第11話 或る記憶の話 前編

 カコは鍵を開け、体育の片付けを終えた女の子たちが先生を呼びにいった。

 イマは保健室で休むことになった。

 ベットに座る。

「ごめんなさい……私が悪いんです。ごめんなさい」

 イマは何度も何度もそう繰り返した。

「落ち着いて。もう大丈夫だから」

 保健室のチエミ先生はそういいながら、イマの肩に毛布をかける。

「ごめんなさい」

 それでも、イマはそういった。

「たまたま、カコ……カコちゃんがこけて、私にぶつかっただけでなんです。なのに、私が騒ぎにしちゃって……」

「気にしないで。嫌なものは嫌、辛いときは辛いっていったらいいのよ」

 イマは小さく「ごめんなさい」といった後、こう続けた。

「カコちゃん、男の子だった」

 チエミ先生はうなずく。

「そっか」

 チエミ先生はそういいながら、ケトルのお湯をマグカップに注ぎ、ティーバッグを入れた。

「ううん。知らなかった。本人もご両親も隠していたみたいね」

 しばらく待ってから、ティーバッグを引き上げ、冷蔵庫から取り出した牛乳を注ぐ。

 ミルクティーの完成だ。

「飲む? 落ち着くわ」

 イマはマグカップを受け取った。

 マグカップの中を覗くと、涙が出てきた。

 引っ越してきて、転校して、嬉しかった。幸せを感じた。

 その罰が当たったのだ。

 そんな感覚がした。

 過去を忘れるな。

 お前は幸せになってはいけないんだ。

 そういわれている気がした。

 ふと、窓の外へ目をむける。

 担任の先生が、イマの荷物を保健室まで持ってきてくれた。カチューシャも持ってきてくれた。


 しばらくして、お母さんが迎えに来た。パートを早退してきてくれた。

 お母さんと一緒に家に帰った。

 家に着くとすぐに、お母さんはもう一度学校へいった。今日のことについて、話し合いをするのだという。カコの母も学校に呼ばれたそうだ。

 イマはそのまま、ずっと自室にこもっていたみたいだけど、頭がぼんやりとして、よく憶えていない。


 次の日、終業式。

 イマは朝から学校を休んだ。熱が出た。

 お母さんは、パートを休んだ。

 イマが目を覚ますと、時計が指す時間は昼過ぎだった。

 ふすまが閉まっているから表の様子はわからないが、子供のはしゃぐ声が聞こえる。

 今日は終業式と大掃除だけだから、午前中で帰ってきたのだろう。

「おはよっ」

 寝そべったまま、顔を動かすとそこにミキがいた。

「先輩……ごめんなさい」

 イマは力なくいった。すると、ミキはデコピンをした。手加減したことがわかる、軽いものだった。

「アンタ本当にバカね。なんにも悪くないわよ。しょうもないことで被害者面するのもどうかと思うけど、アンタの場合はもっとアタシ可哀想なのよっていっていいのよ」

「……ごめんなさい」

 イマが力なくいうと、ミキは大きなため息をついた。

「これあげるから、元気出しなさい」

 ミキは枕元にチョコレート菓子を置いた。

「それ、私がお小遣いで買ったやつです」

「まっ、そういうこともあるでしょ。お母さんは、通知簿貰いに学校いってるって。調子はどう?」

 ミキは微笑む。

「あんまり、よくない」

 イマがいうと、ミキは優しくイマの頭をなでる。

「カコと、なんかあったんだって?」

 ミキが尋ねる。

 イマは勉強机に視線をむけた。

 布団に寝そべっていると見えないけど、机の上にはカチューシャが置いてある。昨日からずっとそこに置いている。

「カコちゃんがこけて、その下敷きになっちゃって……」

 イマの言葉に、ミキはうなずく。

「それが、恐かったの?」

 今度は、少し間をおいてからイマがうなずいた。

「先輩、その辺にスマホありませんか?」

 ミキは机の上からスマートフォンを取り、イマに渡す。

「あの先輩。前に私のこと、話したら受け止めてくれるっていってくれましたよね。聞いてくれませんか? 今、ここで」

 イマの言葉に、ミキはゆっくりとうなずいた。

 それを見たイマは、スマートフォンを操作し、ミキに渡す。

 画面に表示されていたのは、ニュース記事だった。日付は半年ほど前になっている。


『小学生を誘拐、監禁。四十代無職の男を逮捕。』

 目黒区の小学5年生の女児を誘拐、監禁したとして、警視庁は〇区の無職〇〇○○(42)を未成年者誘拐の容疑で逮捕した。

 調べに対して○○容疑者は、わいせつ目的で誘拐した。未成年だと思わなかった、と容疑を認めている。


 そんな記事だった。

「アンタ、自由が丘に住んでたっていってたわよね」

 ミキは記事を読みながら尋ねた。ミキも生前は東京で暮らしていた。だから、自由が丘が目黒区に属することがわかってしまう。

「はい。その記事の女児というのが、私です」

 イマはゆっくりと語り始めた。


 半年ほど、春休みの少し前。イマがまだ自由が丘で暮らしていた頃の話。

 イマは毎朝、制服を身につけ、電車に揺られ、私立の小学校に通学していた。

 イマは制服が嫌いだった。

 周囲の子よりも、ずっと大きな体格で、大人びた外見のイマ。

 学校へ通うときの格好は、大人がコスプレしているようにしか見えない。

 街中で、電車内で、イマは笑われているような気がしていた。

 制服は嫌いだったが、私服は大好きだった。

 服屋にいくと、キッズ、ではなくレディースのコーナーを見る。

 同級生はお洒落だと褒めてくれることが多かった。

 イマは中学受験の為に塾に通っていた。

 自宅からいく場合も、学校からいく場合も、私鉄に乗らなければならない、オフィスビルが立ち並ぶ地域の一角に、塾はあった。

 学校帰りにそのまま塾へいく場合、制服でいかざるを得ない。

 しかし、春休みが近いので学校は午前中で終わり、一旦家に帰って私服で塾へむかうことができる。イマはそれが嬉しかった。

 警備員さんに定期券サイズの入館証を見せて塾に入る。

 入館証には顔写真が張ってあり、名前と有効期限が書かれている。先生用と生徒用で色が違うのだが、それがわかるのは関係者だけだ。

 お気に入りのショルダーバッグには、キツネのストラップが揺れていた。


 塾は学力別にクラス分けされていたが、イマは最上位のクラスだった。

 なんの努力もなくその地位を手に入れたわけではなく、それ相応の努力の結果だった。

 しかし、努力はしてもそれを苦痛とは感じなかった。

 中学受験も、塾に通うことも、親に強制されたわけではなく全てイマ自身が望み、選んだことだった。

 知らないことを知ること、解けなかった問題が解けるようになること。それらはまるでゲームのようで、楽しかった。

 さらに、周囲からの称賛や憧れの目線も、誇らしかった。

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