18:見えない戦い

 ラプラスがリアを止めた後、四人は彼女の部屋ではなく別の部屋に場所を移した。

 小さな応接室のような部屋だ。


 ユウはテーブルを挟んでリアの正面のソファに座った。

 ステラはユウの隣、ラプラスは従者らしくリアの後ろに立ってやや白い視線をユウ向けている。


「済まなかったな。少し取り乱してしまった」


「いやこちらこそ……。」


 少しどころかとんでもなく取り乱していただろうとユウは内心で突っ込みたかった。

 あくまでも内心で、だ。


 口に出したら今度は本当に殺されるかもしれない。

 ユウは彼女をもっと女傑と呼ぶような性格かと思っていたのだが、案外ただの堅物なのかもしれない。


「リア様が謝ることはありません。これはどう見てもユウが悪い」


 リアの後ろに立ったラプラスがジロリをユウを睨んだ。


 どうやらこちらは予想の範囲内で初な性格のようだ。

 自分が密かに思いを寄せる相手の貞操の危機だったかもしれないということだけあって容赦無い。


 とはいえ、これに関しては攻めるわけにもいかなかった。

 ユウだってステラが他の男に襲われそうになっていたら同じように憤慨するに違いないのだから。


「ユウ、相手がメイドならともかく、リア様は貴族の子女なんだぞ? お前ももうこの家の従者になった以上、最低限の立場は自覚しろ。……ちなみに従者になっていなくてもアウトだけどな」


「まあまあ。ユウ君もわざとじゃないし、連れて来た私も悪いから……。ね?」


 ステラはリアとラプラス二人の機嫌を伺っている。

 いや、正確には彼女はラプラスの機嫌を伺っていた。


 リアは腕と脚を組みながら黙って目を閉じているだけだ。

 正面に座っているユウの視点からは彼女のミニスカートの中が見えそうで見えない。


(見るな! 見るな俺! 罠だ! これは絶対に孔明の罠だ! 冷静に、冷静に!)


 この状況でリアのスカートの中に視線を向けてしまえば、いよいよ窮地に立たされるであろうことは目に見えている。

 視線を横に向ければやましい印象が強くなるし、下に向ければやらしい印象が強くなってしまう。


 ユウは予想外のところで危機的状況に陥っていた。

 これではモンド達に殺されるより先に社会的な意味で殺されてしまうではないか。


「まあ、ステラ様がそうおっしゃるなら……。ユウの面倒を任された私にも責任はもちろんありますし……」


 流石にリアの客人であるステラが相手では強く出れないのか、ラプラスは歯切れ悪く矛を収めた。


「リア……」


 ステラはラプラスの陥落に成功したと判断したのか、今度はリアに懇願の視線を向けた。


「まったく、仕方が無いな……」


 リアが目を開けて組んでいた腕と脚を解いた。


 ここでユウに視線が少しでも下に向いていれば今回の命はここで『終わり』だったかもしれない。

 もしそうしていた場合、リアが脚を動かした時にスカートの中が見えていた上に、それに目を奪われたいたところをリアとラプラスにバッチリと確認されてしまっていただろう。


 内容はともかくとして、ユウは死地をまた一つ潜り抜けることに成功した。


「次からは気をつけるんだな。お前の元の世界ではどうだったか知らないが、この世界ではその格好で女に会うのは襲うのと大して変わらないからな」


 やれやれ、といった具合だ。


(中が見えそうなミニスカート履いてるお前が言うな、って突っ込んだらダメなんだろうなぁ……。)


「それで?」


「え?」


「そんな格好で一体何の話があるんだ? 着替える時間も惜しいような話なんだろう?」


 唐突な切り替えにユウはついていけなかった。

 一瞬遅れて我に返る。


(そうだ、こんなことしてる場合じゃないんだった。)


