18 タナトス
珀穂が鋭く鞘走らせたラバーソードは、もはや白い発泡素材で覆われたゴム棒ではなかった。
刀身が透明な氷で造られた日本刀。
たった一刺しでプールをスケートリンクに変貌させそうな冷気を湛えた
白い吐息を漏らした陽明が、震える声でその名を告げる。
「
そして、
それが、
無意識における負の側面『
当たり前だが、あの刀は本物の氷で創られている訳ではない。
つまりは、目の錯覚。
氷刀に肉体を切断できる切れ味はないし、仮に誰かを斬ったとしても架空の衝撃を脳に錯覚させるだけだ。
「(……っ、
陽明の体から漏れ出した
「僕にはさ、理解できないんだよ……いつまでも、いつまでも、君にばかり執着する
錆びた歯車を無理やり回したような声だった。鈍くぎらつく眼光は、殺意にも似た
「かつての君ならまだ理解はできた。だけど、この一年間は我慢できなかった! 無責任に逃げ出して、無様に地を這い蹲っているとしても、『悪魔』を倒すには君の力が必要? ふざけるな、僕はそう思わないっ!!」
裂帛を放った
「僕が倒したかったのは、こんな腑抜けた君じゃない」
くるりと体を上下反転させて、僅かに膝を沈ませた。
「だからさっさと墜ちろよ、敗北者。まだその無様な姿を晒し続けるなら、僕が何度でも力の差を分らせてやる!」
鮮やかなレモンイエローの光を噴射炎みたいに撒き散らした珀穂の体が、ライフル弾みたいに回転しながら飛翔する。
対応など、できる訳なかった。
咄嗟に
「着水により反則一点。これで十五対ゼロ」
放心状態になった陽明は、無慈悲な宣告を水面付近で漂いながら聞いていた。纏っている
「(駄目だ……何をしても、勝てない)」
単純な地力も、使える技術も、
思い出すのは、一年前の夏。
突如として現れた『悪魔』に惨敗して、為す術なく蹂躙された苦い記憶。
視界が、霞んでいく。
救いのない暗闇が目の前を覆って、折れかけた戦意を容赦なく蝕んでいく。
「——ハル君!」
声が、聞こえた。
ゆっくりと、視線を向けてみる。
ピンクのスポーツジャージを着た豊音が、胸の前できゅっと両手を握り締めながらこちらを見詰めていた。薄らと濡れた瞳は、覚悟が結晶化したような力強い輝きを放っている。
「(……ああ、そうか)」
不意に、口許に笑みが刻まれた。
「(やっぱり違う。あの時とは……『悪魔』の野郎に蹂躙された一年前とは何もかもが違う!)」
自然と体に力が戻ってくる。
「助かったよ豊音、お前から貰った『理由』はちゃんとこの胸に刻まれている」
「……せめて、一点くらいは取りたいよな」
正眼にラバーソードを構えた陽明は、肘を折って両手を胸へと引き寄せる。西洋の騎士を思わせる構え。瞼を閉じると、集中した様子で長く息を吐き出していった。
「っ、まさか君は!?」
目を剥いた珀穂が焦燥感を露わに唇を噛んだ。慌てて
だが、遅い。
陽明の体から溢れ出した莫大な
陽明を覆う
まるで、燃え盛る
「——
ばずんっ!! と。
高圧電流が炸裂するような高音と共に、陽明の全身から一斉に
「……は?」
拒絶、された?
胸に突き刺さっているのは、伸ばした手を誰かによって乱暴に弾かれたみたいな不快感。
「(
ラバーソードを見詰めたまま狼狽する陽明へ、上空から珀穂が一直線に距離を詰めていく。そして、絶対に回避できないタイミングで鋭い一閃が放たれ——
ビーーーッ、と。
甲高い電子音がプール全体に響き渡ったのは、まさしくその時だった。
「チッ」
舌打ちした珀穂は呆然とする陽明の隣を猛烈な速度で駆け抜ける。足裏から放出した
「——、」
「え?」
何か、珀穂に言われた気がした。
聞き返そうと顔を向けても、すでに気難しそうな少年はこちらに背を向けていた。そのまま水面を滑るような挙動でプールサイドへ直行してしまう。
置き去りにされた陽明は思わず空を仰いだ。
すっかり高くなった太陽が、天窓からプール内を明るく照らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます