満珠院太郎との夏休み

呂句郎

第1話

 夏休みがもうすぐだった。僕には特に予定もなかったので、短期のアルバイトでもして過ごそうと思っていた。故郷の北海道に帰るという手もあるが、先立つものがない。涼しい北海道でアルバイトをしようにも、僕の実家は他人には説明するのも難しいほどの田舎なので、都合のいい働き口などない。

 友人の満珠院太郎まんじゅいんたろうが声をかけてきたのは、期末考査が終わった日のことだった。学生生協に新たにできたショップで買ったアイスクリームを、暑気に対抗して必死で舐めているところだった。

「おい、ハナケン」と満珠院太郎が僕を呼んだ。僕の名前は、花沢健一はなざわけんいちという。「夏休みはどっか行くのか?」

 満太郎(満珠院太郎では長いので、僕はそう呼んでいた)は、彫刻のように調った顔をわざと台無しにしているとしか思えない、パーティーグッズのそれのような真ん丸なセルフレームの眼鏡を中指で押し上げながら、傲慢な調子で言った。

「どこへも行く予定はないよ」

「何故だ?」

「行きたいところも、金もないから」

 答えながら、僕はアイスクリームと格闘していた。

「だったら付き合わないか?」

 満太郎の口ぶりは他人から見たらかなり偉そうなものだろうが、そういう口ぶりをするときに限って、彼は繊細に気を遣っているのだ。僕はそれを知っていた。

「付き合うって、何に?」

「俺の帰省にさ」

 反射的に首を横に振りそうになったのを、アイスクリームのせいにして誤魔化した。というのも満太郎の実家というのがX県の山間にある旧い家で、東京からのアクセスの悪さとその暑さ、あるいは僕が苦手としている不気味な虫の多さなどについて、つねづね聞かされていたからだ。いくらか誇張はあったのだろうが、満太郎は自嘲とも自慢ともつかない口調でしばしば自分の田舎について話した。

「あんな田舎、もう二度と帰らないって、言ってたじゃんか」

「そうも言ってられない事情ができたんだ」

 満太郎の目論見には見当がついた。新幹線で名古屋まで行き、そこからローカル線とバスを乗り継いで、最後には地元の誰かに迎えられてやっと辿り着ける実家に、一人で帰るのが寂しいのだろう。

「退屈しのぎの相手か?」

「なんで君、そうひねくれてるんだ?」

「そんなつもりはないけど、僕なんかと旅行したってつまんないだろ。ニンテンドーでもいじってりゃすぐに着くだろうが」

「俺がゲーム嫌いなのは知ってるだろ」

「ああ、そうだった。《コンピューター的》ゲームはね」

 実は満太郎には苦い思い出があった。あれは半年前のことだ。

「前々から行きたいと思っていた秘湯がある」という満太郎に誘われて、長野県の奥までいっしょに旅行したことがある。今風のゲームがあまり好きではないという奴の主張には、僕も納得できるところがあったので、僕らはポータブル盤の将棋やオセロをバッグに詰め込んでいった。普通列車の車中で僕らはそれに興じる予定だったのだが、どんなゲームでも、僕はまるで彼に歯が立たなかった。秘湯はたしかに素晴らしいものだったが、僕はそれを心ゆくまで味わった気になれなかった。湯に浸かりながら満太郎は、鼻歌交じりのあきれた口調で、僕の《ゲームの弱さ》をこてんぱんにやっつけたからだ。

「行くのか行かないのか?」と、満太郎は言った。

「行かないって言ったらどうするんだ?」

「さあな」

 あれだけやられておきながら、僕は満太郎との旅に興味をそそられかけていた。と言うより、僕が断ったら満太郎は誰を誘って旅をするのだろうかと考えると、それが誰であれ、ちょっと嫉妬めいた気持ちを感じたのだ。

「ゲームはもうごめんだよ」

「ああ、わかったよ。君の得意な《花札》だけにしよう」

「……」

 実は、理論的ゲームでは勝てないと思った僕が、件の秘湯の簡易宿泊所で管理人のおじいさんに借りてきたのが花札だった。運任せの遊びなら、せめて対等に戦えると思ったからだ。しかし結果はさんざんだったのだが。

 僕は結局、行くと返事をした。満太郎は、答えは初めからわかっていたと言わんばかりに「ふん」と鼻を鳴らし、満足げにうなずいた。

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