第五節14終項『りゅうおいびとは、沃野の果てへ』
「……………」
「………ひまだ……」
ティムズは、見飽きた病室の天井に向かって、溜息をついた。
黒衣の法術士・リャスナに敗北を喫し、重症を負って療術棟に入院してから三日。
その中の一室。寝具の上でぼうっとしているティムズは、天井の木目の数を数えるのに飽きていた。面会謝絶を喰らって以降、殆ど人と会っていない。エヴィタ=ステッチ捕獲の件は伝え聞いてはいたが、この状態では何もしようがなかった。
そこに、少しは喋ってくれるようになった、例のぶっきらぼうな療術士が包帯を替えに現れる。何度か顔を合わせる度に、少しずつ会話を交わしてくれるようになっていはいたが、その代わり、非常に口が悪いという事も判っていた。
「……思ったよりは治りが早い。致命傷の様に見えたんたが……パシズと良い、
「皆のおまじないが効いたんじゃないですかね」
「そんな訳あるか。だがまあ、この調子なら数日の内に退院できるだろう」
「それなら……エヴィタ=ステッチの捕獲に間に合うかな」
「アホめ。退院できるだけだ。無理に動いてみろ。また血が噴き出すぞ」
包帯を巻き終えた療術士が部屋を去り、再びティムズは横になる。
「いてて……くっそ、こんな時に寝たまんまで居られるかって……!」
そして、目を瞑り、疼く傷跡を塞ぐイメージを浮かべながら、一刻でも早く身体を治すべく、全身全霊で、休むことに集中した。
―――――――――――――――――――――――――
連日連夜、徹夜で検討に検討を、重ねに重ねた者達の
「ハァイ、マリー」
「あら!ハイネ……って呼んだらだめネ。副局長、どうしたんです?」
銅色の髪の女性が、会議室の片付けをしていた屈強な体躯を持つ乙女に声を掛けた。
普段は執務室に籠もりきりの副局長が、こうして階下に降りて来る事は珍しい。マルコは久しぶりに姿を現したハイネを不思議そうに見る。普段着用しているドレスの様な私服ではなく、今日はきちんと、規定の制服を着ていた。
「やだなあ、畏まっちゃって」ハイネは困ったように笑った。
「一応副局長ですしネ。公の場では弁えないといけないでしょう」
「じゃあ副局長として命令します。敬語は、禁止!」
「はいはい、判ったわよ」
同い年で、色々な趣味も合う二人は、仲が良い。事あるごとに一緒にお茶をしたり、お菓子を食べたり、ファッションがどうとか、髪型がどうとか、第四龍礁で誰が一番イケメンか、などのお喋りに興じたりしているのだ。
「で、今日はどうしたの?」
「作戦の承認は、私が直接、現場でしてくれ、ってジャフちゃんにお願いされちゃってさあ」
「………」
あっけらかんと答えるハイネに、ふと、マルコの笑顔が消え、声が低くなる。
「成る程、アンタがここのボスだって事を、改めて宣言させるのか。皆の前で」
そして、薄笑った。マルコもまた、捕獲作戦の裏で進む『異動作戦』の内実を知る、数少ない者の内の一人だった。
「細かい手も全て使っていくのネ、あのコ。ほんっと容赦ないわ」
ジャフレアムが幾つも張り巡らせている手の一つ。ハイネの立場と手腕を演出し、
「お飾り副局長からおみこし局長にレベルアップ。頭が軽いわたしには適任よねえ」
「担ぐのは任せなさい。絶対に落っことしたりはしないから」
「マリーなら一人で担げそう」
「このか弱い腕で?」ムッキムキだ。
二人は笑い合う。その間にも、会議室の設えは進み、エヴィタ=ステッチ捕獲作戦会議の準備が整いつつあった。
マルコは部屋の様子を振り返る。
「……そろそろ始まる。応援してるわよ、副局長さん」
「ありがとう、マリー」
ハイネは、マルコの微笑みに応えると、会議室に用意された席へと向かう。
滅多に姿を見せない、妙齢の最高責任者が唐突に現れた事に、龍礁職員たちは目を丸くし、彼女がその中を歩み抜け、着席する様子を見ていた。
――――――――――――――――――
大勢が見守る中、中央に寄せ集められたテーブル上に展開された、第四龍礁地図を取り囲む者たち。地図上には様々なアイコンが浮かび上がり、戦術に必要な情報を示している。
パシズが指し示す。
