第5話 小御所会議
【快適な読書空間の提供】
そのキャッチコピーに誘われて、氷室さんの自宅に転がり込んだ訳だが、早くも先行きが怪しくなる。唯一無二にして、最大の発言権を持ち、その絶対性は司法権の独立をも凌駕する。
オーディオブックからのモーニングティーを嗜んでいた僕たちの前に朝からすさまじい剣幕で現れたる彼女こそ、つい先日まで苦楽を共にし、同じ釜の飯を食い、たった一人の理解者として支えあってきたわが妹・彩香本人であった。
「お兄ちゃん、やっぱりその人は危険だよ!」
彩香の雰囲気から十分察することが出来たが、やはり氷室さんへの不信感からくる怒りが主たる内容だったようだ。
「もう、彩香ちゃん、いきなり何を言いだすの?」
「氷室深雪さん、アナタがお兄ちゃんの事が好き、それは個人の自由です。でもアナタの噂を知った今、妹としてこの生活を認める訳にはいきません!」
かすかに氷室さんの瞳に暗い影が射したかのように見えたが、すぐさま「噂って?」と変わらぬ声色で問いかける。
だがしかし、彩香の口から出た『噂』の内容は、この場の空気をより鈍重なものに変えるには十分過ぎるものだった。
「アナタは高校生の頃に、好きになった男の子を自殺に追いやったそうですね」
彩香はまるで本格推理小説に登場する古典的名探偵が、衆人に真相を明かすかのように、まっすぐ堂々と伝えた。
探偵側も相棒側も、勿論、犯人側も昨今ではしっかりと心情描写がなされているが、僕はここにきて初めて、『その場に居合わせた関係者』側を我が身でもって体験している。
僕が啞然とした表情で、まさしくモブのように黙っていると、氷室さんはさっきまでの表情とは一変し、彼女に置かれた役柄をまっとうするかのように語りだした。
「誰に聞いたのかな?」
「それは言えません、約束ですので」
読者とは感情移入という手法でもって、あらゆる事象を体感することが出来るが、この場と同様、本質は傍観者に過ぎない。
そしてまた、読者を意識せず展開される複雑なこの日常において、傍観は決して役には立たない。登場人物になれないどころか、その物語にいいようにあしらわれ、やがては無情にも朽ち果てる事となる。
こういう喧騒に巻き込まれるのが、何よりも忌み嫌っていた。読書を遮るのみならず、精神的余裕を奪い去り、日常活動もままならなくなる始末。
だから僕は重厚な書物で防壁を作り出し、己の世界を構築していったのだ。
残念ながら、そんな逃げ、あるいは戦力的撤退さえも許さない現状。情報不足に反して第一線で関わっている問題。勝手に決めておいてでは済まされない面倒事。
「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい」
「お兄ちゃん?」
「宗太君?」
「銀杏には微量ながらも人間にとっては毒である成分が含まれているらしい。だから、食べ過ぎには注意しなければならない」
「何の話?」
「では、全く害の無い食物であればどうか。こちらは問題ないように思えなくもないが、普通に考えて、一つのモノを食べ続けるとこれもまた害が現れる」
「そ、宗太君、一体どうしたの!?」
「本を読めば賢くなる。これは遥か以前から信じられ、今なお評価に変わりはないし、僕だってそう思う。ではなぜ、一流大学を優秀な成績で卒業したにもかかわらず、会社で『使えない』と罵られる結果となるのだろうか
そう、何事においてもバランスが重要であり、たとえ正論・正義であったとしても、一方的であれば、見方によっては悪となりうる。そう思わないか、妹よ」
「…………そうかもね。一度、しっかり3人で話し合った方がいいかも」
「僕も彩香の話は聞いておく必要がある。いいかな、氷室さん」
「う、うん……そうだよね」
「それにしてもお兄ちゃん、回りくどいよ……」
(宗太君、カッコイイ♡♡♡なにあれ、令和の諸葛孔明!?知的で素敵……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます