第228話 帝都では

 玉座にふんぞり返って座っているのは、二十代後半の男。その肉体は、武断の国を率いるものとは思えぬほど弛緩しているが、本人はそれを気にする様子もない。もちろん彼は、テーベ第一皇子アスランである。


「宰相よ、即位の儀はまだ出来ぬのか!」


 癇の強い声が向いた先には、アスランよりさらに緩み切った身体に、過剰な装飾をじゃらじゃらとまとわせた貴族がいた。


「殿下、今少しお待ちを。即位式を盛大かつ豪奢に挙行せんがためには、何者にも邪魔されぬ環境を整えねばなりません。そのためには陛下が殿下に譲位やむなしとご納得いただくこと、そして他に有力な皇位継承候補がいないことが要件として必要かと」


「父はまだ諦めておらぬのか?」


「まだでございます。ですが人の心は弱きもの、外界との接触を断った軟禁生活を二~三ケ月も送り遊ばせば、時代が変わったことをお悟りになるでしょう」


「いっそ、父帝を弑してしまえば……」


 性急なアスランの言葉に、悪辣さでは人語に落ちぬ宰相も、さすがに眉をひそめる。


「殿下。即位なされた後のことも考えなされませ。陛下を弑して簒奪を行ったとなれば、国内外から反発の声が……いえ、不満分子の中には反逆する者も現れましょう。多少時間がかかろうと、陛下から正式に禅譲を受けたという『形式』が大事なのですぞ」


 こんなことまで説明しないとわからぬかと、舌打ちしたい気持ちをこらえる宰相である。もっとも、権勢と贅沢にのみ執着するこんな皇子であるからこそ、彼の思い通りに操れるのだと思い直し、辛うじて自制する。亡きムザッハルが皇位につくようなことになっていたならば、宰相のように裏表しかない狸は、間違いなく排除されたであろうから。


「む……宰相が、皇帝になった俺と、国の行く末を案じてくれていることはわかった。父のことはそれでよい……が、ハディードはまだ見つからぬのか?」


「はっ、出仕を止めた翌日に追捕の兵を送ったのですが、すでに屋敷にはおらず。同日には例の怪しげな『軍師』と『女神』とやらも忽然と姿を消しておりますれば……おそらくは奴らと行動を共にしているものと」


「ハディードに自由を与えれば、いつ反旗を翻さぬともわからん、早く捕らえるのだ」


「全軍をもって捜索させておりますゆえ、時間の問題かと。イスファハンの虜囚どもは多少の戦功をあげた者ではありますが、こたびは奴らに従う軍兵はおりません。恐れるには足りぬかと」


「うむ。あ奴らさえいなければ、ムザッハルにあのような大きな顔をさせなかったものを……捕らえた暁には内乱を画策した罪で派手に処刑してやろうではないか、ふふふ」


 口元を嫌らしく歪めて笑うアスランに、宰相も追従笑いを向ける。「軍師」と「女神」の真価を、理解できていない二人なのだ。


 その時、軍の高官が慌ただしく飛び込んできた。ムザッハル暗殺とその後の皇帝軟禁を指揮したことで、外征に何の功績も上げていないのに将軍に任ぜられた男である。国防よりも権勢拡大に情熱を燃やす、アスランとメンタリティの近い人物だ。


「アスラン陛下! 一大事でございます!」


 緊急報告をしようという時にさえ、アスランを「陛下」と呼ぶことで少しでも歓心を買おうとする卑しさに、宰相も眉間にしわを寄せる。


「何が起こったのだ! 落ち着いて報告せよ!」


 渾身の追従があまり効果を発揮せず、かえって宰相の怒気を買っているらしいことにようやく気付いた将軍が、にわかに背筋を伸ばす。


「はっ、西国境のサルーム城砦に敵襲あり、『ご滞在』いただいていた皇兄サフラー殿下が、誘拐されました次第」


「何だと!」「どういうことだ!」


 アスランも宰相も、これには眼をむく。帝位を弟に進んで譲ったとはいえ、皇兄サフラーは二年前まで大将軍としてテーベ全軍を率いていた、武人の頂点。皇帝の消息がはっきりしない今、もし彼が旗を立てれば、少なからぬ軍勢がその足下に集まるはず。生粋の文官であるハディードよりも、はるかに脅威の対象となるのだ。であるゆえに『ご滞在』を強制していたのであるから。


「あの城砦には三千からの兵力がいたはずだ、カルタゴの大軍が襲来したというのか?」


「いえ、守備兵たちは混乱しており、正確な情報は得られないのですが……」


「いいから早く言えっ!」


 いきなり言い訳に走ろうとする将軍に宰相が一喝すれば、観念したように報告が続く。


「襲撃して来た者たちは、十人に足らぬとのことにて。夜陰に紛れて侵入を許し、数十人の兵を殺害されて、皇兄殿下を拉致されたと」


「そんな少数の者、追い立てればすぐ捕らえられようが!」


「それが……月もない闇夜の中、城壁の内部だけに砂嵐が巻き起こり、混乱するうちに逃亡を許したとのことで。追手を四方八方に繰り出したのですが……そのうち一隊は逆撃をこうむった模様で、五十余名が全滅。死者は皆、見たこともない不思議な貫通創を受けておりまして」


「ありえない嵐と、見たこともない創……それはもしや」


「はっ、賊の中に、青き魔力をまとう、若い女がいたとのことで」


 アスランはまだ怪訝な顔をしているが、宰相は悟り、愕然とした。取り逃がした「女神」が、いまや神罰の鉄槌を、彼らに向けて振り下ろそうとしているのだ。彼のこめかみに、脂汗が流れた。


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