第九話 R[emedy]


《⋯⋯我々ケットシーは元々、魔女から生み出された存在だった》


 遠い遠い昔の話。

 戦地に身を置かれた一人の魔女の話だ。

 

 黒い外装をまとったその魔女は、戦争の道具として扱われていた。

『さあ動くのだ、真名しんめいの開示により力を解き放たん』

 魔術を用いて、ただ目の前の敵を穿つだけの兵器となる事。

 たったそれだけが魔女の生きる理由だった。

 そんな魔女に感情や心などは存在していなかった。

 国と国との間で行われた争いは後に革命と称される物になるが、そんな事象は魔女にとってはどうでも良い物だった。

 しかしそれらが積み重なったある時、魔女を利用する者達は気付いたのだ。

『ニンゲン、殺サナキャ⋯⋯ニンゲン、殺サナキャ⋯⋯殺サナキャ殺サナキャ殺サナキャ殺サナキャ、ニンゲン⋯⋯死ね』

 魔女は人を恨んでしまった、と。

 怒りに目覚めた魔女は謀反むほんを起こすと、自身の身体から傀儡かいらいを生み出した。

 四足歩行の生物を模した漆黒の傀儡は人間を媒介とし、魔術を使い始めた。革命間も無く、魔女の叛逆はんぎゃくが始まった。


 逃げ惑う人間達は口を揃えて言う──

『猫の怪物だ』

 猫の怪物は人の身体を操り、人間同士での争いに見せかけ、内乱を演出したのだ。

 たった一人の魔女の手により、おぞましい光景を人間達は再度眺める事となり、ついに魔女の願いは叶えられる結末となってしまった。

 そしてこの一連の出来事は、魔女の枷を解くきっかけでしか無い。


 人間から解き放たれた魔女は自由の身となり、何も無い平和な地に自分の居場所を築き上げ、結界を張り、幸せな日常を過ごし始めた。

 その地に踏み入る者には結界を──

 戦いを仕掛ける物には粛清を──

 

 脅かされない為に行った全ては魔女の平穏を保ち続け、魔女はついに怒り以外の感情に興味を示した。

 まずは孤独を埋める為に傀儡を再構築させた。

 ただ使われる道具としてではなく、自分を守ってくれる精霊として、姿形を愛らしい物へと変容させた。

 魔女の精霊として誕生した二匹のケットシーに魔女はそれぞれイズン、ブラギと名前を付けた。

 イズン、ブラギ、それぞれ青と緑の糸で作られたミサンガの首輪を付けた後は何をするでもなく、魔女はケットシーと共に月日を掛けて、感情を形成させていった。

 魔女の心はまだ若い。

 身体も華奢で、魔術無しでは重い物一つ持てぬ小さき者だ。

『魔女さん。魔女さんは、今日もお買い物に行くの?』

『そうよイズン、今日も愛らしい貴方達の為に、ミルクを買いに行くのよ』

 街へ赴く際には必ず人間の装いをし、誰にも気付かれぬよう事を済ませる。

『これは、ニンゲンの娯楽なのか?』

『ええブラギ、人は時として自らを人形として、あんな風に劇を演じたりするのよ』

 休日は四角い箱の中に映る人間をゆっくりと眺め、安らいだ。

 この繰り返しの平和な日々は魔女と我々の心を育んでいった。

『またイズンが迷子になってしまった。何故同じ場所で幾度も迷ってしまうのだ』

『あーあ、またなのね⋯⋯でも大丈夫。あの首輪には生命反応を感知出来る様にしてあるから、慌てずゆっくり探しに行きましょう』

 

 