「目撃情報、家畜の被害の分布、アダーカ隊の観測記録。移動パターン、気象条件……様々な情報を統合した結果、エヴィタ=ステッチの出現予測地点はレベルB、北部と中部の中間地点にある沃野部を中心とする一帯と断定した」
レッタが続く。
「アダーカ、マリウレーダ両基を、領域を挟む様に配置。それぞれを極として、相互の防護結界を同期、共鳴させる事で、理論上は外縁結界と同等の強度になる術式による磁界……言わば『鎖』を生成し、エヴィタ=ステッチを拘束。そのまま封龍牢へと移送します」
再びパシズ。
「但し、この一帯は未制圧地域でもあり。ロロ・アロロなどの出現、遭遇の可能性を捨てきれない。よって、作戦領域の周囲、特に洞穴が数多くある北西部を
それぞれの担当を担う結界術士、
「封龍牢の準備は万全です、結界術士も数に不足はありません」
「
レッタが、地図上に指を滑らせた。
「北部と中部の境界に広がる沃野」地図に、次々と術式が走る。
「輪、線、円、そして、点。補足したエヴィタ=ステッチを誘導し、追い詰め、場を作り……」
作戦を構成する要素をなぞり、最後に指を鳴らし、展開した龍礁の全戦力の真ん中に、F/III龍を表すアイコンを浮かび上がらせた。
「ここで、勝負を仕掛けます」
「……以上だ。質問はあるか?」
パシズが、前方の席に座り、地図を食い入る様に見つめているジャフレアムに言った。
「出現地点をこの地点に断定した、最終的な根拠を聞かせてくれ。各種情報を元にした推測は今までも何度も行ってきた。しかし完全な予測に成功した事はない。何故今回は、確かだと言い切れる?」と、ジャフレアム。
パシズは少しの間、言葉を探し、やがて口を開く。
「……私の、勘だ。
「…………判った」
ジャフレアムは暫くパシズの眼を見つめ、呟いた。
「レッタくん、その……鎖だが、楊空艇にそんな機能があるとは聞いた事がない。
本当に可能なのか?それに、アダーカの方にも準備が要るだろう。調整や試験もせずに使用出来るものだろうか」
「マリウレーダをホストにします。術式は全てこちらで展開し、アダーカはその媒介になるだけでいい。確かに理論上では、ですが、私はマリウレーダを起こす為に数か月間、あの
手元の資料に目を通していたキブが言うが早いか、レッタがすぐさま反応した。
第四龍礁創設以来、最高の天才と謳われる異国の楊空艇技師の自信に満ちた目に、キブも静かに頷いてみせた。
「きみがそこまで断言するのなら、信じるしかないな」
ジャフレアムが額に拳を
頭痛に耐えるように眉をしかめる、いつもの表情を見せたジャフレアムの、深緑の眼が開き、もう一つの重要な事柄について、口を開く。
「……最も肝心な事は、如何にしてエヴィタ=ステッチを、捕縛可能な高度まで誘導するか、だが……」
ジャフレアムは、パシズの決然とした表情に、既に答えを見出しつつも、尋ねた。
「地上に散開した、
どよめく一同。
後方で、パシズとレッタの具申を聞いていたミリィが、身を乗り出した。
「……!?待ってよパシズ!その件はアダーカ隊の三人とも話し合ってから決める、って言ってたじゃない!」
「ミリィ、下がれ。重要な戦術上申の途中だ」
「パシズ!」
「……………」
「おいこら!おっさん!」
中央に乗り込もうとするミリィの、あまりの剣幕に驚いた周囲の職員達が、ミリィの服を引っ張り、押し留める。その様子を目端で捉えたジャフレアムが、尋ねた。
「納得できる理由があるのだろうな?」
「ちょっと、離してよっ!」
「どうどう」
背後でもみ合うミリィと職員達を尻目に、パシズはその『理由』を答える。
「奴の急降下と上昇速度は楊空艇を遥かに凌ぐ。エヴィタ=ステッチを『鎖』の射程に捕えるまで、地表に引き付けておけるのは、私しか居ない」
「でも、それなら私の方が速いッ!」
「追跡、逃走だけならな。今回は、時間を稼ぎ、その場に留めるのが目的だ」
「だけど、たった一人でっ……」
尚も反抗するミリィを遮るように、パシズは続ける。
