第八節4項「ハイドアンドシーク」

「追ってこない……いいや、きっと来る。どうせそんなに簡単に諦める奴じゃないよな。判ってるさ」


 闘技場の外一杯に広がる市街跡へと逃れたティムズは、立ち並ぶ建物に切り取られた、薄白の雲に満ちる長方形の空を見上げ、独り言ちた。


 結果的にではあるが、ミリィが騎槍獅子ランス・リオを『話し留めて』くれたおかげで、距離と時間を稼ぎ、石造りの建物が群れる路地の陰に身を潜め、身体中に受けた負傷の具合と、装備の残りを確かめることができた。

 

 無策の逃走ではなく、街を隠れ蓑にしたゲリラ戦に持ち込むことが狙いではあったが、闘技場での『決闘』でほぼ全ての術符を使い切り、酷使した術弩の霊基も残り僅か。まともに使えるのは幻剣術符と、虎の子の光爆閃術符だけという有様。


 その上、槍を用いた光術砲の直撃こそ避けたものの、その余波と熱は凄まじく、地の滲む戦衣のあちこちが焼け、傷だらけになっている。じわじわとした痛みは集中を阻み、あてがう療術の効果を発揮するには、戦意を奮わせなければいけなかった。


 間が空き、多少冷静になってみると、自分が如何に愚かな真似をしているかを思い直し、溜息をつく。仲間の――特にミリィの忠告……どころではない、激怒した顔が思い浮かぶ。あれはめちゃくちゃ怒ってた。死なずに帰れたとしても死ぬ程殴られるだろう。


「……また怒らせちゃったな」

 暗い路地の石壁に寄りかかり、目を瞑るティムズ。


 幼稚な意地を張っているだけなのは自覚しているし、自省もしている。龍礁監視隊員レンジャーになる以前はこんな風に激情を露にする事はなかった。ずっと、人並に、礼節のある大人しい若者でいようとしたし、概ねそうであったはず。


 そんな性格を培った理由には思う所もあるが、迫る驚異は記憶に浸る時を許さなかった。


 近付く威圧の気配を察知したティムズの目が開く。

「……!」

 そして、空中を疾走するランス・リオの走駆音が鳴り響いた。


「やっぱり来たか。さあどうする……!」

 禁識龍の次の一手への問いであり、自身への問い。


 ティムズが危惧していたのは、槍光砲による空から都市への無差別爆撃。その気になればこの街そのものをティムズの墓標にすることもできるだろう。


 だが、ランス・リオは徐々に高度を下げると、ティムズの潜む小路地よりだいぶ離れた大通りへと降り立ったようだった。入り組んだ都市や屋内においては、あの龍の体躯は動きを大幅に制限されることは、相手も承知のはず。


「……そうか。俺に付き合ってくれるのか」

 ティムズもまた、ランス・リオが『手を抜いている』ことに薄々気付いていた。


 そして彼の龍も、この雑兵の目論見を知った上で相手になるつもりなのだと確信し。


 恐らくはこちらの気配で大まかな位置を把握して向かってきているのであろう、騎槍獅子の刃圏へと。建物の陰から陰へ、静かに静かに忍び向かっていった。



 ―――――――――――――――――――



「……ティムズの狙いは潜伏戦だろう。仮に屋内なら長物ながものは扱いにくいし、機動も体躯も小回りの利くティムズに若干の利がある。日頃から出来る限り戦場を選べと教えていたのを思い出したか」

「そんなのはどうでも……どうでもよくはないけど、どうしてあそこまでムキになれるの?あいつは当然としても……ランス・リオの方だって」

「さあな。終わったら聴いてみると良い」

「喋れる状態で帰してくれればね」


 ティムズが悪いとは思いつつも、いきなり出てきて一方的な要求を強いる龍も龍だ。ミリィは精一杯の皮肉を吐き、思い当たった方策について必死に思索を巡らせる。


「ミリィ、何をするつもりだ。ティムズに加勢するなら我々もただでは済まないと判っているだろう」

 そんなミリィに、些か棘のある口調で睨みつけるパシズ。

 この状況で打てる手はなく、苛立ちを募らせていた。



 すると、この場を去ったランス・リオの畏怖テラーから回復した楊空艇マリウレーダから、このような状況に至っても尚、呑気を顕現するタファールの伝信が入る。


『おおい、聞こえるか?状況は?無事か?』


「!色々と聞きたいのはこちらの方だ。今まで何をしてい……いや、それはいい。禁識龍ランス・リオと遭遇した。ティムズが一人追われて市街地跡へと逃走。現在交戦中と思われる」