 しかし平和な日々など、永久には続かない。

 魔女がいつも通り人間になりすまし、街へ出掛けたが、正体が人間にバレてしまったのだ。

 魔女の正体に気付いたのは、魔女の叛逆から生き延びた、かつて魔女を戦いの場へ赴かせていた老人夫婦だった。

『この魔女を今すぐ焼き払え、生きる事さえ罰にならぬのだ』

 騒ぎは一瞬にして広がり、魔女は民衆の真ん中に引き摺られ、十字架の木に縛り付けられた。

 しかし魔女はその時無抵抗だった。

 衣服を破られ、髪を引きちぎられ、視界に血が広がり、世界を紅く染められても、魔女は自身を守ってくれる精霊を呼ぶ事もしなかった。


 口を開かぬ魔女はあっという間に業火に焼かれた。

 魔女はただ空を見つめて、笑顔を浮かべていたという。

 魔女は人間の恨みを全て受け止めるが如く、痛みをその身に刻み込み、誰もが死に絶えたと思い込んだ。

 しかし魔女は生きており、命尽きるギリギリを保ちながら、我々が待つ安息の地まで生還してみせたのだ。

 絶命寸前の魔女を見て我々は力一杯に駆け寄った。

『何故我らを呼ばなかった』

 そう叫ぶと魔女は、

『そういう運命だったから』と返した。

 納得出来なかった。こんなあまりにも唐突な悲劇など、容認したくなかった。

 我々の生きてきた世界は結局、これを繰り返すままだ。

 我は魔女の復活を叶える為に蘇生魔術を試みたが、魔女に止められた。

『貴方は貴方の場所へ帰りなさい』

 魔女は力を振り絞り、我の中に眠る微かな記憶を掘り起こすと、それを見せた。

 見せられたのは前世の記憶の中身、我々の帰るべき場所。

 魔女は決死の中、我々が理由あって転生してきた存在だと示したのだ。

『さあ行け、もうお前達も自由の身だ』

 我々のミサンガを解くと魔女は笑みを浮かべ、流石に崩れ落ち、意識を落とした。

 こうして、我らは自由を手にしてしまった。

 でも⋯⋯それでも⋯⋯我らは魔女と離れる事が何よりも悲しかった。

 そんな、たった一つの命さえ天秤に預けられない世界なんかよりも、貴女の事が大事だったから。


 だから⋯⋯我は魔女の心臓を喰らった。

 魔女の心臓をその身に宿した我は、溢れんばかりの膨大な魔素を手にし、そして誓いを立てた。


 魔女といつまでも共に居られる世界を創ろう、我々ケットシーの本当の居場所を創造しよう、と。

 

 だから⋯⋯魔女の魔力を使って、我は世界を上書きした。

 元ある世界を裏にして、魔女に関する記憶を消去した。

 その後は住む場所を転々と移しながら、魔女復活の方法を模索しながら、徐々に塗り替えられる世界の上を渡り歩いた。

 

 そして我らは辿り着いた。

 九つの真なる魂を器とし、枯れた命に再び火を灯す方法──

九生絶花きゅうせいぜっか』の天の禊を。


     ✳︎

 

《⋯⋯この出来事が全ての始まり、猫巫女および禊猫守の起源である。ルーン魔術は全て、我の中で今も駆動する魔女の心臓によって発現するものである》


「⋯⋯いきなりとんでもないな」

 彼方さんが思わず言葉を漏らす。

 私自身、言葉が出てこなかった。

 途轍もない歴史の出来事を前に、立ち尽くす事しか出来ない。

「九生絶花って⋯⋯?」

 無意識にブラギ様に問いかける。

『この島国の歴史を上書きする前の巫女と出会った時に得た知識だ。九つの成熟な命と引き換えに願いを叶えるという特殊技法、それが九生絶花』

「⋯⋯っ。それってつまり、禊猫守の九人は⋯⋯」

『魂を弔う巫女を管理、育成の後、禊猫守たる器を九つ集め、魔女復活の鍵とする。それが、猫巫女、禊猫守を募る我々の本当の目的だ』

「そんなのって⋯⋯」

 ブラギ様から掛けられる言葉への情報量が多すぎて、飲み込むのに時間がかかる。

「ちょっと待って、猫巫女はひょっとして、元あった巫女を上書きして造られた物だって言うの?」

 彼方さんも浴びせられる情報量を前に、冷静ではいられないようだ。

『ああ、元々存在していた狐巫女という概念の上に猫巫女がある状態だ。そして、お主らが皧狐と呼ぶ人物が持つ知識とズレがあるのは、彼女らが元あった世界にいる狐巫女だからだろう』

 シロちゃんと会話を交える度、確かに私たちの間で若干の齟齬があったり、お互いが知らない常識があったのは間違いない。

 シロちゃん達はブラギ様の言う通り狐巫女、という事。

 ⋯⋯吐き気がする。

 辻褄が頭の中で合わさる度に、色んな感情が渦を巻いてぐちゃぐちゃだ。

「⋯⋯それを知ってて、今まで放置してたのか?」

『この事実に到達出来たのは未来を予見し、幾度も世界の循環を続けた結果である。そしてそれらを知ってもなお、我々が歩む道が、分からぬのだ』

 分からない⋯⋯? 今、分からないって言ったのか?

