第7話 先生と生徒の話 後編
次の日の夕方。
サナ、コン、イク、そして男性の四人がいる店。
「――って感じにやればいいよ。わかった? たぶんそれで、上手くいくから」
サナが男性と話し終えたちょうどそのとき。
鍵を外し、扉が開いた。
やって来たのは、テナだった。学校帰りでそのまま来たらしく、制服姿でリュックサック背負っている。
「げっ! 先生、どうしてここに!」
テナは慌てた様子で回れ右。そして、店を出ようとする。
サナは急いで扉に先回りすると、鍵をかける。
「サナ!?」
「お姉ちゃん、お願い。ちょっとだけ話、聞いて」
サナの強い意志がこもった視線。テナはため息をつくと「わかったよ」といって、近くの椅子に座った。
「今日、学校でさ、先生が、転けて、頭打って、意識不明だって聞いたけど、まさかここにいたとはね」
「そんなことになってたんだ」
つぶやくようにいったのは、サナだった。
「で、私をここに呼び出したのはどういう訳? どうせ先生が私に会えるまで元の体に戻らない、とでもいったんでしょ?」
テナはテーブルに肘をつき、ふてくされたようにいった。
「長尾、ちょっと話があるんだ」
男性は、落ち着いた口調でいった。
「なに? この前、呼び出されてもいかなかったのは、悪かったと思ってるよ。でも、あの日はどうしても外せない用事があって……」
「瑞風か?」
男性がいった途端、テナは驚きの表情を浮かべた。
「先生、瑞風知ってるの?」
「ボクも撮りにいきたかったのに、仕事でいけなかったんだ」
そこで、テナの表情が変わった。さっきまでのふてくされたような表情から、どこか不安げに様子をうかがうような表情に。
「もしかしてさ、私を待っててくれたから、いけなかったの?」
男性は首を横に振る。
「勤務時間内に撮影はいけない。残念だが、お前のせいじゃない。それより、北海道にいってきたんだろ? 写真見せてくれよ」
テナは少し考えたあと、リュックサックを探り、一眼レフカメラを取り出した。
「鳥取空港から飛行機で千歳までいって、そこから陸路でいったんです。時間がなかったので、飛行機を使ったんですけど、結局あわただしかったです。」
男性はちょっと考えるような仕草のあと、いった。
「お前、カメラもやけにいいの使ってたな。もしかして……」
「ババババイトなんて、してないですよ。校則違反ですからネ、ネッ」
テナは慌てた様子で頭をブンブンと横に振る。
「お姉ちゃん、ウソが下手」
サナは周りに聞こえないようにつぶやいた。
「まあいい。今はそんなことをいう場じゃないからな。バレないようにしろよ」
男性はテナのカメラの液晶画面をのぞき込んだ。
「キハ40か。いいな」
そこから、男性とテナは次第に盛り上がっていった。しかし、サナ、コン、イク。三人の誰にも内容が理解できない、鉄道マニア同士の会話だった。
よくもまぁこんなに話す内容があるものだとサナが思うくらい二人の会話は続き、そしてやっと区切りがついたところで、男性は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ体に戻るよ。仕事に復帰したら、補習にこいよ」
こころなしか、さっきまでより声が優しく聞こえる。
「うん。私の実力、しっかり見せちゃうから」
テナは得意げな表情を浮かべる。
「実力?」
男性が首をかしげる。
「実はさ、私もちょっとピンチかもって思って、飛行機の中とか、ホテルとかで勉強してたんだ。ほら、そういうところだと、鉄道模型で遊びたくならないから、家より集中できるしさ」
テナは少し照れているようだった。
「そうか。期待してるよ」
男性がいうと、テナは笑顔でうなずいた。
「じゃあ、いきましょ。センセ。体がどこの病院にあるか、訊いておきましたから」
テナと男性は並んで扉へむかって歩いていく。
「迷惑かけてごめんね。ありがとう」
そして二人は店を出ていった。
「ねえ、先生。今度のC12の復活運転、一緒に撮りにいきましょうよ」
「それは、今度の小テストの結果次第だな」
「がんばりまーす」
二人のそんな会話が聞こえた。
「一件落着、ですね。でも、あんなヒトもいるんですね」
扉が完全に閉まると、イクがいった。
「あんなヒトって?」
コンが尋ねる。
「生霊です。生きたまま、私たち幽霊みたいな状態になっているヒト」
「そのことなんだけど」
突然、サナが深刻な表情を浮かべた。
「はじめて会ったとき、一瞬感じて、気のせいかと思ってたんだけど、だんだんと強くなって、今やっぱり感じる。イクは……」
サナが意を決していった。
「イクは、まだ生きてる。とっても弱いけど、体と魂の繋がりが残っている」
その瞬間、店の扉が激しく開いた。
「ピーンポーン。大正解!」
そこにいたのは、一人の少女が入ってきた。年は高校生くらいで、染めたとわかる金髪に濃いめの化粧、肌の露出が多い服。ギャル、という言葉が似合う少女だった。