 そう、こんな呑気なやり取りをしている場合ではない。


 とにかく、モンドに対抗できるだけの戦力を何としても確保しなければならないのだ。

 できなければ文字通りの意味でユウに明日はない。


「ああ。すごく大事な話だ。」


 ユウは思わせぶりな雰囲気を何とか取り繕った。

 内心はどう言ったらいいものかと冷や汗ものだ。


「実は、今夜この屋敷が襲撃される。」


「ええっ!」


「ほう?」


 ステラが驚愕を、リアが興味を浮かべた声を上げた。


 ちなみにラプラスは眉をピクリと動かしただけだ。

 代わりにリアの方に視線だけを向けた。

 従者である彼は主であるリアがどう出るかを伺っているのだろう。


「それがどうしてわかるんだ?」


リアは怪訝な表情を浮かべた。


「それは俺が何回かループしてるからさ。」


「……ループ?」


 リアの顔が曇る。


(あれ?)


 ユウは自分がループしていることをあっさりと口にできたことに内心で驚いた。

 小説などでは多くの場合はループについて公言できないか、あるいは言及するとペナルティが課せられたりするため、自分の場合もそうだろうと思いこんでいたからだ。

 

(まあいっか。)

「そうループだ。俺は今日の夜にこの屋敷で一回殺されたんだ。それでさっきの時点に戻ってきた。だからわかるんだ。」


 この世界には魔法がある。

 だからこの話も当然通じるものだと思ったのだが、ユウの言葉を聞いた三人の目は点になっていた。


 ――沈黙。


「さて、私は仕事に戻ります。今日の分がまだ少し残っているので」


「わたしも部屋に戻ろうかな。眠くなってきちゃった」


「そうだな、そろそろ寝るか」


「待って! 待ってってば!」


 ユウはそのまま解散しようとする三人を慌てて止めた。


「なんだその反応?! 俺、何かおかしいこと言ったか?!」


 リアとラプラスが視線を交わしてから、如何にも胡散臭いものを見る目をユウに向けた。

 ちなみにステラは苦笑いだ。


「ユウ、お前の世界ではそれがおもしろい冗談なのか?」


「え?」


 リアが溜息をつく。

 完全に呆れた様子だ。


「お前が今言ったループ魔法というのは、魔法理論で実現不可能であることが証明されている」


「……は?」


「その様子だと知らなかったみたいだな」


 リアの言葉にユウは唖然とした。


「いや、でも……。」

(俺はちゃんとループしたぞ?)


 ユウの頭の中が疑問符で満たされていく。


「それともう一つ」


 そう言ってリアが人差し指を立てて畳みかける。


「この世界には『嘘つきハウル』という有名な話があってな」


「嘘つきハウル?」


「みんな知っている童話さ。ハウルという少年は未来から戻ってきたと言って人々を騙していたが、ついに嘘だとばれて誰からも信用されなくなったという話だ」


「へー、そんな話があるんだ」


 リアの説明にステラが無邪気に反応した。


「違う。俺は嘘なんかついてない。信じてくれ。」


「そうは言ってもな……」


「疑う気は無いけど、ループ魔法は存在しないってわかっちゃってるもんね……」


 困った様子のリアとステラ。

 ラプラスも何も言わないが同じ様子だ。


「……わかった。じゃあループのことは信じなくてもいいから、せめて今夜の警備だけはいつもより厳重にしてくれないか?」


「いいだろう、今日の担当には私から言っておく。それでいいか?」


「ああ。」


 ユウはこれ以上話しても無駄と判断して席を立った。

 そしてドアノブに手を掛けようとして……、一つ思いついた。


「そうだ。ちょっと欲しいものがあるんだ、頼んでもいいか?」



 ユウの部屋。


「これでいいのか?」


 ラプラスは怪訝な顔をしながら、頼まれた物をユウに渡した。

 ユウは渡された紙袋の中身を確認する。


「ありがとう。これだけあれば十分だ。」


 袋の中身は小麦粉だった。


「これをどうするんだよ? 故郷の料理でも作るのか?」


「こうするんだ。」


 そう言ってユウは小麦粉を部屋の床に撒き始めた。


「……は?」


 ユウの奇行にラプラスはあっけに取られている。


(ループの話といい……。コイツ、素でバカなのか?)

