黒生さんちでアマえたい!

狐島本土

第1話 プロローグ

 部屋のドアが開いた気配がして、


「あー、すみません。ここ、ポーズ取って貰えます? 資料じゃちょっとわからなくって……」


 振り返らずにオレは普段通りに頼む。


 集中していた。


「……ポーズですか?」


 不思議そうな問いかけに違和感。


「そうです。ポー……ず?」


 横を見て硬直する。


 返事が聞き慣れない声であることに気付くのが遅れる程度にはしっかりとPCの画面に向かっていて、相手が肩越しに覗き込んで息を飲むのがわかるぐらいには近づかれるまで油断していた。


「これは、なにを……?」


 相手は口を押さえてオレを怪訝な目で見る。


「にょ、女体、です」


 オレは上手い誤魔化し方を思いつかなかった。


「にょたっ……」


 ビクッ! という擬音が見えそうなぐらいに飛び退いた相手はそのままふらついて背後のベッドにひっくり返る。白地のロングスカートに包まれた大きなおしりが視線を引きずり込む。めくれた裾から覗く白いふくらはぎ「きゃ」という悲鳴、そして困ったような顔が、ウェーブのかかったセミロングの黒髪を手でくしゃっと脇にどかして現れる。


「う、うちでなにをしているの……?」


 女性は戸惑いながらも言う。


「……え、と……お、お母さん、ですか?」


 オレは聞き返す。


「わたしがだれとかではなく、あなたは?」


 少し怒ったみたいだった。


「あ! はい。あの、半田勇はんだいさむと申します。お、お邪魔しております!」


 椅子から立ち上がり、気をつけをして直角になるまで頭を下げた。同時に言い訳を考える。どうする。顔の雰囲気的には間違いなく母親だ。よく似ている。だが、事情を説明すると娘の悪事が。


「半田、くん。それでここでなにをして……」


「ママ!」


 半開きだったドアにぶつかるように入ってきたのはその本人だった。褐色の日焼け肌に銀色に染めて盛った髪を振り乱しながら、短いスカートの下のショートパンツも見せつつ入ってくる。


「勝手に入らないでっていつも言ってるのに!」


 この部屋の主はオレと女性の間に立つ。


 やっぱり母親だった。


愛瑠あいる。どういうこと? お友だちが来ているって、お母さん男友だちだなんて聞いてないわよ? それも……あんな」


 PCの画面を指さす。


「あんな、いやらしい絵を、描いて……」


「美術だよ。裸婦像は絶対的モチーフでしょ!」


 娘の方は即座に誤魔化そうとする。


 そう言おうと決めてたってタイプの嘘だ。


「バカにしないの。美術ではないことぐらいはわかるわ。あ、アニメの絵じゃない。目が大きくて、胸も大きくて、それで少女だわ……」


 もちろん騙されない。


 それはそうだ。


 絵を描いていた本人であるオレからしても美術的な意味での裸婦像に見えないものなのはわかっている。背景が極力入らないように画面いっぱいに女体を屈曲し、おっぱいとおしりを強調している。潤んだ瞳で男を誘い込む女の表情はちょっとまだ納得がいっていない。


「……! よく線画でそこまで……ママ、アニメとか見る人だったんだ。知らなかった。ね? ジブリ……はみんな見てるだろうから、ガンダムだとなにを見た? 子供の頃だとプリキュ……」


 娘の方はすぐさま母親に屈して話題逸らしに走る。いい性格してると思う。見た目はギャルで中身はオタクというのも自己プロデュースだと言って憚らない。曰く「最近のオタクは優しくしてくれるギャルを求めてる」とのことだ。


 否定できない。


「ふざけないの!」


 思考に沈みかけたオレはお母さんのお説教ボイスにハッと目覚める。現実逃避しかけていた。ここからどう足掻いても自宅に連絡が行き、親が呼び出される悪夢ルートしか思い描けないからだ。


