行きは恋恋 帰りは可愛い

真っ暗な夜道を行く足元を小さな照明器具の明かりがほの白く這っている。

夏祭りの夜店で売られている子供の玩具のような光量レベルだ。


賢太が今日、家族と出かけた鷹松市の百均ショップで購入してきたカンテラタイプの懐中電灯だった。


いくら何でも数十メートル先まで光の先端が届くような強力な携帯式の照明器具ではお化けも出て来づらいに違いない。それではソクゾクするスリル感やワクワクする甘いイベントの予感といった肝試しの情緒も何もないじゃないかという理由で選んだやつである。


蝋燭の火になるべく近い雰囲気のあるものをという事で決めたらしいが確かに火傷の危険性や風で火が消えてしまうといった恐れはないもののいささか光量が弱すぎる気がする。



「こなん頼りない光やったら足元が危ないわ・・・念視で見た方が未だマシなんと違う? なんで百均なんかで買うたりしたんかな? まぁ、賢太らしいっちゃらしいけんど。」



コンマイさんの祠まであと少しというところで不意に志津果がそう言った。確かに海岸通りを歩いていた時は雲に遮られながらもまだ月の光がある程度は射していたのだろう。暗さで足元がおぼつかないと言った事はなかった。


だが陸側に折れたこの細道に入ってからは両側に生える灌木や喬木の枝葉のせいで周囲が一層暗くなった感じがした。



「そんなん使えるのは俺とお前と郷子ぐらいやが。他の三人は念視なんて無理やろ。それに念視やと形までは分かっても色ははっきりわからんやん。」



光の代わりに念を媒体として視覚情報を脳に伝える念視はどちらかと言えば触覚に近いものがある。そのため周りにある物の立体的情報を得るには優れているが色や質感といった風情を把握するのには向いていなかった。



「・・う…ん、まぁそれはそうなんやけど・・・」



少しうつむき加減でそう応えた志津果の青い浴衣ゆかたの襟元からショートボブの髪際まで露わになった首筋がほの白い灯りの中に照らし出されて朧げに浮かんでいた。

ほっそりとした白いそれを眼にした時、玄狼は胸の深いところがドキッとするのを感じた。


今日の夕方、花火大会で学校のグラウンドに集まった時、六年生の女子三人は何故か申し合わせたように浴衣姿だった・・・いや実際申し合わせていたのかもしれないが・・・亜香梨が赤、郷子が白、志津香が青の浴衣を着ていた。


尤もあいにくの雨で幼い色気を帯びたその可愛らしい晴れ姿を艶やかな花火の閃光の中に現すことは出来なかったが。


この道の入口手前まで来た時、そこに立っていた母の理子が玄狼に近づいてきて言った。



「ここから先は道も細いし暗くなるから足元に気を付けて。そして志津果ちゃんをしっかり誘導エスコートしてあげること! 分かった?」



そしてその後、理子は彼にだけ聞こえるような小さな声でそっと囁いた。



「忘れずにちゃんと浴衣の事を褒めてあげるのよ。」



その時は ”何を言っているんだ?” と思った玄狼だったが志津果のうなじの白さに一瞬見惚れてしまった今、自然に言葉が口を突いて出て来た。



「足元が見えにくいんやったら手をつなごか? ほら、これで大丈夫やろ。」



玄狼はそう言って志津果の手を引くとゆっくりと前に歩きだした。彼女は口に手を当てて大きく眼を開くとポッと頬を上気させた。

そしてそのまま黙って彼に付いて来た。そのすぐ後で玄狼は殆ど聞き取れないような小さな声でぼそりと言った。



「少しぐらいくろても青い浴衣に白い肌が映えて綺麗やで・・・志津果も可愛らしに見えるし」



志津果は一層朱くなった頬を空いた方の手で押さえると下を向いた。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