 何度も同じ未来をループして、戦った筈なのに?

「ソラから聞いてた通り、この一件は本来存在してた筈の狐巫女からの復讐、なのかな⋯⋯」

『小夏よ』

 ブラギ様が、俯き続ける私に声をかける。

「⋯⋯なんですか」

『未来というのは少しのきっかけで変化する物で、少しの行動が道を枝分かれにしていく。しかし大きく決められた道筋は、そう容易くは変えられない。他者からの介入があれば尚更、それは不変の道となる』

「⋯⋯」

『お主が、誰よりも縁を重んじる人間だというのは承知している。抗うというのであれば、お主の言葉を聞かせて欲しい。未来でのお主は⋯⋯頭状花序から零れ落ちる一つの星であった』

 未来は変えられない、なんて最悪だと思った。

 今までの出来事は、魔女の復活の為のフラグでしか無かったし──


「今の私たちは、世界を上書きした代償が回ってきてるって事なんですよね?」

「小夏ちゃん⋯⋯。ブラギ王、アンタはこの先殺される事が確定してるって話だけど、一体誰に殺されるんだ? 狐巫女はそこまでの力があるのか?」

『分からぬ。だが恐らくは⋯⋯我と近しい存在であろう。狐巫女にも、力の源となった存在が居るはずだ』

「成る程。じゃあそれが親玉だ。そいつを倒すことが出来れば、まだ道は──」

「違う⋯⋯倒すなんて違う、彼方さん、ブラギ様」

「小夏ちゃん?」

 顔を上げて、彼方さんの顔を見る、ブラギ様の姿を見る。

「自業自得だよ、ブラギ様。貴方は魔女の事だけ考えて、世界を好き勝手改変していった。何の罪も無い狐巫女さえ巻き添えにして⋯⋯元ある世界を恨んでしまった、ブラギ様が悪い!」

 暗がりの向こうにあるはずのブラギ様の顔を、激しく睨みつけた。

『なんだと⋯⋯』

「死んじゃう事を受け入れて欲しいって言ってるんじゃないよ? 歩く先が分からなくて、怖くて諦めたくなったって⋯⋯立ち止まって、また考えれば良い!! 敵対されてたとしても、まだまだ方法はあるんだよ! 彼方さんも!」

「え! アタシ!?」

 彼方さんは驚いた表情で私を見る。

 私の中で渦巻いた感情はもう我慢が効かず、もうとにかくありのままを口から吐き出したかった。

「倒すだけじゃない、話し合う道だってある! シロちゃんはあんなにも優しくて、可愛くて、人を想える子だった! 今は他人の顔を被ってる状態だけど、それでも彼女の心は美しかったんだ!! そんな子達を前にみすみす倒す事なんて、私には出来ない。それにこの猫巫女の力は⋯そんな事の為に使われたくない筈だよ!? ブラギ様!」


 世界を上書きする程の想いは、ブラギ様を曇らせていったんだ。

 一つの願いの為に、沢山の物を裏側へ仕舞い込んで──

 

「現代までルーン魔術を扱える様にその技法を新しく変えて、猫巫女に死後の迷魂を導いてあげる役割りをわざわざ造ったのは、魔女さんの為なんじゃないの?」

『⋯⋯っ!』

「私も、他の皆もそんな始まりがあったからこそ、ここまで来れたんだよ。ブラギ様。私、猫巫女活動、大好きだった。相棒の猫を頭に乗せて、自分の住む町を沢山冒険して⋯⋯素敵な出会いもあった。友達だって救ってみせた」

『そうだ。それこそ正に⋯⋯我々が帰るべき場所⋯⋯』


「正しい在り方ってそれぞれありますよね、ブラギ様。だから同じ事を、またここで言わせて貰いますね。私も、皆も、ブラギ様だって、挑戦し続けている途中なんです。だからこそ今を大事にしながら、夢や願いに向けて走り出さなければいけないんです。だから、未来の事は⋯⋯」

『未来の俺が、決めれば良い⋯⋯か』

 

 頬の和らぎが自分でも伝わるくらい、口角がにっこりと上がっていくのが分かる。

「はい⋯⋯っ! えへへ」

「やっぱり小夏ちゃんには敵わないな⋯⋯」

『お主には、二度同じ場所で胸を打たれてしまったな。良かろう、我も、精一杯足掻くさ。まずはお主の中の器にきっかけを与えよう』

「はい、それで十分です。自分とラオシャで、力を取り戻して見せます。彼方さん、引き続き、宜しくお願いします」

「そうだね⋯⋯和解の道を歩む為に、ね」

「はい!」

『感謝するぞ、小夏。しかし道のりは長い物だ、心を強く持つのだ』

 そうだ。先の事は、先にいる自分が決めれば良い。

 先にいる自分は、もっと特別なのだから。


     ✳︎


 夢幻空間から変わって、トレーニングジム。

 意識は急浮上し、一気に現実へと戻された。


「はっ! も、戻ってきた!」

 明るい照明にたまらなく目を細める。

 そして恐ろしい程に汗だくだ、一体どれほどの時間瞑想を続けていたのだろう、夢幻空間では感覚で数日間は居た筈だけど⋯⋯。

「おかえり、よくやったね小夏ちゃん」

 スポーツ飲料を差し出しながら、彼方さんの笑顔を見る。

 そうだ、私は色々、本当に色々言ってきてしまったんだ。

 そして決意した、彼女らとの和解を。

「あ、夢の中での出来事、他の禊猫守に話しちゃ駄目だよ、色んな人が未来を知ってたら、色々と不味いから」

「はい、未来の事は話しません、ケットシーのルーツは話しちゃいますけどっ」

「それでヨシ。んじゃ、今日はこれでお終いだ。また次連絡するから、その時に来てね」

「はい⋯⋯あれ? そういえば、菜々さんは? すっかり忘れてましたけど」

 思えば一緒に瞑想していた筈の菜々さんの姿が無い。

「ああ、彼女はとっくに瞑想を終えて帰ったよ。だって小夏ちゃん、ほら?」

 そう言って、彼方さんは窓際を指差す。

 外の景色を見てみると理由はすぐに判明した。

 夕方前に始めた瞑想からすっかり暗くなってしまっていた為だ。

「ええ!? そんなに長い事やってたんだ⋯⋯じ、時間は⋯⋯あら〜」

 スマホで時刻を確認してみると、家に戻る頃には日付が変わりそうな時刻まで時間が進んでいたのが分かった。

「早く帰りな、待ってる子がいるでしょ?」

「あ! 姫李ちゃんとシロちゃん! ラオくんも! ご、ごめんなさい、すぐ着替えます!!」

 やばい、あの三人がお腹を空かせていたら、どんな被害が及ぶか分かったもんじゃない、急いで戻らなきゃ!

「あー、えっと⋯⋯これ、祓命真依、大事に使いますね! んじゃあ彼方さん、また!!」


 この出来事は、ずっと忘れる事はないだろう。

 私が次取るべき行動は、器を戻しながら、まずは皆と仲良くなる事だ!


「またねー⋯⋯さて、と。大きく動いたよソラ。アタシもそろそろ、動くべき刻か」

 

     ✳︎

「小夏よ。ここに、器があるな?」

「はい⋯⋯」

「ワシが普段餌入れと呼んでいる物じゃ。じゃがこの餌入れは不完全な状態である。現状この『Raison d'être』は満たされておらず、ただの銀の発色の個体でしか無い⋯⋯ここまでは分かるな?」

「はい⋯⋯存じております」

「ふーむその顔からしてもう少し説明が必要じゃな?」

「いや、あの〜⋯⋯私にも深い訳が──」

「つまり、本の収納されていない本棚はただの棚であり、人の住んでいない家はただの穴の空いたコンクリートの塊だ。それは理解しておるな?」

「⋯⋯そう、っすね⋯⋯」

「では、この餌入れがなぜ不完全なのか⋯⋯見ての通り、この器には何も入っていない。そうじゃな? では、一体何が足りないのか⋯⋯」

「「分かるだろう!!!??」」

「ご、ごべんなざい!! おぞぐなりまじだぁぁああ〜〜!!!」


「珍しく意見があったな、シロよ」

「でしょ〜?」


 人生で一番綺麗な土下座をしたと思う。

 餌入れにはいつもの二倍餌を入れてあげた。

 シロちゃんには明日食べ歩きに。

 姫李さんには私を身体の隅々まで分析するという事で、その場は何とか解決した。

 ⋯⋯全て夜中一時の出来事である。

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