第95話 和議

 部族軍の長たちが向けた疑問に、ファリドは落ち着いて答えた。


「それは簡単です。もともと部族軍はみな騎馬の民。騎兵として機動力を活かした運用をしなければ、その真価を発揮できないことを皆知っているわけです。わかっている上で砦に詰め込み籠城させるということは、第一軍団の首脳部は部族軍を戦力ではなく、捨て石としてしかみなしていないということ。あわよくば我々を足止めできるけれど、うまくいかなくても正規軍の懐はわずかしか傷まない。むしろ、潜在的な反乱予備軍が消えて幸いくらいに思っているでしょうね」


「くっ……」


 ホラサン族の長が立ち上がりかけるのを、シャープールは手で制する。そうだ、この若者が言っていることは、彼らが常々苦々しく感じていたことと同じ……第一軍団は、彼らを利用できるときは利用し、価値がなくなったらむしろ体よく始末する、その為に彼らは不向きな砦防衛などに投入されたのだと。


「だから俺は考えたんです。フェレの魔術なら兵を一人も殺さずにじわじわ圧力をかけていくことができる。それを続けていけばいずれ砦の指揮官が暴発し、自暴自棄の命令を部族軍に出すだろうと。その時、誇り高い部族軍がそれに従うとは……思えないなってね」


「むう……」


 ホラサンの長も一声うなってもう一度座りなおす。ファリドが言ったことは、そっくり砦の中で三十分ほど前に起こったこと、まさにそのものであったのだから。


「ふ、ふ、ふぁっはっは……いやはや、この『軍師』殿は素晴らしい。その通りだ、我々は正規軍の悪辣な指揮官どもを倒し、今や砦を部族軍で制している。そこで、王子殿下……貴方は、我々にどうすることを求められるのか?」


「ああ、ブワイフ族のシャープール殿でしたね。私の望みは、このまま貴兄らが私の傘下に入り、ともに王を僭称する次兄キルスと戦ってくれることです。もちろん、野戦の騎兵として」


 アミールが、その翠の瞳を真っすぐシャープールに向け、澄んだ声で告げる。


「しかし……王族にとって我々は所詮まつろわぬ未開の異民族。王子が我々を頼るなど……」


「え? あ、そうか、皆さんは知らなかったんですね。私と王太子であるカイヴァーン兄の母親は、ファールス族なのですよ」


「えっ?」「何っ」


 驚く二人の族長が振り向くと、ファールス族の長が無言でゆっくりうなずいた。


「もちろん、表向きはそうなっていません。国内貴族や有力者の抵抗を抑えるため、一旦貴族の養女となって王宮に上がりましたからね。それでもやっぱり高位貴族の反発は大きく……母は常に命を狙われ続け、結局長生きできませんでした。キルス兄が王太子たるカイ兄と対立しても根強く支持が集まるのは、彼の母たる現王妃が純血のイスファハン人だからですよ」


「……くだらない」


「そう、姉さんの言う通り、本当にくだらない。だからこんなくだらないことを僕らの世代で終わらせるために、カイヴァーン兄さんを王位につけなければいけないんだ。そして今僕の前に部族軍の精鋭がいる、これはまさに天佑と言うべきだ」


 フェレの短い言葉に感情を呼び起こされたかのように、アミールの口調が丁寧なものから、普段のそれに戻る。そして彼は、部族長たちにもう一度、熱い視線を向ける。


「誇り高き部族の長たちよ、もう一度お願いする。どうか、王都で王太子カイヴァーン殿下と再び相まみえるまで、このアミールに力を貸してもらいたい。私は王になることはない、だから貴兄らに与えることのできる褒賞は少ないだろう。だが、部族の誇りを絶対に傷つけるようなことはしない、どうか共に……戦ってはくれないだろうか?」


 一転グイグイと迫るアミールの勢いに押され、しばらく天幕の中に静寂が流れた。長たちは視線を地面に落としてじっと沈思していたが……やがてシャープールが一番先に顔を上げ、アミールの翠色した瞳をじっと見返した。


「我がブワイフ族はアミール殿下に従いましょう……女神アナーヒターの名にかけて」

「ホラサン族も殿下の進む道を切り拓きましょうぞ。アナーヒターの名にかけて」

「無論、ファールス族も。亡き王妃アリュエニス陛下の名にかけて、アミール殿下に忠誠を尽くし申す」


 長たちは次々ひざまずき、忠誠の誓いを行う。アミールが一人ひとりの手をがっしりと両手で握り込み、信頼を表す。人たらし王子の面目躍如である。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 長たちは明け渡しの準備をするため、砦に戻ろうとしている。


「あ、姉さん。砦に降り積もった砂を……」

「そうだな、フェレ、砂を除けてくれるか?」


 アミールとファリドの言葉に反応したフェレが、またシャムシールを抜く。妖しい構造色を帯びた黒髪がふわりとふくらみ、周囲を蒼い魔力のオーラが包む。


「……んっ!」


 短い気合の声とともに、馬車千台にも積みきれるかと思うほどの赤い砂が、砦から一気に、しかし静かに上空に浮き上がる。それは砦の上で一本の太い蛇に変わり、やがて細部まで造り込まれた、赤い竜の姿に変化した。竜は上空で暫く活き活きと舞い踊った後……フェレの小さなため息に合わせて崩れるようにその造形を失い、静かに大地に返っていった。


 砦の中から、そして城壁の上から、うおおっと地響きのように歓声が上がる。その声は魔術への賞賛でもあり、和議が成ったであろうことへの喜びでもある。


「シャープール殿、あの『魔女』殿は一体……」


「うむ。その姿を間近で見るまでは魔王の為せる業としか思えなかったが……あの美しさ。あのお方は、もしかすると畏れ多くも……」


「女神アナーヒター様の、化身か……?」


 この瞬間、フェレのファンクラブ会員が本人の知らないうちに、三名増えた。


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