第六節9項「サーカス」

「総本部からの輸送特務隊が本日到着し、エヴィタ=ステッチの解体と、リドリアまでの輸送を担当する手筈になっている。どうやら作戦の通達を出した時点で編成を終え、出発していたようだな。……捕縛の成否に関わらず」

「用意が良いわネ。失敗したらその分の損失もこっちに押し付けようってつもりだったのかしら」


 

 マリウレーダ隊がパーダリバーと邂逅し、追跡した翌日のこと。


 早朝からジャフレアムの執務室に呼び出されたマルコが、収得に成功したエヴィタ=ステッチの身体素材の輸送の段取りについて話し合っていた。


「ああ。しかし結果的にはF/III級の身体素材を丸ごと獲得した形にはなった以上、この件については総本部リドリアも文句は言えないだろう。龍性を失った抜け殻だと気付かれなければいいが」

「問題ないワ。処理は完璧」

「これで時間の余裕は出来た。あとは総本部の最高委員会の排斥を進めるだけ……」

「なんだかワタシたち、悪者っぽいわネ」


 マルコが、その太い声でくくくと笑ってみせるが、ジャフレアムは冗談に付き合うような性格ではない。軽く一瞥だけを返すと、

「ご苦労だった、ありがとう。マルコ」

 今回の件で、特に素材の扱いについて大いに貢献した、艶麗えんれいの大男に礼を告げた。


「ところで、ハイネの様子はどう?」

「……地上警備隊ベースガードに被害が出た事に動揺している。自分の命令で死なせてしまったと」

「そう……折角引きこもりが治りかけたのに、それじゃあ困るわネ。判った。ワタシから話をする」

「頼む。こればかりは、私には……向いていない仕事だ」


 溜息をつくジャフレアムに、マルコの顔がにやついた。

「アナタなら、笑顔の一つでも見せれば大抵の女のコの悩みなんて吹っ飛ぶわよ?」

「手段を選ばない、と言うのなら、そういう手も使わなないと」


 からかい半分だが、マルコの言葉は尤もでもあった。ジャフレアムは、一段と大きな溜息をついて、渋々納得したように呟いた。

「……練習しておく」



 ――――――――――――――――



「さ、て、と」


 ジャフレアムとの面談を終えた"マリー"は、爽やかな朝を満喫するように、龍礁本部棟の瀟洒な廊下を歩き、自らの職場となる素材管理部へと向かっていた。

 

 エヴィタ=ステッチ戦は第四龍礁に痛手を遺したが、それを癒すには、前に進むしかない。アダーカ隊のゼェフとカルツは翌日にも退院し、すぐにも北部基地に戻る予定になっていた。その準備や、どっと戻って来た通常業務に追われる職員たちが、せわしく行き来をしている。


 そして、一階中央ロビーにも、今日一日の始まりに勤しむ龍礁職員たちの姿と、



 ロビーの中央に立つ、黒衣の少女の姿があった。


 ――――――――――――――――――――



 きょろきょろと辺りを見回す少女の、頭に着けた黒い頭飾りが揺れている。


(……子供……?)

 

「なぁに?どうしたの。見ない顔だけど、見学?申請はしてあるのかしら?」

「……ここに、四日前に倒した高位龍の素材を保管してあるんでしょ?どこ?」

 

 見たところ十代後半の少女の違和感が引っ掛かり、声を掛けたマルコを一瞥したリャスナは、また辺りに視線を巡らせながら、言った。

 その返答と、明らかな術装束を纏うリャスナの姿に、マルコの違和感は、疑念になる。

「……アンタ、誰?何をしに来たの……」

「質問してるのはこっち。早く答えてよ。面倒くさいから」

「ちょっとこっちに来なさい。詳しい話を聞かせて貰うわ」


 マルコが、少女の術衣越しにその細い腕を握った時、

「……気持ち悪いオカマ。私に触んないで」

 彼女の紅い瞳に、黒い光が走ったのを見た。


「お前……まさか」マルコの声が、低くなる。

 黒衣。少女。法術士。密猟者。

「ティムズと戦った、リャ」

 マルコの言葉は途切れた。




 少女の至近距離での炎術は、目の前の男の身体を一瞬で焼き尽くした。その黒衣に炎光が照り返り、大きく旗目はためく。

 何処からとなく女性職員の悲鳴が上がり、反応した周囲の職員たちの目は、ロビーの中央で豪炎に吞まれ、崩れ落ちていく影を、見ずにはいられなかった。


 埃を払うように肩や腕を軽くはたいたリャスナが、何事もなかったの様に、まだ事態を飲み込めていない職員たちに語りかける。


「ほら、誰でも良いから素材の場所を教えてよ。自分で探すのは億劫なの」


 悲鳴を聞いた地上警備隊ベースガードの数名が、素早くロビーに飛び込んできた。ロビーの中央で立つリャスナと、その前に立ち昇る炎の正体に気付いた地上警備隊ベースガードは、即座に叫ぶ。

