第5話 命を選んだ話 後編

 青年、コン、そしてイクが到着したのは学校だった。小学校と中学校が一緒になっていて、和風な城のような外見をしている。

「今の時間はここに来ているはずだ」

 青年は迷わず校門をくぐっていった。

「勝手に入って、いいのでしょうか?」

 イクが不安そうにコンを見た。

「うん。ええよ。どうせ誰にも見えてへんし」

 コンとイクも校門をくぐっていった。

 青年はまっすぐに校舎へむかう。


 今は授業中らしい。廊下はシンと静まり返っている。

 各階のあまり変わり映えしない様子をみながら、階段を登っていく

 やがて、青年は階段の途中で足を止めた。

「わからない」

 そして、そんなことをつぶやいた。

「どこにいるんだ」

 イクはゆっくりと尋ねる。

「もしかして、ガキさんの居場所がわからないんですか? さっきまで自信満々だったのに」

 青年は、小さくうなずいた。

「ああ、そうだよ。ここに来れば匂いでわかると思っていた。だが、ここは色々な匂いがありすぎる。ま

ったくわからなくなった」

 ぐったりと階段に座り込む青年。

「あなたの飼い主だった方になにを訊きたいんですか?」

 コンは青年の横に座った。

「聞きたいんだ。あのガキが、なんでオレを選んだのか」

 青年は大きく息を吸い、語りはじめた。


 施設には、子供もいれば老いたやつもいた。みんな、一つの灰色の冷たい部屋に閉じ込められた。

 部屋は、横並びでいくつもあって、声しか聞こえなかったが、どこの部屋も同じような状態みたいだった。

 それ以外は、毎日餌と水を与えられるだけの生活だった。

 時々、乾いたキーっという音がして、逃げ惑う声が聞こえた。そして、すぐに静かになった。

 ここにいたら殺される。

 いつの頃からか、誰がいいだしたいつの頃からかそんな噂が流れた。たぶん、あれは真実だろう。

 でも、オレはあまり気にしてなかった。

 オレは元々体が弱かったうえ、施設の環境もよくなかったら、体調を崩してずっと寝ていた。どう転んでも長生きはできない。そう思っていた。

 周りの奴らは、生まれたときから野良だったり、オレみたいに一度飼われたあと捨てられたり、いずれにしても人間にいい印象を持ってないヤツがほとんどだった。オレだってそうさ。

 一匹、子供がいた。

 どういった生い立ちかは聞いてねぇが、アイツだけは人間を信じきっていた。人間に酷い目に遭わされたのは、たまたまだって、悪い人間ばかりじゃないって、何度も何度もそういっていた。

「お兄ちゃん、体、大丈夫? 辛くない?」

 本当に、優しい奴だった。

 こんな奴が、優しい飼い主に出会ってほしい。いままで他人のことなんて、考えたこともなかったのに、本気でそう思った。


 ある日、施設の職員がオレを部屋から連れ出した。オレだけだった。

 一瞬で悟った。

 オレは、誰かにもらわれたのだと。

 オレの、新しい飼い主が見つかったのだと。

 殺されなくてすむ。

 だが、なにも嬉しくはなかった。どう転んだって、長生きできないのはわかっていたから。

 引き取るなら、オレじゃなくてあの子供にしてくれ。

 何度もそういったが、人間に言葉が通じるはずなかった。

 オレを選んだのは、人間のガキだった。

 そして、オレは引き取られ、あの子供はおそらく殺されただろう。さらに、オレもすぐに死んでしまった。


 長い話を終えた青年は、ゆっくりと息を吐いた。

「じゃあ、飼い主さんに訊きたいことって……」

 イクがいうと、青年はうなずく。

「ああ。なんでオレを選んだのか。それを聞きたい」

「それを訊いたところで、あなたに代わってその子供が選ばれることはありませんよ」

 コンは、はっきりといい切った。

「わかってる。でも、オレの体のこと、病気を持っていること、聞かされたはずなんだ。なのに、短い命が選ばれた意味を、オレがアイツの家で暮らしたわずかな期間の意味を知りたいんだ」