「奴もF/III。相応の知性がある。我々が罠を張って待ち構えていると知られれば、警戒され、逃げられるかもしれん。故に、私が一人で沃野に立つ。私以外の者は付近の森陰に潜伏し、エヴィタ=ステッチの降下を確認後、包囲と共に援護を頼む。そして楊空艇の接近、『鎖』の展開まで持ち堪える」
「……無茶苦茶よ、そんなの」
ミリィ……ではなく、彼女を羽交い絞めにしていた女性がぽつりと呟いた。
「そうだよ、大事な作戦なのに、あんた一人でやるだなんて」
同じく、ミリィの服を掴んでいた男性が唸った。
「大体、あんた、先日のリビスメットとの戦いで腕を痛めたんだろ」
「支障はない。だが代案があるのであれば、聞こう」
背中で応えたパシズの後姿を、ミリィは怒りと心配を込めた目で睨んでいた。
「…………」
そして、パシズに答える者は誰も居なかった。
「………」
ジャフレアムは溜息を吐く様に見せて、深呼吸をした。そしてキブの隣で、やりとりを黙って聞いていたハイネの横顔を見る。実は、作戦内容の大枠は事前に聞き、概ね、把握していた。その上で、ジャフレアム自身が、それしかないと判断していたものだ。あとはハイネが、本来の副局長権限を振るい、承認を下すだけ。
『お飾り』と揶揄される……有体に言ってしまえば無能、と評される副局長を信任する者は少ない。この場を乗り切れたとしても、やがて内部から罷免しようとする動きが出る可能性もある。だから、こうして重要な局面で、少しずつでも、一つ一つ指導力を発揮して貰わねばならなかった。その始まりが、ハイネの言葉に懸かっている。心配なのは、彼女がきちんとそれを『演じる』事ができるかどうかだった。
「……副局長、作戦については、以上の様です。最終的な判断は貴女の権限だ。差し支えなければ、決定を宜しくお願いします」
「ええ」
ハイネは、息をすっと吸った。
そして、事前の打ち合わせ通りの、杓子定規な結論を述べる。
「作戦の内容は全て了解し、受理する。
「……有難うございます、では、明朝……」ジャフレアムがやや早めに割り込み、今後の予定を手早く説明しようとする―――
しかし、それを遮り、ハイネ=ゲリングの言葉は続いた。
「皆が知るように、エヴィタ=ステッチは我らが仇敵。この場にも、
「確かに、本作戦は
ジャフレアムは、ハイネの予想外の発言に目を丸くして、もう一度ハイネの横顔を見る。その、
そして、それは演技ではない、紛れもない本心からの言葉であった。
――ジャフレアムはふと、彼女の机に常に置かれている多量の小説を思い浮かべた。仕事はサボり、丸投げし、日頃から読書に耽る彼女には、一抹の
にわかに、一人の職員が言葉を放つ。
「……その通りだ、下ごしらえは俺達の仕事だな、いつもの通り」
それに呼応するかの様に、次々と声が上がり始めた。
「ああ、
「そうと決まれば、たんと力を付けて貰わないとね、夕飯は目一杯豪勢に振る舞わなきゃ……!今夜は秘蔵のF/II龍肉を出しちまうよ!」「やったぜ!」
「ならばそれに合う野菜も見繕わなきゃあならんな、明日の携行食も最高級の素材で仕上げて見せよう」
「ようし、皆、やってやろうぜ!」
「おお!何がエヴィタ=ステッチだ!!大体どういう意味なんだよその名前!」
「とっ捕まえて固結びにしてやんよ!!」
「おうよ!一般職員を舐めんなよ!」
「よっしゃあ!さっさと済ませちまえよな!レンジャーさんよぉ!」
「終わったら宴会だ!!」
ざわめきが徐々に広がり、何故かこの場に交じっていた食堂のおばちゃんや糧食部のおじさんの声が交じり、やがて会議室の者達に、作戦への関与度に関わらず、決戦への闘志が燃え広がっていった。
ミリィは盛り上がる職員達の間で、何と言っていいやら、困った様に笑い、そして、職員たちに背中をばんばん叩かれているパシズを見た。叩かれる度に少しずつ身体が揺れる、最年長の
――――――――――――
出発は、明朝、夜明けの前に。
作戦の、始まりは、陽が天を衝いた時。
銘々に、
目的は、一つ。
決戦の地は、沃野。
第四龍礁テイマーズテイル
第五節『深央旅索』
了
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