「全員、逃げろ!早く!!警急、ケース5だ!!」


 混乱が起きた。その場から離れようとする職員たちの群れを掻き分けて前に出た地上警備隊ベースガードが、リャスナを包囲する。

「それ以上動くな。抵抗すれば命の保証はしない」


 先頭で剣を抜き放った地上警備隊ベースガードへ、リャスナは心底の軽蔑の眼差しを向けた。

「どいつもこいつも。物分かりの悪い大人って大っ嫌い」

「お前が例の、リャスナという術士だな。正名を名乗れ!」

「………」


 リャスナに姓はない。そんなものはとっくの昔に捨てていた。ただ、彼女には一つだけ気に入っている言葉があり、それを自らの仇名として用いていた。


 サーカス。

 円形の舞台。愉快で騒がしいもの。または、賑やかなひととき。



 ―――――――――――――――



 少女の圧倒的な高位炎術の前に、取り押さえようとした数名の地上警備隊ベースガードが斃れる。地上警備隊ベースガードが持つ装備では、こういった類の法術戦には対応しきれなかった。


 眼前で容易く行われる殺戮の前に、残された地上警備隊ベースガードはそれ以上近寄れずにいた。

「こんなことはやめろ。罪をそれ以上重ねるんじゃない……!」

「私に説教をする事こそが罪だってことを判ってないようね」


「……こ、の、ガキがああぁッ!!」

 激昂したオーラン=ベイストが術弩を抜き、撃った。

 しかしその光矢はリャスナの周囲を転回する複数の三角形の術盾によって呆気なく防がれる。

「撃つってことは死ぬ覚悟はできてるのね。じゃあ次はあんただ」


 リャスナが素早くオーランに跳ね寄り、術弩を持つ手に火炎を纏わりつかせた。苦悶の声を上げるオーランを助けようと、傍の地上警備隊ベースガード達が斬り掛かろうとしたが、周囲を渦巻く赤と青の蛇炎が阻む。


 しかし、リャスナは片眉を上げて、オーランへの止めを思い直した様だった。

「ああ、殺すから駄目なのか。思い出した。人は死よりも、痛みに屈服するんだった……」

「という事で、焼かれたくなかったら、とっとと素材の在処を教えなさい。まあ、あんたは焼けてもあんまり変わらないかもだけど――」

「……っ!」


 口角を吊り上げて笑う少女を守る、炎術の渦を散らした何者かが飛び込んできて、リャスナはオーランを離して後方へ跳んだ。

 本当は状況を静観するつもりだったエフェルト=ハインが、耐えきれずに術拳を全展開して『殴り込みをかけた』のだ。エフェルトは、少なからず、同じ釜の飯を食った仲間達への仕業を、このまま目の前で見過ごす事はできなかったのである。


 後ずさったリャスナは少し目を丸くした。エフェルトの拳に纏った術式に興味を持ったようだ。

「なあに?それ。かなりの威力じゃない。どこでそんなの覚えたの」

「うるせえ!!余裕ぶってんじゃねえぞコラ!」

 

 怒りに任せて再び跳び掛かるエフェルトを、再構築された炎の帯が絡めとろうと渦を巻くが、エフェルトはそれを『殴り散らし』、リャスナへの距離を詰めていった。


 しかし、力量差は如実なものだった。拳での術破壊は一時的なものでしかなく、徐々に対応しきれなくなったエフェルトの周囲に炎の円が迫る。狭まる火炎に包まれ、エフェルトの衣服や黒キャップはじりじりと焼け始めた。

「くっ…!くそっ、くそッ……てめえは絶対に……!」


 その時。


「待て、待て!要求は全て吞む!」

 現場に現れた副局長補佐、キブ=デユーズが両手を挙げながら、リャスナと、炎に包まれたエフェルトの間に割り込んだ。

地上警備隊ベースガード!下がるんだ。これ以上の犠牲は無意味だぞ!」

「術士隊も手を出すなよ。彼女の力はお前達よりも遥かに上だ……」


 ふっ、と炎が消え、エフェルトが床に倒れた。かなりの火傷を負い、立ち上がることもできずに呻いている。男女二人の術士が慌てて駆け寄り、リャスナへ恐怖と嫌悪の表情を向けながら、彼を引きずっていった。


 同じか、少し背の高いくらいの中年の『上司』の言葉に、リャスナは、やっと話が通じる相手が来た、と呆れた表情をする。

「だからさあ!何度も聞いてるじゃん。最高級の龍族素材の在処は何処だって」


「……お前の言うような高位素材は、今はない。全て、既に出荷した後なんだ。楊空艇が新たに収集したものを搬送してくるまでは、一般的な F/ I素材しか、ない。その代わり、望むだけのものを、やる」


