おとぎ話の配役
郷子の登場は吹き抜ける一陣の爽やかな夏風を思わせた。危険なまでに張り詰めかけていた教室の雰囲気を一瞬にして吹き飛ばして穏やかな日常のそれへと引き戻した。
尤も張り詰めていたのは玄狼と賢太の二人だけだったが・・・
うさちゃんこと高田先生によって教壇の上に案内された郷子はポニーテールにした長い黒髪を綺麗な白い指でかき上げながら優雅に一礼した。
そして大きな漆黒の双眸で教室の中を見渡すとメゾソプラノの澄んだ声で自己紹介の挨拶をした。
「初めまして。東京から来ました
テレビでしか見たことの無い憧れの大都会、東京。そこからやって来たという垢抜けた美少女の登場に教室内は静かに沸き立った。
そのお陰で高田先生の賢太に対する特高警察の如き厳しい尋問は忘れ去られ二人は事なきを得た・・・はずだったのだが。
「なぁ、玄狼。」
「うん? なんや、志津果?」
「さっき賢太が言うとった ”志津果と亜香梨の中間位” て何の事なん?」
玄狼は今、志津果の隣の席に座っている。そこに座っていた亜香梨が別の席に移ってしまったからだ。何故なら未だ全部の教科書が揃っていない郷子に誰かが教科書を見せる必要があった為である。
そこで亜香梨の後ろの席に座っていた玄狼が一つ繰り上がって前の席に、逆に賢太は一つ下がって斜め後ろの席にとそれぞれ移る事になった。
要するに志津果と玄狼、賢太と団児、郷子と亜香梨が二人ずつ
「エッ、 そ、そなん事言うとったか? あんまりよう覚えとらんけど・・」
「身長のこっちゃないわな。 あの子、ごっつ背高いし。」
「あ、あの、ほんなら体重の話とちゃうんか? きっとそやろ。」
「どしてな! あの子がうちらより軽いわけないやん。そんなん体の大きさ見たら一発で分るやない。
大体あんたが賢太に言うた事やろがな。そやのに言うた本人が分らんやいうんおかしいやろ?」
「いや、そなん事言われれても・・ ほんまによう覚えとらんきに。」
「フーン、ほらー、しゃあないな。 ほんなら後から賢太に訊くしかないな。」
「エッ、いや、そらちょっと・・・いや、もうそなん事どうでもええやんか?
賢太やったって追い詰められてわけわからんようになってごじゃくそ(でたらめ)言うただけやと思うで。」
「
賢太をしばっきゃげてでも(殴りつけてでも)訊き出しちゃるわ!」
玄狼は頭が痛くなった。
意地になった志津果は頑固だ。何を言おうが絶対に折れない。
賢太にとっては災難でしかないだろう。せっかく特高警察から解放されたかと思ったら今度は憲兵隊に捕まったようなものである。
こうなったら仕方ない。例の手で行くしかあるまい。玄狼は大きく息を吸って気持ちを整えると志津果に話しかけた。
「なぁ、志津果。」
「え、 何?」
「あんなぁ、さっき賢太が言うとった浦島さんの事やけんど。
”志津果と亜香梨の中間位” とかいう奴。今、落ち付いて考えたらやっと思い出したわ。」
志津果は ”ヘッ” と言った表情になると訝しそうに眉をひそめながら訊いてきた。
「ハァッ、今頃になって何言うとん? あんた、さっき、よう覚えとらん言うとったやない?」
「そうやったんやけど、気持ちを落ち着けて良うに考えよったらぼんやりと思いだして来たんやがい・・」
「ほんまに? ほんなら教えてつか、何のことやのん?」
「それなぁ・・・顔や。」
「顔? 顔がどなんしたん?」
「そやきん浦島さんの顔は志津果と亜香梨の中間位やゆうこっちゃが。」
「顔が中間くらいてまさか・・顔の大きさの事な?」
「なわけないやろが。女子の顔の大きさ比べてどこに盛り上がる要素があるんや?
顔のけっこさ(綺麗さ)に決まっとるやんか。」
志津果は急に黙り込むとやがて玄狼の顔を睨むように見ながら硬い声で訊いた。
「それは三人の中で
「すまん、こなん事、本人に言うん俺も辛いんやが・・・・違うわ!
それやったら覚えてませんで押し通すやろが! 普通! 逆や、逆!」
「逆? 逆って・・それってひょっとして・・・」
「そうや。志津果が一番綺麗で浦島さんがその次、ほんで亜香梨が三番いう事になったわけや。俺と賢太の間でな。 ≪亜香梨さん、スミマセン!≫」
圧し掛かって来る後ろめたさを押し返しながら志津果を見ると彼女は下唇を噛みしめて上目遣いで彼をジッと見つめていた。
怒っているとも泣いているとも分からない表情をしている。
それが彼女の
『これ、ほんまに一番でもかまんのちゃう?』
思わず言葉に出してしまいそうになった声を慌てて喉元で押し殺そうとして彼は激しく咳き込んだ。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
一限目の授業が終わり休憩時間になって直ぐのことだった。
「ねえ、木地谷さん? ちょっと教えてくれる?」
突然、声を掛けられて
朝、教室に入って来た彼女を見た時、ああ、自分とは別の人種だなと思った。
高校生と見紛うような高い身長にスラリと伸びた長い手足、大きな二重瞼の漆黒の眼と同じく漆黒の長い髪が透き通る様な肌の白さをひと際、引き立てていた。
どちらかと言えば日本的と言うよりも西洋的な趣が感じられる顔立ちである。祖父母若しくは曽祖父母辺りに欧米人がいたとしてもおかしくないと思えるような顔の造りをしている。
更に付け足せば様々な人の好みの違いを充分に吸収して均一に調整してしまえるだけの美の容量を備えた顔だった。
少々、方向性は異なるが見た目だけなら志津果も引けを取らぬほどの美少女と言えるかもしれない。只、彼女の場合、その中身は単なる男勝りの田舎娘である。
だがこの
それが生まれついてのものなのか、育って来た環境によって身に付いたものなのか、それともその両方なのかはわからない。
ただそれがどうであろうと自分や志津果とは住む世界の違う女の子、そんな気がした。そんな子が自分に何を聞こうと言うのだろう? 亜香梨は少し気圧されるものを感じながら
「うん、なあに?」
と優しく答えた。
「玄狼さんが田尾さんの事を俺達のお姫様って呼んでいたんだけどそれは何故?