 素早く応答したパシズが口早に現況を報告し。


『はあ?』伝信先で複数の困惑する声。


「この地を去れと云う”忠告”を撥ねつけたからだ。それにティムズは文句をつけて……とにかく、タイマンを張ってる」


 口にしてしまうとかなり陳腐な表現に頭痛がするパシズ。しかし現状を簡潔に表す表現は、すぐにはこれしか浮かばなかった。


『…………』長めの間。恐らくピアスンもタファールもあんぐり口が開いている。


『……で、それで。どうすんの?援護したらあの光線がこっちにも向くって事よね?』

 状況を飲み込んだレッタがようやく反応し。


「ええ、ランス・リオに手を出せばね。でも、ティムズに何かしちゃいけないとは言ってなかった」

 思索をまとめたミリィが続いた。


「まさか、ランス・リオより先に私達でティムズを捕らえて折檻しようと言うのではあるまいな」

「そうしたいのは山々だけどね」


 不躾な部下の不始末は自分達の手で。パシズのぶっきらぼうな物言いに薄く緩みかけたミリィの表情が、また真剣なものになる。


「マリウレーダに搭載している予備も含めて、ありったけの術符や装備をティムズに渡す」

「それでもきっと勝てない。だけど今のティムズの防御力じゃ掠っただけでも危ない。それに――」



 ―――――――――――――――――――――



「がはッ……!!」


 奇襲を繰り返していたティムズは、何度目かの攻防で『一撃』を喰らい、地面に転がり倒れた。


 大通りを闊歩するランス・リオの不意を突こうと、あの手この手(例えば石をあらぬ方向に投げて音を立ててみたり)を使って近づくが、人間以上の知性を持つ龍相手には全くの無意味。


 逆に、『槍』の挙動に気を取られすぎていたティムズの隙を突き、ランス・リオは『素手での掌底』をその胸を撃ったのだった。


「…………ッ!!」

 

 気絶を免れたのは戦衣の耐久力と、自分自身で発動したごく僅かな術盾による。龍が本気で打っていないだけでもあるが。血を吐き、激痛に呻きながらもティムズは這うように建物の中へと飛び込み、再びランス・リオから逃れる――。


 しかし、ランス・リオの槍は隠れた標的を追って建物の石壁を容易く粉砕し。  

 ティムズは弾け飛ぶ破片の雨の中を身を低くして奥へ奥へ走り。


 別の建物、別の路地、別の区画へと移動しながらのかくれんぼは続いた。



「――畜生、強い……!所詮俺なんかじゃ……」


 広大な敷地を持つ邸宅跡の一室に逃げ込んだティムズは、まだ身体が動く事を自分でも不思議に思いながらも、一矢報いる事すらできない差を諦めかけていた。


 ぐったりと座り込み、やはり自分がこうべを垂れる結末しかないのかと思う。


 龍礁監視隊員レンジャーとして数々の戦いを経て、成長してきたという自負はあった。しかしそんなものは思い込みにすぎなかった。敵わない強者には屈服し、従うのが自然の摂理だ。


 ――だけど、俺にだってやれることはある。意志だって。力が全てじゃない。


 絶対的な従属を強い、どうしようもない差の力を振るうランス・リオの言動は、健在だった頃の『祖父』の姿と重なるものだった。

 

 少しでも意に反しようものなら、暴力と怒りで抑え付けてくる相手の機嫌を取るのが、物心ついてから最初に覚えたこと。へりくだり、なだめすかし、誤魔化しながら、『祖父』が思う良い子であり続けなければいけなかった。そしてそれはどんな相手へ対してもそう振る舞おうとするティムズの処世術を作った。