「やっほー。みんな元気だったー?」
少女はハイテンションでいった。
「ウカ様!」「ウカさん!」
サナとコンが同時にいった。
「どうも~。みんなの神、お稲荷さんことウカノミタマ、です」
ウカノミタマ――ウカは「です」の部分に合わせてポーズをとった。
「サナちゃんとコンちゃんは久しぶり。それから、イクちゃん、はじめまして。私はウカノミタマ。食べ物と商売の神で、サナちゃんや、コンちゃんにこのお店をするように命じたのも私なの。よろしくね」
ウカはイクの横まで歩いていくと少ししゃがむ。椅子に座っているイクと視線を合わせるためだ。
「なかなか来られなくてごめんね。自分のことがわからなくて不安だったでしょ? もう大丈夫だからね」
ウカは先ほどまでとは一転、落ち着きのある優しい口調でいった。
「結論からいうと。あなたはまだ生きてる。サナちゃんがいった通りね」
「でも、おかしいですよ。イクがお店に来て、結構日がたってます。とっくに死んでしまうはずです」
サナが大きな声でいった。
「うん。ほったらかしにしたらね。でも、誰かが外から空気と栄養を送り込めば、死ぬまでの時間はずっと伸ばすことが出来る」
サナはあごに指をあてる。考える。
「どこかの病院で、寝たきりになっていて、チューブで酸素を送られていて、点滴で栄養をもらっている?」
「近いけど、違うわ。もっと自然的なもの」
ここでコンが静かに口を開いた。
「……胎児」
ウカはゆっくりとうなずく。
「そう。イクちゃんは今、お母さんのお腹の中にいて、まだ生まれていないの。記憶喪失なんじゃない。はじめから記憶となるものがないのよ」
イクは自分の手を見つめる。
「私が、まだ生まれていない……」
「でも、困ったことがあるの。いくら母親から栄養をもらっていても、魂が抜けたままなら、体は次第に弱っていく。死者の国――ヨモツクニの入り口であるこのお店に引かれたのも、イクちゃんが死に近づいている証拠よ」
そして、いった。
「イクちゃんのお母さんの居場所、わかるけど聞きたい?」
ウカが見ていたのは、イクではなくコンだった。
しばらくの沈黙の後、コンは口を開く。
「イクちゃん。私ね、黙ってたことがあんねん」
「はい」
「はじめて会った日、イクちゃん、自分のママの名前は八重垣ヒトミや、ゆうたやろ。実はな、私、そのヒト知っててん」
「……はい」
「八重垣ヒトミは、私のママやねん」
イクは驚いた表情を浮かべる。
「じゃあ、コンさんは私の、お姉さん」
コンははっきりと、うなずいた。
「正直なことをいうと、ママに会うのが怖いねん。一緒に暮らしてたとき、いっぱい怒鳴られて、いっぱい叩かれて、悲しくて、痛くて、熱くて……」
コンの脳裏に、母親の思い出がよみがえる。楽しかっ思い出より、辛い記憶の方がずっと多い。
「……コン」
サナが心配そうに見つめる。
「でも、だけどね、イクちゃんには生きてほしいって思ってる。私はもっと、もっと生きていたかったから。やりたいことがいっぱいあったから、だから、イクちゃんには生きてほしい」
コンは笑顔を浮かべた。
「だから、ウカさん、ママの居場所、教えてください」
同じ頃、ある一軒の住宅の前に小学校高学年くらいの女の子が立っていた。女の子はランドセルを背負っていることから、学校帰りだとわかる。
女の子はポケットから鍵を取り出し、玄関の鍵穴に差し込み回す。
パチンと音がして、ドアを開けようとするが開かない。はじめから、鍵はかかっていなかったのだ。
女の子は不思議そうな表情を浮かべながらもう一度鍵を回して、ドアを開けた。
家に入ると、キッチンから物音がした。
女の子は、慎重にのぞき込む。
そこには、三十代前半くらいの女性がいた。火にかけた鍋をかき混ぜている。
「あ、お帰り。セリカちゃん」
女性は嬉しそうな笑顔でそういった。
「……どうも」
対して女の子は、浮かない表情で小さく頭を下げた。
「晩ご飯つくるね。セリカちゃんはシチューハンバーグが好きなんだよね。頑張ってつくるからね」
「家の鍵、お父さんにもらったんですか?」
「うん。ナオヒロさんが、好きなときに来ていいって」
女の子は一瞬、泣き出しそうな顔になったが、すぐに元の表情に戻した。女性はそんな女の子の様子には気づいていないようで、火を弱めると、自分の腹部に手をあてた。
「あのね、セリカちゃん。大事な話があるの」
「なんですか?」
「実はね、私のお腹には、今、赤ちゃんがいるの。パパはナオヒロさん。それでね、ナオヒロさんと結婚したいの。ねえ、セリカちゃん。私、セリカちゃんのママになってもいいかな?」
そのときの女の子の表情は……。
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