「まあいいや。俺は夜の見回りがあるから、用が済んだら自分で片づけておいてくれよ?」


 それだけ言うとラプラスはさっさと部屋を出て行ってしまった。

 ユウにとっては予想の範囲内だったらしく、彼は服を着替えて鎧を身に着けた。


(前回はどういうわけかいきなりあいつにやられたんだ。普通ならもっと早くに気が付いてもいいはずなのに。)


 ユウは目を閉じて前回の最後を回想した。


 あの時、モンドはいきなり目の前に現れたのだ。

 一つしかない窓もいつのまにか開いていた。


(もちろん俺が油断していたのもあるけど、たぶんそれだけじゃない気がする。きっと姿を隠す魔法か何かを使ってたに違いない。)


 ユウはローブを丸めて布団の中に突っ込み、布団の中央を膨らませた。

 これならば中で人が寝ているかのように見えないこともない。


 試しに灯りを消してみても、窓から差し込む月の光で部屋の中の様子を確認するぐらいは問題なさそうだ。

 床に撒いた小麦粉の状況もしっかりわかる。


(これならあいつが姿を消していても大丈夫だな。)


 ユウはドアにしっかりと鍵が掛けられていることを確認してからカーテンを閉めた。

 月明かりは遮られてしまうが、逆にモンドが窓から入ってきたらすぐにわかるはずだ。


 そして剣を持って座ったのは部屋の窓側の隅だ。


 ここは窓から見てほぼ死角に近い。

 よほどの角度で覗き込まないと見えないだろう。 


 カーテンで視界が遮られるなら尚更である。


(あいつが入ってくるとしたら絶対に窓からだ。ベッドに俺がいると思って油断したところを殺るしかない!)


 ユウは物音を出来るだけ立てないように右手で剣を抜いた。

 姿を現した透明な刃が僅かな光を反射して輝いている。


 切れ味が気になって小麦粉の入った袋を少し斬ってみると、何の手応えもなく切れ込みが入った。

 ……想像以上の切れ味だ。

 

 左手には盾代わりに鞘を持つことにした。


(金属製だから多少は使えるだろ。……後は待つだけだ。)


 待つ。


 待つ。


 ひたすらに待つ。


 物音を立てないように。


 息を殺して。


 自分は狩人だと心の中で何度も言い聞かせ、そしてユウはただその時を待った。


(……。)


(……。)


(……。)


(まだ来ないのか……?)


 ユウは床の小麦粉に足跡は無いことを確認した。


(当たり前か。まだ窓すらまだ開いていないもんな。)


 ――と、その時だ。


(……!?)


 唐突な衝撃。


 左胸への激痛と同時に、ユウは後ろの壁に押し付けられた。

 目の前にはいつの間にか人の影が立っている。


 痛みから推察するに、どうやら今回も心臓に剣を突き立てられたらしい。

 腰を下ろした状態のユウには立っている相手の顔を確認することはできなかったが、しかしそれが誰であるのかはすぐにわかった。


(……モンド!)


 モンドの足の間から床に撒かれた小麦粉が見えた。


 彼と思われる足跡がいくつも付いている。

 格子の影からは、窓も既に開いていることがわかった。


「なん……で……。」


 満足に出せない声で絞り出した疑問に答える者はいない。


(さっきの瞬間までは窓は閉じていたし、地面に足跡も無かった。こいつだっていなかったはずだ。)


 薄れていく意識の中で、最悪の可能性がユウの頭に舞い降りた。


(まさか……。)


 自分の持つ知識の中でこの状況をうまく説明することはできるか?


 ――できる。


(時間を……、止められるのか……?)


 その疑問を最後に、ユウは意識と命を失った。


 ……天頂には”白い”月が輝いている。

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