 やがて成長し、祖父への反抗心が目覚める頃、祖父は病に倒れる。

 心の底から恐怖し、憎悪していた相手は日に日に瘦せ細り、弱っていき、やがて死んだ。


 行き場を失っていた熱い泥の様な憎悪は胸に留まったまま。それが絶対的な強者を前にし、再び蘇り、噴き出してしまったのが、反発する理由の一つであった。


 ――痛みで教えるだって?上等だ。こっちだって痛い目に遭わせてやるよ。一発くらいはな。


 ティムズは諦めをねじ伏せる。だが幻剣での攻撃では体表結界を崩す事すら出来そうもない。遥か格上に通用しそうな手札は、至近距離での光爆閃術符の起動だけだった。なんとか死角から肉薄し、脚にお見舞いしてやるのだ。


 ――手段と目的が入れ替わっちゃってるってやつか。


 窮地に立たされた者の自爆覚悟の常套手段にティムズは苦笑する。だが、相手に少しでも打撃を与えられれば、もうそれだけでよかった。 



「無様なり 信念なき戦いに傷付き 力なき反発に酔い 一縷の勝機に縋ること まことに滑稽」


 ティムズが潜む邸宅の中庭に、歩み来たランス・リオの厳かな声が響き渡り、青年の自重の笑いは引っ込んだ。


 人間の微弱な気配を追う禁識龍は、その具体的な位置は判らずとも、確かにこの邸宅の何処かには潜んでいると察知しているのであろう。そしてティムズの思惑を読んでいるかの様に、尚も言葉を続けた。


「繊弱な玩具に頼り 雪辱を晴らそうとする姿 愍然この上なし」

「憐れなり あまねく生きるものが 知るべき本質を知らぬ子よ」


 ――なんだよそれ。あんたが俺の何を知ってるって言うんだ。


 ティムズはぎゅっと目を瞑り、心中でランス・リオの言葉に反論する。

 すると、それもまた聞き取ったと言わんばかりに。


「そう 二親から見放され 生きる為に必要な決定的なものを学ぶことなく」

「……!!」

「ティムズ=イーストオウル 出会った者の眼は その魂を形作っているものを全て宿している」


 黒い両眼りょうまなこを静かに開いた青年は、慎重に忍び立つと窓際に背中で張り付き、物陰から中庭の様子を伺う。


 二階の居室からは、槍を立てたランス・リオの斜め後ろ姿が見えた。こちらを見てはいないし、今すぐに攻撃する意志はない様子だった。だが、少なくとも自分自身を全て見透かされような気がしたティムズはまた壁に隠れずには居られなかった。


 ――罵倒わるくちのお返しのつもりかよ。そんなのでのこのこ飛び出すとでも……


「病に苦しむ 祖父ですらない男を見殺しにした 何もしなかった」

「結局 手を下すことも出来ずにただ眺めていた事を ずっと悔いている」


 ティムズは、心臓を冷たい手で握り潰されたような気がした。


 言葉を交わし、刃を交わし、目を交わし。相手ティムズの記憶を探り読んだ龍の口調はまた少しずつ変化しながら、その人格を覆っていた膜を易々と破って、曝け出していく。

 誰にも話した事はなかったし、一生誰にも話すつもりのなかった事実だった。


 ――違う。違うんだ。あれは。あの時は。じいさんは何も言わなかった。でも、こっちを見ながら目で訴えかけてたんだ。このままでいい、と。


「それも自分で納得できる解釈をしただけに過ぎない」

「半ば殺人者となりながらも 復讐心も満たせず 何も出来なかった悔いから逃げただけ 同じ病で倒れた祖母も見捨てて」


「……!」

 ファスリアを離れた本当の理由を突かれ、ティムズは動揺する。


 ――でも、それだけじゃない。ちゃんと稼いで不自由ない暮らしをさせたかったから――


「建前の作り方は一人前 それすらも逃避の口実 他人を そして誰よりも己を騙すすべなり」


 ――そこまで。そこまで判っているなら。俺の過去を知れることができるのなら。


 どうしようもなかった事だって判るだろ。俺に何ができたんだ。俺はどうすればよかったんだ。これから俺はどうすればいいんだ。そんなことは全て切り捨てて、龍礁監視隊員レンジャーとして働くことが、皆の為には一番のはず。