 コンは頬の火傷の跡に手をあてた。

 生きていた十三年間で、誰かの人生を大きく変えたり、歴史に残るような偉業を成し遂げた自覚は、ない。

 だけど、コンの人生が意味のないものだったとは思わない。思いたくないだけかもしれないけど。

 うん。よくわかんない。

「なんとかその飼い主さんを見つけましょ。あなたの『想い』なんとかします」

 そうはいったものの、特定の誰かを見つけるというのは、コンたちには非常に難易度が高いことだ。

 見つけるには、その人間がいそうな場所、今回の場合はこの学校で「こんなヒト知りませんか?」と、聞き込みをするのが近道だろうけど、それが出来ない。

 コンたちの姿は、周囲に見えないし、声も届かない。幽霊と人間、双方と会話ができるヒトに、橋渡しを頼まないといけないのだ。

 サナに頼んでみようか。

 でも、嫌がるだろうな。彼女が人間と距離を置きたがっていることも、ずっと登校を拒否していることも、コンはよく知っているし、無理強いはしたくない。

 そんなことを考えていたときだ。


「セリカちゃん!」


 突然、イクが声をあげた。

「へっ、私?」

 そして、その声に反応したのは、通りかかった小学校高学年くらいの少女だった。

「ごめんなさい。どこかでお会いしましたっけ?」

 少女は足を止め、イクを見つめる。そう。はっきりとイクを見つめていた。

 そしてイクは、驚きと、戸惑いの混ざった顔をしていた。

「あの、その……わかんないんです。なんであなたに声をかけたのか。でも、わかんないんです。私、記憶がなくて、あなたがセリカちゃんだって、それだけはわかって……」

 イクは早口で、声を震わせながらいった。

「なんだかよくわからないですけど、私の名前をご存知だということは、どこかでお会いしているのかもしれませんね」

 セリカと呼ばれた少女は軟らかい口調でそういった。

「あの、セリカ……ちゃん? 今更やけど、私たちが見えんの?」

 コンの問いに、セリカははっきりとうなずいた。

「はい。よく見えていますよ。私、幽霊さんが見えるんです。二年くらい前から急に。でも、こんなに沢山お集まりって珍しいですね。なにかあったんですか?」

 コンは少し考えた。

 人間と幽霊、双方の橋渡しができて、学校に来ている人物が、目の前にいるのだ。

「セリカちゃん、もし嫌じゃなかったら、手伝ってほしいんやけど」


 コンが大まかな事情を話し、青年は“飼い主”の名前を告げた。

「ああ、そのヒトなら知っていますよ。家が近所なので。休み時間になったら、教室にいってみましょう」

 思いがけないところから、青年の『想い』を果す道ができた。コンは安堵した。

「あ、江坂さん、大丈夫?」

 そこに、女性教員がやってきた。セリカを探しにきたようだ。

「大丈夫? トイレにいって、戻ってこないから様子を見にきたんだけど」

「ごめんなさい。お腹痛くて……」

 セリカは自分の腹部を撫でる。

「大丈夫? 保健室いく? 顔も青いみたいに見えるけど」

「いえ、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」

 セリカは教室へもどっていった。そのさい、一瞬コンと目を合わせていった。


 やがて、チャイムがなった。

 廊下は子供たちの声で満たされる。

 そして、セリカはやってきた。

「お待たせ。いきましょう。一年生の教室へ」

 セリカに続いて、階段を下り、一年生の教室の前にやってきた。

「ちょっと待ってて」

 セリカは教室の入り口から適当な人を捕まえて、なにか話していたが、すぐにコンたちの元に戻ってきた。

「お待たせしました。その……、今日はお休みされているそうです。体調を崩されたとかで」

 セリカは申し訳なさそうにうつむく。

「大丈夫だ。アイツの家、知ってる。オレの暮らした家だからな。ありがと」

 青年はそういって、セリカに背を向け、歩き出す。

 コンは何度もセリカにお礼をいって、イクと一緒に青年を追った。


 青年はある一軒家の前まできた。途中で追いついたコンとイクも一緒だ。

 家の庭には犬小屋があり、その周囲にはゴムボールや散歩のときに使うリードが置かれていた。たが、犬はいなかった。

 玄関のドアをすり抜けて家の中に入ると、青年は迷わず、二階に上った。そこには、子供部屋があった。

 窓辺にベッドがあって、そこに男の子が横たわっていた。辛そうに、荒い呼吸をしている。顔色が悪い。

「苦しそう……」

 イクがつぶやく。

「オレさ、なんにも考えてなかったから、気がつかなかったけど、お前、たまに一日部屋から出てこないことあったよな。お前の代わりに、お袋さんがたまに散歩に連れていってくれることあったよな。お前が、お袋さんにどこかへ連れていかれることあったよな」

