第5話 危機一髪
南門近くの下水道まで移転したのに、掴まって大聖堂の地下室に居るなんておかしい。
それにブルースライムがオレを、安全な場所に連れて行ってくれるって言ってたのに。
「そうか、分かったぞ! これは夢だ! ドキッとしたところで目が覚めるやつだな?」
良かったー。ちょっとだけ、焦ってしまったじゃないか。
「残念ながら、夢じゃないよ。君がスライムに乗っかって、城の外堀の水面にぷかぷか浮かんでいるのを、掬い上げて捕まえたんだ」
聖騎士ランスロットが、呆れた様子でまな板の上の鯉のようなオレを見ている。
「えー?! うそ……」
再びじっとりと嫌な汗が浮かび始める。
南門まで移動したつもりが、朦朧としていたせいで座標が狂った?
「ジャック、夢じゃないと分かるようにしてやれ」
猫背の味噌っ歯の男は、嬉しそうにミスリルナイフを閃かせた。
「――ちょっと、待って! オレは国王に30日の奉仕活動を命じられている! オレに手を出したら、王命に逆らうことになるぞ」
「へぇ、丸っきりバカという訳でもないんだね。安心していいよ、陛下の許可を頂いている」
全然、安心なんて出来ないぞ!
鋭利なミスリルナイフが、オレの頬をすうっとなでるように滑った。
キーン……。ナイフは、毛筋ほども傷を負わせることは出来ず、刑吏の腫れぼったい目が驚きに見開かれた。
「ミスリルナイフが、刃こぼれしておる……。信じられない。百人切り刻んでも、研ぎいらずだったのに」
当たり前だ。鱗で覆われた竜の体表に並みの刃物が通用するか!
刑吏は長い針を掴むと「これなら、どうだ!」と、オレの指の爪と肉の間に突き刺そうとした。
「ぐふふ、傷を目立たせず、痛めつける方法のひとつだ」
しかし、パキンッ! と音がして針が真っ二つに折れる。
「おい、いつまで遊んでいるんだ。しっかりやらないか!」
ランスロットに叱責されて焦った刑吏は、千枚通しのような拷問器具を握った。
「こいつの皮膚はすごく固いんです! でもここなら……どんな怪物でも柔らかいはず!」
太い針の尖った先端が、オレの目を狙っていた。
「わああああ、や、やめろぉおおおお――っ!!」
さすがに眼球は、鱗で覆うことはできない場所で竜にとっても弱点だ。
視力を奪われる恐怖に慄く。
身体を揺らして逃れようとするけれど、枷は外れない。
振り降ろされる太針、……ぷすっ!
千枚通しが、オレの左目に突き刺さるっ。
「ギャァアアアァァァ――――!!」
イタイ、イタイ、イ、タ、イ――――っ!!! イタイのヤなのに、何すんじゃ、ごらぁーっ。
ドクドクと血が流れ、左目の焼けつくような痛みに身体が熱くなって、意識が飛びそうになる。
オレの身体はガタガタと激しく振動し始めた。
急速に膨れ上がっていく身体。手足が鉤爪に変わり、皮膚に鱗が現われ、人型から竜へと変貌していく。
「な、なんだこれは!?」
ランスロットは剣の柄を握り、刑吏は腰を抜かして床に倒れた。
拘束されていた身体が膨張して、枷がはじけ飛ぶ!!
ドッカーンッ!!
身体が竜の巨体に代わる。完全に竜化した。だけど、地下室が狭くて、身動きできない……。
傷つけられた目の瞼を開けると、もう完治している。竜化したことで自動回復スキルが発動したんだ。
だけど、地下室の吹き飛んだ扉から廊下に竜顔を突き出し、天井や壁に身体をめり込まされた、間抜けな格好になってしまった。
よし、人化して脱出だ。まだほとんど魔力が回復してないのに、人化すると再度使い果たすことになるが仕方ない。
そして――人化したのはいいけど、服が破けてしまったので困ってしまった。
フルチンで逃げるのって、カッコ悪すぎ。どうしよう?
辺りを見回すと、破壊されて天井も壁も床もボコボコになった部屋の隅に、オレの魔法の鞄が落ちていた。
良かった、ここに鞄があって。拾って確かめる。よし、壊れてない。
中から着替えの厚手の布で出来た、チェニック風の服を取り出して着た。
瓦礫の下からうめき声が聞こえてくる。
この騒ぎでこちらに向かってくる足音がしているから、ここは何より取りあえず脱出優先だ。オレの目玉を千枚通しで突き刺した奴に、情けを掛ける必要もないし。
オレは壊れた扉から飛び出し、逃走した。
「待て――っ!!」
後ろから、バタバタと聖騎士や兵士たちが追いかけて来る。
とにかく下水道まで降りてしまえば、そこはオレのフィールドだ。ここは大聖堂の地下らしいから、このまま下へ降りれば……!
廊下の突き当りは上階への階段だった。下に行きたいのにっ。
ガシャ、ガシャと甲冑や剣のぶつかり合う音が、背後に迫っている。
仕方ない。一先ず階段を登って、追っ手を撒かないと。
階段を駆け上がり、尖塔アーチの回廊を駆け抜ける。高い天井には、女神フレイアと聖人と呼ばれる人々の逸話の宗教画が描かれ、礼拝堂から聖歌が聞こえてくる。
すれ違う僧侶たちは、全力疾走するオレを見て驚いている。
追いかけて来る人数はどんどん増えている。
この大聖堂はダンジョン並みに広くて、ややこしい。
自分のダンジョンからめったに外に出ないオレは、方向感覚が鍛えられていない。
そのせいか、迷ってしまったようだ。さっきと同じところを走っている気がする。
下に行かなければいけないのに、上へ、上の階へと追い詰められるように登って行った。
「居たぞ! あそこだ、挟み撃ちにしろっ」
前からも後ろからも、追っ手の気配がして、咄嗟に小さな扉を開けて中に入った。
薄暗く細い通路の突き当りにまた扉があり、そこを開けると光りが降り注いだ。
大きな窓、壁には書棚。そして、黒檀の重厚な机の前に座って書き物をしていた男が、顔を上げた。
その男はいきなり知らない者が部屋に入って来たので、たいそう驚いた風だった。
「……アーサー?」
オレは思わずアーサーの名を、口にしていた。
いや、アーサーじゃないって分かっているんだけど。でも、すごく似ている。
アーサーをもっと男性的にした感じで、頬骨が高く眉が濃く、顎をしっかりとさせて、喉仏をつけて骨格を骨太にして……。
まだ三十そこそこにしか見えない男が立ち上がると、白絹の法衣に金色のストールを掛け、フレイア教のシンボルを象った黄金とルビーの大ぶりのネックレスを掛けているのが見て取れた。高位の聖職者の出で立ちだ。
ドンドン! ドンドン!
追っ手が、部屋の扉を叩いている。
――あの正面の窓を蹴破って、脱出するか?
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