第97話 別動隊

 ルード砦落城から五日。王都へ放っていた間諜からの報告に、アミールがその秀麗な眉を寄せた。


「歩兵を中心とした一万の軍勢が、北東に向かって王都を出たと……?」


「我々に直接当てるための軍勢ならば、南東へ向かう王都街道を進むべきところですが……北東には押さえるべき重要な拠点もありません。無意味に軍勢を分けるはずはございませんから、どこかで南進に転じ、我々の背後を衝く別動隊と考えるのが自然なのでは」


 軍団長バフマンの見解に、ファリドも同意する。敵の軍勢が進出するであろう地域は丈の低い樹木が連なる疎林地帯だ。騎馬主体の第二軍団兵が戦うには機動力が活かせず不利な場所であり、敵の位置が知れてもそれを殲滅することは極めて困難なのである。


「う~ん、第一軍団の作戦参謀も、なかなか優秀みたいだね」


「殿下、感心している場合ではございません。歩兵主体とはいえ一万もの軍勢に背後を取られては、苦戦は必至ですぞ」


 バフマンが苦々し気にアミールを諫める。百戦錬磨の彼から見て、この王子の底抜けに楽天的なところは軍の盟主として理想的であるが、それは能天気と紙一重である。その欠点を補う役目を、彼は自らに課している。


「まあ、そこはもっと優秀なうちの『軍師』が、何とかしてくれると思うよ?」


「はあぁ?」


 今度は、ファリドが苦虫をかみつぶしたような顔をする番だ。アミールの無邪気な無茶振りは、これで何度目だろうか。


「でもさ、今の状況を考えたら、兄さんと部族軍だけで何とか解決してもらう以外、ないと思うんだよね」


 アミールの一見気楽に聞こえる発言が、ある意味本質をついていることを、ファリドは認めざるを得ない。全軍を率いて北進し、たった一万の軍勢を探して潰すような動きをしたら、第一軍団の本体に背後を襲われる危険が極めて大きい。かと言って放置すれば、第一軍団主力との決戦に臨んで、常に背後を気にしつつ戦わねばならず、とても勝利はおぼつかないであろう。機動力ある少数の部隊で、早めに駆逐するしかない。


「うむむ、確かに。軍師、いやファリド殿、ここは対応をお願いするわけにはいかないだろうか?」


 まともな思考回路を持つはずのバフマンにも裏切られ、ファリドは覚悟を決める。


「うん、まあ、出来なくもないと思うが……」


「え、兄さん、できるの?」


―――おいこらアミール、お前が俺に無茶振りしたんだろ!


「ああ、多分。フェレと、精強な騎兵……部族軍がいればな」


 アミールの反応に半ば呆れつつも、他に選択肢はなさそうだ。ベストを尽くそうと心を決めるファリドであった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「おおっ! 出陣だな!」

「早くも、我々の真価を見せる舞台を用意してくれたようだな」

「魔女殿、いや女神様に従って戦うことは無上の喜び、全力を尽くし申そう」


 部族軍の長たちは、実に乗り気だ。しかし彼らの力を十全に引き出すには、条件がある。敵の歩兵部隊を林から追い出し、見通しの良い草原地帯で決戦することが必要になる。


「敵が第二軍団の背後に回ろうとして、出てくるとしたらこの付近である可能性が高い」


 ファリドが植生地図の一点を指さす。あえて軍事地図ではなく植生地図なのは、林と草原の境目が、騎兵にとって大きな意味を持つからだ。ファリドの指が示すところは、北に広がる疎林が、草原地帯に向かって一番張り出している部分だ。


「敵の歩兵隊はできるだけ疎林を通ることで、騎兵に発見される危険を避けて来るはずだ。だから林が一番出っ張っているここらへんに隠れて、俺たちの隙を窺うだろう」


「そこから草原に出てくるところを叩くわけだな。だが、あいつらがわざわざ自分たちに有利な林を捨てて、のこのこ出てくるとも思えないが?」


 ブワイフ族のシャープールが疑問を呈する。この三日間でファリドとも打ち解け、言葉遣いも改まったものではなくなっている。


「そう、だから俺たちの注文通りに、追い出すしかない。ブワイフ族から二百騎借りるぞ。後はフェレが奴らを林から出て来ざるを得ない状況に追い込む。あんたたちは草原で待ち構えていてくれればいい」


「一体、どうやって?」


「まあ、見ていてくれ。フェレの魔王ぶりを」 


◇◇◇◇◇◇◇◇


「あのようなことを言うたが、策はあるのかのう?」


 山羊のような角を撫でつつファリドに問うのは、魔族のアフシンである。夜目が利くという特技だけが売りというこの男、アミールのきまぐれでファリドの配下になって以降は、夕飯時になるとファリド達の天幕に、少しだけ良い食事と、酒を求めてくるようになっている。第二軍団や部族軍の兵たちは、当初アフシンに奇異の眼を向けていたものの、分け隔てなく接しているファリド達の姿を見て徐々に打ち解け、軽口を交わす光景も見え始めている。


「……リドは、ちゃんと考えてる……はず、大丈夫。はいアフシン、マナ酒持ってきた」


「おお、ありがとう嬢ちゃん。ふむ、お嬢は軍師殿を信頼しているのだな」


「……『つがい』を信じるのは当たり前。リドは何度も私を助けてくれた、そして一度も間違っていない」


「いやはや、仲が良すぎて胸焼けしそうだの」


 決してのろけているのではなく、大真面目に言っているフェレである。魔族は微笑ましい思いで若い二人を眺めつつ、蒸留酒を口に運ぶ。


「策は……ある。今回もきめ細やかな魔術の制御が必要となるんだが……フェレなら、できるはずだ」


「……うん。リドができると言うのなら……私は、できる」

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