「認めろ 己の境遇と立場と限界を」

「望むものに決して手が届かぬことを これまでも これからも」

「無価値な使命感の奴隷に 力があるという過信が 自惚れにすぎぬということを」


 思考の逃げ先を封じてくるランス・リオの言葉が、ティムズがなんとか保っていた戦意を挫いていく。壁にもたれたまま、ずるずると座り込み、ただ項垂れたティムズは、あらゆるものを上回る相手から身も心も隠そうと小さく身を縮め、震えていた。


「我はここで待とう いつまでも」


 ランス・リオはそう言ったきり、あとは何も言わず。

 時折、吹き抜ける風の音だけが時を刻んだ。


 

 無力感と過去に苛まれるティムズの思索の外で一体どれほどの時間が経ったのかは判らない。数秒かもしれないし、数分かもしれなかった。竦んだ心は騎槍獅子の前に再び立つ勇気を失いかけていた。


 居間で待ち構える祖父。どんなに取り繕っても制裁を浴びることが確定している。


 逃げることはできない。いずれは立ち上がり、自ら歩み出て。




「見つけた。まだ無事?死んでるみたいにも見えたからどきっとしちゃったけど」

「……っ!?」



 塞ぎ込み、顔を伏せていたティムズは、突如囁きかける声にしこたま驚く。

 顔を上げると、口元に人差し指を立てたミリィが居室の入り口に立っていた。


「しーっ。何やってんの、そんな青い顔して。さっきまでの威勢はどうした」

「な、なんで……?」


 色々と問いたいティムズの呆然とした声にお構いなしに、ミリィは何やら大量に持って来ていた革袋や鞄をどさどさと床に放り落とすと、少し笑ってみせる。


「ほら。喧嘩するのにその装備じゃ不安でしょ」

「対最上位龍用の装備一式。これだけあれば戦い方も選べるんじゃない?」


「そ……それはそうだけど。何故。どうして」


「お忘れの様ですが。私達は龍礁監視隊員レンジャー。逃げて隠れる者を追い駆けて見つけ出すのが本領だもの」


 ミリィは逃げ隠れるティムズの痕跡を追い、更にはランス・リオにすら気取られる事なく、先にティムズを見つけ出したのだった。


「相変わらず気配を隠すのが下手くそなんだから。それに、識別信号トランスポンダーを切るのも忘れてるうっかり者だしね」

「あ」

 はっと気づいて、慌てて信号を切るティムズ。ミリィは勿論の事、ランス・リオにも自分の気配を追われる手掛かりになっていたのだった。


「……私達は直接手を貸さない。でも道具を貸すなとは言われてない。だから私達に出来るのは、これだけ」

 革袋から些か乱暴に大量の術符を床にぶちまけるミリィは、相変わらず唖然としているティムズの目問まどいに応える。


 始まってしまったものは仕方がない。ティムズが龍に平伏せば終わる戦いではあるが、ランス・リオは知恵で抗えと言った。ならばこれも一つの解答だ。


「どうせやるなら全力で負けてきて。使えるものは全部使って。あなたが私達全員の力を示して、そして負けるの」

「…………」

「それで良いんでしょ?」


 尚も信じられない、というティムズへ、最後に布に包まれた棒を差し出したミリィは真剣な、しかし少し呆れたような、面白そうな表情で、青年の意志を確かめた。


 パシズが託した対龍槍だった。


「応援なんてしない。戦いの決着を見届けるつもりもない。だけど、最後までやりたいなら、思いっきりやってみて」

 ミリィの表情も口調も硬かったが、その紫の眼差しだけは穏やかな光を帯び、ティムズの眼をしっかりと見つめていた。


「……ああ」

 ティムズは対龍槍を手に受け立ち上がる。


 負けは必至。しかしヒトは一人ではない。今のティムズは、敵うはずもない相手にも立ち向かう助けを得られることができる。意志をぶつけ、示すことができる。


 その結果が目に見えていても、そこに至るまでに死力を尽くし、納得することが出来れば、本来在るべき場所に在るはずの心を、ようやく見出す事が出来るはずだ。

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