は泣くのを止めて後ろの理子にぐったりとその身を預けたまま動かなくなった。



「あら、佳純ちゃん、眠ってしまったみたいね。アハッ・・可愛い!

いいわ・・・少しこのままにしておきましょ。」



理子はそう言うと佳純の身体をゆっくりと横たえてその頭を自分の曲げた右足の太腿の上に乗せた。頬に乾きかけた小さな涙の粒を乗せたまま少女は微かな寝息を立てている。


玄狼は少し不思議に感じていたことを理子に訊ねた。



「ねえ母さん、どうして門城 希恵コンマイさんは今日の昼間、突然に現れたんだろう? もう何十年もずっと現れてなかったのに・・・」


「恐らく今日、突然に現れたわけではないわ。少なくとも二ヶ月から三ヶ月前には目覚めていた筈よ。」


「二ヶ月から三ヶ月前? それってひょっとして・・・」


「そう。小型タンカーと貨物船の衝突事故が起きた頃よ。その事故で海中に漏れ出た液状精霊鉱リキッドスプルトニウムが原因だと思うわ。」


「どうして? だってあれは海上の話でしょ。コンマイさんの祠は海から離れた陸の上にあるのに?」


「玄狼は〈井戸水の塩水化〉って言うのを知っている?」


「井戸水の塩水化? 何それ?」



理子の言った聞きなれない言葉に彼は首をひねった。



「地下水を汲み上げすぎると井戸枯れって言うのが起きるの。要するに地下水の水位が下がり過ぎて井戸の底が地下水に届かなくなるわけ。


更に地下水位が海水面よりも低い状態になると海水が地下水に混じり始めるの。だから海に近い地域では井戸枯れすると地下水位が戻った時に井戸に塩水を引き込んでしまう状態になることが事がよくあるわ。


これが〈井戸水の塩水化〉ってやつよ。


それじゃもしその海水に高濃度の液状精霊鉱リキッドスプルトニウムが溶け込んでいればどうなると思う?」


「それって・・・もしかして枯れ井戸の底にある筈の門城 希恵コンマイさんの遺骨が液状精霊鉱リキッドスプルトニウムを大量に含んだ海水に浸った状態になるという事?」


「ご名答! その通りよ。

何時頃からかははっきりしないけど地下水位の上昇によって祠の下にある枯れ井戸に再び水が戻った。でもそれは同時に塩水化を引き起こすこととなった。


今はその存在すら忘れられた井戸だから特に問題は起こらなかったけど三か月前に起きた海上事故でその塩水に高濃度の液状精霊鉱リキッドスプルトニウムが混ざり込んだ。


当然、古井戸の底に隠されていた行方不明の幼女の遺骨はそれに浸かることになった。それによってスプルトニウムの強力な触媒作用を得た門城 希恵コンマイさんの残留思念は再び現世うつしよに実体化する力を得た。


恐らくそれが今回の事件の真相だと思うわ。」


「じゃあ、加藤 誠司の霊と門城 希恵の霊が出会ったのも互いの執着を打ち消し合って御霊の平安を得たのも液状精霊鉱リキッドスプルトニウムの流出事故がもたらした偶然の結果なわけ?

そなんうまい具合の偶然てあるんやろか?」



理子はその美しい唇の両端を少しだけ釣り上げて薄く微笑むと玄狼に言った。



「それこそが神の御導きっていうものなのかもね。」



母の答えに少年は「フーン」と言ったきり神妙な顔つきになって何かを考え込んでいるようだった。


その時、佳純が身じろぎしながらゆっくりと目を開けた。周囲を見回して理子と玄狼の姿を認めると安心したようにまた眼を瞑った。

それを見た玄狼が慌てて声を掛けた。



「さ、佳純ちゃん、もう起きよか。そろそろ帰らな皆が心配しとるわ。」


「そうね。そうした方が良いわ。

ほら、玄狼。佳純ちゃんを起こしてあげて・・そうそう、ちゃんと支えてあげてね・・・うん、それでいいわ。

それじゃ皆のいる所までしっかり送ってあげるのよ。」


「母さんは一緒に来ないの?」


「私はこの足だし、後からゆっくり行くから先に二人だけで戻りなさい。あんまり遅くなるとまた鬼が出るかもしれないわよ・・・カワイイ オニ ガネ・・フフッ。」


母の呟きの最後の方がよく聞き取れずに少し気になったが彼は取り敢えず佳純を連れて皆のいる所まで戻ることにした。

その前に母と佳純は少しの間、何か話し合っていたようだった。話が終わった後、すぐに二人で大傘松に向けて出発した。


戻る道すがら、彼女は玄狼の手をギュッと握りしめると小脇に抱え込んでぐったりともたれかかって来た。年下とはいえ自分より大柄な相手にそうされると歩きにくくて仕方がなかったがどうにか足を前に進める。


これやったら母さんの方が早よ帰れるん違うんか?と思いながら歩き続けているといつの間にか母の立っていたコースの中継点まで戻ってきていた。

後半分やな、早よ帰らな、と思いながらまた歩き出す。佳純は相変わらず玄狼の手を抱え込んだまま何やら指先の方をモゾモゾと弄っていた。


コンマイさんの祠に続く農道の入口を右手に眺めながらふと


『また鬼が出るかもって何のこっちゃろか?』


と考えたりしていると不意に前方からゴォーと低い唸り声のような風鳴りが聞こえて来た。それはまるで鬼の哭き声のようにも聞こえた。


驚いて身構える玄狼の眼に二つの旋風が映った。仄暗い夜闇の向こうから現れたそれは路面上の草、葉、砂粒、小枝を巻き込んで吹き飛ばしながら並んで二人の前に迫って来る。それぞれが巻き起こす気流の壁がぶつかり合うたびにボッ、ボッ、ボッという鈍い破裂音が発生する。


並んだまま物凄い勢いで近づいてくる旋風の中に二つの人影らしきものを認めた彼は

一瞬にして戦慄した。

両手に短い得物を持ち、大胆に割り裂いた着物の裾を風になぶらせ、髪を振り乱した状態で闇を纏いながら突き進んでくるその姿はまさしく鬼に見えた。


『こ、これか・・母さんの言っていた鬼というのは!』


二体の鬼らしきものは白い着物と青い着物を身に着けていた。大きく広げた裾の中から惜しげもなく晒け出した夜目にも白い素足が妖気を孕んで艶めかしく映る。


玄狼は焦った。少し回復したとはいえ未だ式神を呼び出せる状態ではない。逃げようにも佳純を連れた状態ではそれもままならない。

たった小一時間程の間に二度も絶対絶命の危機を迎えるとは予想もしていなかった。


迫りくる二匹の鬼が彼らの数メートル先まで来た時、ドォンッという音と共に周りの空間が震撼した。突然に生じた巨大な大気の壁に鬼達が並んで衝突する。

艶やかな長い黒髪とショートボブの黒髪が一瞬だけ激しくうねりながら後方へと翻る。

だがその光景は玄狼にとって馴染みのあるものであった。



「へっ! これは・・もしかして・・・荒脛巾あらはばきの術?

という事はこの鬼の如き二つの影は・・・・?」



まじまじと見つめる彼の前に立っていたのは両手に桐下駄を掴み浴衣の裾を端折って素足で立つ郷子と志津果の二人だった。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




「郷子とで志津果! なんで二人が・・・・?」



玄狼が思わずそう呟くと志津果が感情を抑えた硬い声で答えた。



「なんで? 何がなんでな! あんたらがあんまり遅いきん、私等うちらが探しに来たんやんか! 一体、二人で何をしよったん?」


「エッ、な、何んちゃしとらへんよ。二人で母さんを捜っしょっただけやが。」


「フーン・・・理子さんをなぁ。ほんでその理子さんは何処なん?」


「あ、ああ、母さんは足挫いてしもてな。ほんで俺等だけ先に帰って来たんや。」


「足を挫いた? ほんなら足を挫いた人をほっといて二人で帰って来たゆう事?!」


「イ、イヤ、そなん言い方やめてくれ、人聞きの悪い・・・

母さんが先に帰れ言うたきんそうしたんやが。皆に心配さしたらいかん思て。」


「充分心配したわ!

そやけん郷子と二人で荒脛巾あらはばきと韋駄天を使つこてまで捜しに来たんやない。 何ぞあったんか思て・・・

そしたら何よ・・・二人で随分、仲良さそうに楽しくやっとるやない。」


「な、何ぞあったんかって・・なんちゃあるわけないやろ。

別に仲良さそうになんかしとらへんが。」



玄狼が志津果にそう言い返すとそれまで黙って二人のやり取りを聞いていた郷子がボツリと言った。



「じゃあ、その手は・・・何かしら? 玄狼さん。」


「手? 手がどうしたって言う・・・えっ! な、何じゃ、こりゃあぁぁぁ!」



彼の左手と佳純の右手はガッチリ握り合っていた。それも互いの指と指を交互に組んで絡め合った形で・・・・俗にいう恋人繋ぎの状態であった。



「佳純ちゃん・・さっきからなんや指先をモゾモゾしとると思たら・・・なんでこなん事を?」


「エヘッ、こうしておけば何があってもクロ君と離れたりせんやろ。

それにこの方がメッチャ、恋人同士のデートらしいやん。」



佳純は満面の笑みを浮かべてそう言った。


『おい! 五分前までのあの泣き顔は何処に行ったぁ!』


玄狼はそう心の中で叫んだ。

そして志津果と郷子にこれは佳純ちゃんがふざけてやった事で彼女と恋人ごっこをして遊んどったわけとは違うんじゃ、と弁明しようとしたその時だった。


強靭なしなやかさを備えた何かがずるりと彼の右腕に巻き付いた。同時に硬く尖った冷たい何かが彼の頬肉をごっそりと摘み上げる。

腕に巻き付いたのは志津果の薄い小麦色の腕、頬肉を摘まみ上げたのは郷子の白い指だった。


「お、おい、ちょっと・・二人とも何をするつもりなんや?」


「主人を忘れて他の人に付いて行ってしまう様な駄犬はキャンと鳴くまで厳しく躾け直さないかんやろ。」


「トンビ娘に直ぐ攫われてしまう呑気な油揚げは千切れる位の覚悟でギュッと掴んでおかなきゃ駄目よね。」



玄狼の脳裡に本日三回目の絶体絶命の危機を告げる警報アラームがけたたましく鳴り響いた。

彼の右手の肘関節と左の頬に地獄の責め苦の如き苦痛が舞い降りたのはその直後であった。

玄狼はその痛みに呻吟しながら ”神様、助けて!” と祈った。




果たしてその願いが無事聞き届けられ、彼の御霊が平安を得たのかどうかは定かではない。

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