 両手を挙げたままのデユーズの目が泳いだのを、リャスナは見逃さなかった。

「嘘付け。ジジイ。私は見たの。四日前に白くて気持ち悪い龍を仕留めたでしょ?」

「……!」

「馬車一杯の低位素材より、袋一つの高位素材の方が高価値。そんな事くらい判ってる。あなたが一番偉い人なのかな?正直になるまで、じっくり弱火で炙ってあげるわ」


 ――――――――――――――――


 紫長髪の男が、ロビーの中二階の階段をゆっくりと降りた。その内心にあるものは、誰にも推し量る事はできない。最善を尽くし、万難を排したつもりでも、唐突に吹く風は、その花を呆気なく散らす。

 

 その風が彼の髪と、文官然とした黒藍色の装束を揺らめかせる。一歩一歩を踏みしめ、ついにその場へと至る。


 騒ぎに気付いた時には手遅れだった。執務室を飛び出し、この場に駆け付けたのは、キブが割り込み、エフェルトが倒れたまさにその瞬間だった。キブの交渉が通用しない相手だと知り、最早、後がない事と悟った。


 そして、ジャフレアム=イアレースは、口を開いた。


「待て。私が相手をする」



 ――――――――――――――――――――


 

 リャスナは、階段の途中で立ち止まり、こちらを見下ろすジャフレアムの振る舞いと容姿に、思わず笑ってしまった。この男……と言うには、余りにも線の細い、軟弱な文官にしか見えなかった。


「……何言ってんの?あんたの言う事を聞いて、私が得する事なんてないわよね」

「そうだな。私を倒せば、あとは好きにできる、といった程度か」


「……馬鹿め」

 リャスナはにやりと笑い、素早く、眼前のキブに向かって炎術を飛ばした。冷静ぶる相手の話など聞く必要はない。ああいう手合いには問答無用で仲間を仕留めてみせるのが効果的だ。


 だが、それよりも早くキブの前に術盾が組み上がり、それを防いだ。

「!」

 リャスナは、再び階段を降り始めたジャフレアムに視線を戻した。

「あんたもか……」


「デユーズ氏、皆と出来るだけ離れてくれ。多少、派手にやらせてもらう」

「………」

 決言したジャフレアムと、それを睨み上げるリャスナの表情を見比べたキブが、じりじりと後ずさり、静かに呟いた。

「聞いたな。皆、ここを離れろ」


 ジャフレアムは一階に降り立ち、リャスナからは大分離れた位置で立ち止まった。



 先に仕掛けたのはリャスナ。


 複合式による二重の炎が周囲を舐め尽くしながら対象ジャフレアムを挟み込むように襲う。


 だが、微動だにせずにジャフレアムが霊葉を呟くと、迫った炎は、先端から術式光へと分解され、最後に弾けて消えた。


 波動。ロビーを中心とした周囲の窓ガラスが全て吹き飛び、割れる。


 ジャフレアムの周囲に、ありとあらゆる図形が浮かんでは消えた。流動する立体の法術陣。それはただの立体ではなく、高次元にあるものの映し絵でもある。


複合連式使いダブルか。確かに強力だが、正規の方法で習得したものではないな」

 呟くジャフレアムを、リャスナは不敵な笑みで返した。リャスナも知らない術式を扱うこの優男は、リャスナとはまた別種の高次法術士ハイ・ソーサラー。恐らくはリャスナと出逢った者の中でも最も強力な術士だろう。

 

 苛立ちと高揚のままに、リャスナはどこまでも冷静な深緑の瞳を持つ男に、言い放つ。

「あんたみたいな奴のツラをさ、涙と血でぐっしゃぐしゃにしてやるのが一番最高なのよね」


「そうか、趣味は合わないようだ」 

 ジャフレアムは、その色の印象とは全く異なる、どこまでも冷徹な深紅の瞳を持つ少女の言葉を、否定した。


 そして、第四龍礁本部棟に『迷宮現化メイズドナイズ』を施した。



 ―――――――――――――――――――――


「………っ……!?あれっ?先輩!?」

 一階の廊下を全速力で駆け抜け、角を曲がったアルハが、置いていったはずのカルツの背中を見つけて慌てて立ち止まる。


「!?何してんだ、まさか迷っ……んなわきゃねえか、何が起きてるんだ」

 肩で息をしつつ戸惑っているアルハに、カルツも同じように困惑の表情を浮かべる。



 アルハは、入院中の龍礁監視隊員レンジャーたちの元へ見舞いに訪れていたところ、ロビーでの騒ぎを知り、すぐさま飛び出して現場へと向かっていた。その後を、比較的軽傷で済んでいたカルツも追った。左腕の包帯は取れていなかったが、全身を強く打ったゼェフよりは幾分マシだった。


メイズドナイズ迷宮化……!」

 アルハが廊下を見ながら呟く。見ている間にも、扉や窓の配置がゆっくりと歪み、目が回る様な錯覚を覚える。まともに真っ直ぐ立ち続けるのも困難な状態だった。

 ロビーを中心とした一帯がかなりの術度で歪められており、何者の出入りも封じられていると思われた。



 万に一つの可能性に備え、あらかじめ用意されていた防衛機構は、個人による龍礁本部襲撃、という、文字通りの万が一、龍礁史上でも極めて稀な今日の事件で初めて発動されたのだった。

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