 青年は、男の子が横たわるベットのすみに腰掛けた。

 コンは、壁に飾ってある色紙が目にとまった。何枚か飾られており、どれも沢山の寄せ書きがある。そして、全て真ん中には、大きくこう書かれている。


『退院おめでとう』


「お前も、オレと一緒だったんだな」

 青年は、そっと男の子の頭をなでた。それは、とても優しい手つきだった。

「――」

 少年は、荒い呼吸の合間に名前を口にした。それは、青年の名前だった。

「ごめんね。助けてあげられなくて、ごめんね」

 男の子はうわごとのようにそんなことをいった。

「このヒトも、セリカちゃんのように私たちが見えているんでしょうか?」

 イクが小さな声で尋ねた。

「さあ、どうやろな」

 コンも、小さな声でこたえた。

「お前が……オレを助ける?」

「保健所に犬を貰いにいったとき、その犬はやめた方がいいって、いわれたんだ。病気だから、長生きはできないって」

 男の子の声を聞く青年の姿は、いつの間にか犬に変わっていた。真っ黒の毛を持つ、大型犬だった。

「僕もね、生まれたときから体が弱くて、何回も入院してる」

 男の子は「でも」と言葉を繋いだ。

「お父さんも、お母さんも、先生も、みんな優しくしてくれて、いっぱい遊んでくれて、美味しいものをいっぱい食べさせてくれて、生きてっていってくれた。体が弱いからって捨てられることはなかった。だから、ボクも……」

 犬はベットの横に伏せた。

「ありがとう。生きていたときにも、こんなに嬉しいことはなかった。でも、やっぱりオレじゃない誰かを選んでほしかった」

 犬は目をつむり、一言一言、かみしめるようにいった。

 コンは勉強机の上にメモのようなものが置かれていることに気がついた。拙い字で書かれたそれは、犬用のスープのレシピだった。

「なあ、あの世へ逝ったあとは、どうなるんだ?」

 その質問はコンにむけられたものだった。

「死者の国でずっとこの世界を見守りながら暮らすか、すべての記憶を消して新たな命として生まれ変わるか、選ぶことができると聞いています」

「そうか。生まれ変わって、またコイツのところに来たいな。今度は、長い付き合いができといいな。それまで、生きてろよ」

 いつの間にか、男の子は穏やかな呼吸で眠っていた。

 ドアが開いて男の子の母親が入ってきた。

「よかった。落ち着いたみたいね」

 母親はしばらくの間、優しい眼差しで男の子を見つめ部屋を出ていった。

「よし、そろそろ、逝くよ」

 犬はそういって、立ち上がった。


 お店に戻ってくると、コンは金属製のかまどに火を入れ料理をはじめた。

 つくるのは、鶏肉のスープだ。

 朝つくったときとは味付けが違う、さっき男の子の机の上に置いてあった犬用の薄い味付けで。

 できたスープを皿に入れると、冷まして完成だ。

「お待たせしました」

 コンはスープの皿を犬の足元においた。

「ああ、この味だ」

 犬の体は、徐々に消えていった。

 コンはそっと、空っぽになった皿を片付けた。

「一件落着、ですか?」

 イクが尋ねると、コンは首を横にふった。

「もうちょっとだけやな」

 イクは不思議そうに、首をかしげる。


 次の日の朝、コンとイクは学校の校門前に来ていた。

「あれ? コンさんにサナさん」

 やって来たのはセリカだった。

「おはよう。昨日はおおきにな」

「いえ。また、なにかあったらいってください。力になります」

 セリカは社交辞令でそういっているのではなく、本当にそう思っているような様子だった。

「あの……セリカちゃん」

 イクはなにかいいた気に口をモゴモゴと動かす。

「はい。イクさんも、いつでも、なんにもなくても会いに来てください。実は昨日、家に帰ってから考えていたんですが、やっぱりどこかでイクさんに会った気がするんです。どこだったか思い出せないんですが」

 イクは、明るい笑顔で「うん」とうなずいた。

「じゃあ、いきますね」

 セリカは校舎に入っていった。

 それからしばらくして、今度は男の子がやってきた。犬の飼い主だった男の子だ。

 男の子の顔色は昨日とは比べ物にならないほどよく、友達と談笑しながら校門をくぐっていった。

「よし、帰ろか」

 コンは歩き出す。イクもそれに続く。

「お昼ごはん、食べたいもんとかある?」

「えっとね……」

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