ふいごのように

倉井さとり

 生きたままきもを抜かれる。世の中に、これほど恐ろしい事はない。


 ――彼は生きたままきもを抜かれた――


 こんな一文いちぶんが小説のうちにあったとして。この一文いちぶんに込められたおぞましさは、はかり知れない。

 その字面じづらのおぞましさもさることながら、抜かれた本人の恐怖に思いをおよばせた際の、恐ろしさといったらないだろう。


 自身の内臓ないぞうの当たりにする恐怖。今後こんごの生存の道は限りなく細く、絶望的だ。に関わらず、口は動き、指先に感覚もあり、頭も働いている。


 遺言ゆいごんでもべればいいのか。

 自身の内臓ないぞうき集めればいいのか。

 それとも走馬灯そうまとうを見ればいいのか。


 こんなに血が流れているにもかかわらず、血のせず、意識ははっきりしている。なにをどうすることもできず、腰を抜かし、頭もかかえてもなにも起こらない。目をじ、呼吸をととえる。これは夢だと言い聞かせ、ゆっくりと目をはらく。


 そこにはあるのは自身の影に浮かぶ、自身の臓物ぞうもつ。悲鳴を上げ、後退あとずさる。臓物ぞうもつへびのようにのたくり、あとをついてくる。

 砂や小石にまみれた、赤黒あかぐろへび

 医者も来ず、介錯人かいしゃくにんも来ず、天のつかいもおとずれず、悪魔すらやって来ない。

 痛むはずの傷すら痛まず。体も、たましいも、死のおとずれに気がついていない。それに気がついているのは、自身だけなのだ。


 ――彼は生きたままきもを抜かれた――


 この短文たんぶんには、それだけの恐怖、絶望が込められている。それこそ内臓ないぞうのようにびっしりと、互いに押し合うように、所狭ところせましとめられているのだ。

 その一文いちぶんがその物語にとって、さして重要でなくとも同じことだ。主題しゅだいからどんなに離れようと、どんなに脇役わきやくとしての開腹かいふくであろうと、それは変わらないのだ。

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