その後、特別に変わったことは起こらなかった。ただ祠に着いてそこに行ってきた証であるお札を取った後、帰って来ただけである。

途中の分岐点に立って居る玄狼の母みちこが "アラ?" という顔をして二人を見ていた。


まるで性別など意識しない幼稚園児のように自然な雰囲気で手を繋いだ二人を見て彼女はちょっと驚いた様であったがクスッと笑っただけで何も言わなかった。


本当は理子の立っている場所の少し前まで来たところで繋いだ手を放そうとしたのだが何故か志津果がそうさせてくれなかった。


母の前を通り過ぎて出発地点へ戻り始めた時、不意に志津果が訊いた。



「なぁ?」


「ン、何?」


うちとコースを出発する前に賢太と話しとったやろ。何を話しとったん?」


「ああ、あれか。あれはコンマイさんてひょっとして賢太の家系と何ぞ関係があるんか聞いとったんや。同じ門城 姓やからな。」



郷子と見た祠の中には 門城 希恵 と書かれた古い布が張り付けられていた。何となく気になったので肝試しから帰って来た賢太にその事を訊ねてみたのだ。



「ああ、あそこに祀られとる子の家はずっと昔は親戚やったんやと。

曾祖母ひいばあちゃんの従姉妹いとこか何かやと聞いたような気がするわ。


今はもうその家も戦争やら過疎やら何やかいで途絶えてしもとるらしいで。

ちっちゃい頃に祖母ちゃんから聞いただけの話やけんようは知らんけどな。


ほんだけん俺もこんまい頃は(だから俺も小さな頃は)祖母ちゃんに連れられて時々、祠の掃除に行ったような記憶があるわ。」



賢太の返事はそうしたものだった。玄狼の説明を聞いた後で志津果は再び訊ねて来た。



「へぇ・・そうなんや。で、その前に郷子とも話しとったやん。あれは何?」


「エッ、ア、ああ・・あれか、あれは・・・コンマイさんがまた出たっちゅうことの報告や。郷子達の帰り道に出たらしい。


ほんだけどコンマイさんはそのまま消えてしもた言うとった。そやけん賢太が少しふらついただけで済んだみたいや。

その後、郷子の気入れのお陰で直ぐ回復できた言う話をしとったんや。」



志津香は「ふうん?」と首を傾げると「ああ、ほんでな。」と小さく頷いた。



「ほんで二人は手を繋いどったんか。賢太に気入れをしとったんやな、あれは。

なるほど・・そうやったんか・・・で郷子は他にも何か言うたん違うん?」


「エッ、いや・・それだけやったぞ。」



本当は郷子から 「妬かなくても大丈夫だよ」 と揶揄からかう様に言われた。そう言われたことによって自分の胸の中に育ち始めていたもやもやした感情がすっと軽くなったことも事実である。

だがそう言われたことを志津果には黙っておいた。何故かそれは言わない方が良いような気がしたからだった。


二人はその後、黙って歩き続けた。手は繋いだままであった。海岸沿いのコンクリートの路面に志津果の履いた朱塗りの桐下駄がコッコッと可愛らしい澄んだ音を響かせていた。


やがて暗い夜道の先に小さな赤い光が仄めいているのが見えた。みんなが待っている大傘松のそばに立つ百目蝋燭の火に間違いなかった。



「志津果、もう手を離しても大丈夫やろ。足元もなんぼか明るになったし。」



薄くなった雨雲の切れ間から満月の一部が顔を覗かせたお陰で夜道の先はずっと明るくなった。これならばもう足元を気にせずとも歩けるだろう。


そう思った玄狼は自分の掌を開いて志津果の掌からそっと抜こうとしたが抜けなかった。志津果が彼の手を強く握りしめて放そうとしなかったからだ。



「お、おい。手ェ繋いだまま皆のところに行くんか? そなん事したら後で何言われるか分からんぞ。早よ離してくれ。もうすぐ向こうからも見えるきん。

なぁー おい・・・ 志津果。」



困り果てた玄狼は空いた方の手で志津果の肩を掴むと体を自分の方に向けさせて彼女の顔を覗き込んだ。



「嫌・・」



彼女は短くそう言った。

薄朱く上気した頬を少し膨らませ、やや吊り上がり気味の凛とした澄んだまなじりが上目遣いで彼を睨んでいる。


その様子を見た途端、玄狼はまた胸の奥がドキッとした。



結局、手を繋いだままで二人は皆の前へと戻って来た。蝋燭の炎と懐中電灯カンテラの小さな光の末端が重なり合う距離まで来た時、志津果が小さな声で



「ただ今」



と言った。返事はなかった。代わりにぽかんとしたような奇妙な沈黙があった。

全員が黙ったまま二人を見ていた。その視線は当然の如く玄狼と志津果の繋がれた手に注がれている。

やがてハッとしたように亜香梨の声が響いた。



「お帰りなさい。」



それが合図となって皆は気まずそうに視線をずらした。ただ郷子の眼だけは志津果の顔をじっと見詰めていた。

志津果も同様に郷子の顔を見返している。二人の間に硬い雰囲気のようなものが生じ始めていた。



「何故・・二人が手を・・・・」



更に郷子の唇が動いて何かを言おうとしたその時、黄色いTシャツと白いデニムスカートの影が脱兎のごとく飛び込んできて手を繋いだ二人の間に割り込んだ。

その影は玄狼の手を志津果の手から奪い取ると素早く小脇に抱え込んで勢いよく言った。



「クロ君、遅かったやんか。うちずっと待っとったんよ。

 さぁっ、早よ海岸通りで夜のウォーキングデートしに行こ!」



影の正体は賢太の妹の門城佳純だった。

全員が呆気に取られて見守る中、玄狼は背の高い佳純に引きずられるようにして今帰って来たばかりの夜道を再び戻っていった。

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