「う」


 流石に母親に怒鳴られて娘は俯いた。


「どうしてこういうことになってるの!? ちゃんとぜんぶお母さんに説明しなさい! まず、半田くん! あなたの言い分は!?」


「……あ」


 オレは愛瑠を見る。


「……」


 娘の方は首を振った。


「口裏を合わせない! 正座!」


 もちろん見逃されなかった。


「「!?」」


 オレたちは言われるままに正座した。


「さ、三ヶ月前、ぐらいなんですが……」


 正直に言うしかない。


 流石に三姉妹を育てた母の貫禄はある。


「三ヶ月前、高校入学直後ってこと?」


「はい」


 仁王立ちをする女性を眩しく見上げる。


 冷静に見ればオレより背は低く、身体も細く、どう考えても高校生男子が萎縮させられるような恐怖感とは無縁で、むしろ三人も娘がいるとは思えないぐらい朗らかで若々しい女性だ。でも、そこにはお母さんとしか呼べない強さとしなやかさがある。大人の女性だった。そのプレッシャーを感じずにはいられない。


 これが、オレと黒生麗羅くろきれいらさんの出会いだった。


 事の経緯はシンプルである。


 オレは昼休みにスマホを見ていた。


 それを愛瑠に覗き見された。


「画面にはオレがネットにアップした。その、人気のアニメの際どいイラストがありまして、そういうのって割と高評価がつくんで、ニヤニヤしてたんです。だれもいないはずだったんです。男子トイレの個室だったから、なのに……」


 シンプルに恥ずかしい経緯である。


「……愛瑠。男子トイレに入ってたの?」


 麗羅さんは事情をすぐさま察した。


「ママ。違うよ」


 娘は慌てて首を振る。


「アタシは別に男子トイレでフェラチオ一回一万円取るような女子高生じゃないから。誤解しないで? 遊んでないから。むしろ遊べてないから」


「当たり前でしょ!」


 もちろんその言い草では叱られる。


「あなたね? お母さんをどれだけ心配させるつもりなの? ファッションは好きにしたらいいけど、素行はちゃんとしなさいって……」


「あーあーあーあーあー」


 娘の方は聞き飽きたという風に耳を塞ぐ。


「勇が! 入学直後からナチュラルに便所飯してるから! 心配してあげただけですぅ! 善意100パーセントですぅ! 結果がスケベ男子だっただけですぅ! アタシは悪くないですぅ!」


「……」


 麗羅さんは溜息を吐いた。


 腕を組んで、たっぷりとボリュームのある乳房が押し上げられる様子にオレは思わず目を奪われる。娘の方も学年内で評判のスタイルだが、その母親だけあって遜色ないどころか成熟した色香で深みすら感じる。濃厚さが匂い立っている。


「なんでトイレでごはんを?」


「……え、あ」


 オレに話が向けられていた。


「ま、マンガ家になりたかったんです」


 オレは言う。


「中学の頃はそれをオープンにしてて、でも、実際に自分で描いてみると話作りでボロクソに言われまして、投稿しても、もちろん箸にも棒にもかからなくて、それで、あの、エロい女の子を描いたらすごくネットでウケまして、ストレス発散のつもりだったんですが、だんだん、その居心地の良さに調子に乗りまして……」



 当時のクラスメイトの名前でエロ絵を描いた。


 もちろん似せてなんていない。


 名前だけ借りた別物だが、妄想で辱めた。


 それが全員の名前を借りたところでバレた。


 絵が特徴的だから、というのが理由だ。


 偶然の一致で押し切れなかった。


 言うまでもなく、いじめられるルートである。


「……自業自得なんですけど」


 オレは言う。


「それで、同じ中学からはだれも行かない遠くの私立高校を受験して、自分なりの反省として友だちを作らない方針で高校生活を送ろうと」


「なぜそうなるの? 友だち作ればいいじゃない」


 麗羅さんは言った。


「言われたんです。人を傷つけるヤツに表現者になる資格はないって……その通りだな、とは思って。でも、絵を描くのはやめられなくて、だから、人との接触を断てば、少なくともモデルにした知人という存在はなくなるはずだと」


「バカでしょ? 勇ってマジで」


「愛瑠は黙りなさい」


 麗羅さんは娘の頭をポンと叩いた。


「気持ちは理解できないけど、事情はわかったわ。半田くんが愛瑠に見つかって、それで?」


「アタシが才能を見いだした!」


 娘は勝ち誇った。


「アニメ慣れしてないママでもわかるぐらいにはしっかりとしたエッチ絵が描ける勇をこのまま埋もれさせることはないでしょ? で、アタシがシナリオ書いておねぇがゲームを作ってエロゲーにして売ってお金持ちになろうってことになったの!」


「……」


 麗羅さんは絶句していた。


 必死で育てたであろう娘の成長としては酷い。


 オレも巻き込まれた側なので同情はしないけど。

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