やっぱり彼女が綺麗な子だから?
それで男の子のアイドル的存在になってるという事?」
「えっ、玄狼君が? 志津果の事を御姫様って呼んだ?
そんな! そ、それは・・それはたぶん・・・・・・・
まぁ、志津果をチョロまかして機嫌を取る為のいつもの手やな、恐らく。
多分なんかで志津果の機嫌が悪なっとたんとちゃうん?
ほんでその機嫌を直すために御姫様って呼んだんやろな、きっと。
あの子チョロいきんなー。直ぐに騙されて機嫌直っしょるもん。」
「え、それだけ? 玄狼さんや他の男の子を虜にしているからそう呼ばれているんじゃないの?」
「ちゃうちゃう! そななんとちゃうきん。(そんなのじゃないから。)
うちら六年生の間ではな、玄狼君が ”若” 、志津果が ”姫” という事になっとんよ。」
「玄狼さんが ”若” で田尾さんが ”姫” ・・それってどう言う意味?」
亜香梨は拳を握った両手を思い切り宙へ突き上げると大きく伸びをした。そして郷子の方を見ると言った。
「浦島さん、源義経て知っとる?」
「源義経? 確か源頼朝の異母弟で幼名が牛若丸だったっけ?」
「良う知っとるな。そうや、その義経や。
義経にはもう一つ九郎判官ゆう名前があってな、ほんで奥さんの名前が静御前ゆうんやて。
ほら、此処まで言うたらもう判るやろ。」
「九郎は玄狼の事、静は志津果の事、要するにそう言いたいわけ?」
「ピンポーン! 大正解!
ほんだきん(だから)玄狼君が若、志津果が姫というわけなんよ。分かった?」
「うん、わかった。 玄狼さんが九郎義経で、若。田尾さんが静御前で、姫。
という事ね。」
「そっ。そういう事。あ、ほんでな、ついでに言うとくと実はうちら六年生だけのローカル設定がもう一つあるんよ。」
「もう一つのローカル設定?」
「そう、ローカル設定。ゆうても大したこっちゃないわ。ま、おとぎ話の配役みたいなもんやけど・・・聞く?」
「うん! 聞きたいわ、教えてよ!」
亜香梨はそのクリッっとした愛らしい眼を小さく細めるとクスッと笑った。そして郷子の方に体の向きを変えると話し始めた。
「この
それを犬と猿と雉のお供を連れた一人の勇敢な若者がやって来て退治したゆう伝説があるんや。 この話知っとる?」
「それって桃太郎のお話でしょ? 勿論、知ってるけど。」
「まぁ知っとるわな。ほんでここからがローカル設定のはじまりなんよ。いい?
先ず、お供の三匹のうちの猿。
これは賢太や。
次に雉。
これは
ほんで犬は玄狼君。
そやきん、三年前までは犬がおらんかったんやけどな。
ま、お供の犬が白や茶の犬やったらどよんすんやいう疑問は無視しといてな。
で三匹の主人の桃太郎が志津果。
これはちょっと難しな。凝ったネーミングやきん。
どしてかいうたら ”桃” っちゃ中国語で ”タオ” と発音すんやて。
やけん、志津果は桃太郎。まあ、 ”姫” でもあるし女の子やけど俺様やし似合っとるちゃ似合っとんやけどな。
ほんで最後が
団児の
~お腰に付けたキビ団子~♪ の歌詞通りで
これで全部や。理解できたかな? もう一つのローカル設定。」
郷子は頭を大きく上下に振って頷いた。
「すっごく良くわかりました。有難う御座いました、木地谷先生。
古志野君だけ生き物じゃなくて食べ物なんですね。なんかちょっとかわいそう・・・」
「おとぎ話は登場人物少ないけんな。仕方ないんやわ。
あ、ほら、そう
亜香梨の言葉通り、机の間を縫うようにして賢太と団児がドタバタとやって来た。二人は郷子の机の前に立つとペコっと頭を下げた。
「浦島さん! なんか困ったことがあったら何でも言うてな! 俺、助けてあげるきに。」
「俺も! わからんことや訊きたい事があったらなんちゃ遠慮せんと言うてくれたらかまんきに!」
郷子は最初、驚いた様に二人の顔を見ていたがやがて綻びかけた大輪の花のようにニッコリ微笑むと
「賢太君、団児君、どうも有難う。もしそうなったら助けてね。
とっても嬉しいです。」
賢太と団児はそれを聞くと喜色満面の顔になって互いに頷き合った。スキップでもしそうな雰囲気で自分の席に戻る二人を横で見ながら志津果が呆れたように呟いた。
「賢太君に団児君なぁ。可哀相やけどあんたらもう詰んどるわ・・・」
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