第2話  学芸院凰雅と妹1

学芸院凰雅の朝は早い。毎朝6時には起きる。

学校に行く前に軽く体を動かす習慣がついているのだ。

毎朝の日課となっているのでやらないと気分が悪いらしく、そこでしっかり体とコミュニケーションをとってその日のコンディションを確認する重要な時間と位置付けている。


7時頃にそれを終えて自室で着替えていると部屋をノックする音が聞こえた。

「お兄ちゃん、朝ごは、・・うはっ、えほっ、あはっ、ごほっ。」

そう言って凰雅の部屋に入ってくるなり盛大にえづいているのは中学生の妹だ。


子供の頃は何をするにも兄の後を着いていくお兄ちゃん子だったが、成長するとそれだけではなくなるものだ。

「ご、ごめんなさい。私、もう、・・・うえっ。」

彼女は部屋から少し離れてから

「はあ、はあ、・・・朝ご飯、・・・できたので、すぐ、来て下さい。冷めない、うちに。」

と釘をさす。


凰雅がリビングに行くと妹の手作り朝食がならんでいた。

兄妹の両親は、海外出張に行っているんだか何かの研究をしてるんだか、店を営んでいるのか経営している会社が忙しいのか、既に死んでいるのかなんだかよくわからないが、とにかく家に帰ってこない。

そんなわけで兄妹二人で暮らしているのだが、凰雅は家事が得意ではないため学芸院家の食卓は小学生の頃から妹に任されていた。そのせいか今では家事全般完璧にこなす出来た妹になったわけだ。

学芸院家の生活はこの妹がいないと成り立たない。


そのうえこの妹は中学校では生徒会会長で学級委員長でバスケ部部長である。成績優秀にして学業優秀、友人も多く非の打ち所がない。その割には天然というか妙なところで抜けていたり、ふとした時に兄に甘えたがるところがある。

正に妹の鑑のような妹だ。


その当の妹は既に自分の分の食事を済ませていて、凰雅が食べるのを見ながら冷めたお茶をストローで飲んでいる。まるでガスマスクのような大仰なものをつけながら。これも学芸院家の毎朝の光景だ。


「前から思っていたんだが、そのマスクは口にストローが入るような穴が開いていてちゃんと機能するのか?」

「はい。鼻のところとは区切られていますから。普段は口のところも閉められますし。ほんの少ししか開かないから食事とかはできないんですけどね。」

できた妹はそのお手製のガスマスクの奥でニヘッと笑った。と思う。

見えないからよくわからない。

できた妹は時折マスクからフコーフコーと音をさせる。


しばらくして妹が学校に行く時間になる。

「行ってきます。」

鞄を手に取った妹は凰雅に頭を突き出す。

「こんなところ、学校の子に見られたらどう思われるだろうな。あの学芸院さんが、ってなってしまうんじゃないのか?」

「いいんです。私は私ですから。皆が勝手に私のことをしっかりしてると思ってるだけで、私は全然しっかり者ではありませんから。」

凰雅はやれやれと言いながら突き出された頭を優しく撫でる。

これも毎朝のことだ。その度マスクからひと際大きくフコーフコーという音が聞こえてくる。これも毎朝のことだ。

「このマスク、うるさいですよね。凄く邪魔だし、匂いもわからないし。きっともっといい物を作って見せます。」

「ああ、そうだな。それに、他にも何か方法があればいいんだけどな。」


妹がこんなマスクをしているのには理由がある。

昔はいつも兄の凰雅にくっついて体を擦り付け、凰雅の匂いを嗅いでは喜ぶ妹だった。

だが小学生の高学年になったころから凰雅の匂いを嗅ぐと咳き込むようになってしまった。

年頃の娘は繁殖において避けるべきである遺伝子的に近い父親等の匂いを臭いと感じるようになるというらしいが、どうやらその延長線で兄の匂いがダメになったようだった。

この妹はその度合いが尋常ではなく、毒ガスでも吸ったのかというくらいの拒絶反応を示す。

これはそれでも変わらずに兄の事を慕っているが故の悲劇である。

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