第16話 罪と涙

 しばしの沈黙に鳥の鳴き声が割り込んだ。ちらと鳴き声がしたほうを一瞥して、リチャードは軽く息を吐く。


「ケネスを殺したら、眷属になった全員が死ぬ。それは知っていますか?」

「知ってます。村長さんが皆を集めて言ってました」


 エルシーの視線は揺らがない。己を殺せと言う彼女から目を話さず、しかしリチャードは眉根を寄せて居心地の悪さを表した。


「それを承知で頼むのですか。何をそこまで思い詰めているんです?」


 リチャードに見えるのは彼女の罪悪感。自分が死ぬと分かっていてもそれを良しとする後ろ向きな決意だ。


「私がどうしてあの時、馬車に乗っていたのか分かりますか」


 質問というより、答えを知っているただの問いかけをエルシーは投げた。リチャードと会った時のことを指しているのは言うまでもない。


「……いいえ」


 嘘だった。リチャードはほぼ確信していた。だがそれを言葉とするのを躊躇った。できればこの話題も避けたかった。エルシーはそんなリチャードを見てほんの少しだけ気を緩ませる。


「私の番だったんですよ。街に言って、旅人を村に連れてくる役目」


 わざわざ街まで行って何も持たず、買わず、手ぶらで帰ってくる。そんなことは普通の村娘はしない。本当ならば、誰かが隣にいるはずだったのだろう。


「もう知ってるんでしょう? あの男が連れてきた人たちをどうしてるか」

「ええ、知っています」


 リチャードは観念したように口を割った。


「私を村に誘ったのは教会の狩人(ハンター)だから。あわよくばケネスを狩ってくれるかもしれないと思ったから、ですね」


 正解、とエルシーは淡く微笑んだ。


「もう何人も連れてきては送り出した。二度と帰ってこないと分かっていて。自分たちじゃあの男には敵わないから。仕方ないって言い聞かせて。私達は卑怯者の人殺しなの」

「それは違います」


 自分を斬りつける言葉を否定する。リチャードは強く言い切った。


「あなた達はただの被害者です。命を盾に、脅されて従わされただけだ」

「だから、何をしてもいいの!? そんなはずないわ!」


 エルシーが声を荒げる。目に涙が浮かんでいるのが見えた。立ち上がり、両手を広げる。


「あの人達にも家族がいたかもしれない! 恋人だっていたかもしれない! それなのに私達は自分の命惜しさにあの男に売り渡したのよ!」


 拭いきれない後悔の念がエルシーの表情を歪める。彼女の剣幕に押されてリチャードは咄嗟に反論できなかった。


「笑って出かけていったあの人達の最後の顔が忘れられないの。何度も夢に出てくるのよ……」


 項垂れて涙を零すエルシーに、リチャードが返せるのは力ない慰めだけだ。


「それでも、あなた達は悪くない。悪いのは人を陥れ、利用する方です」


 リチャードも立ち上がり、弱々しく震えるエルシーの肩に手を置いた。瞳に溜まった涙を人差し指で拭ってやる。


「違う。私達は共犯よ。だから、もう終わりにしなきゃいけないの。これ以上犠牲者を増やさないためにも」


 自分たちもろとも終わりにして欲しい。それが静かに泣き続ける彼女の願い。つい先ごろ自分が村長にした提案と同じだとしても、リチャードは分かったと頷くことが出来なかった。理性で下した判断に、感情が反発しているのだ。


「分かってます。同族を殺してだなんて酷いことをお願いしているのは」


 リチャードの沈黙を勘違いして、エルシーは言う。


「お金だって集められるだけ渡しますし、それで足りなければ……」


 彼女は着ていたシャツのボタンに手をかけた。


「エルシーさん? 何を――」


 困惑するリチャードに潤んだ瞳を向けて、第一ボタンを外す。


「私を好きにしてくれて構いません」


 リチャードの首に腕を回し、背伸びをして顔を近づけていく。自分の身を売ろうとしているとリチャードが気付くころには唇と唇の間が数センチにまで縮まっていた。


「いけません」


 咄嗟にリチャードは彼女の唇に人差し指を添えて押し止める。


「そんな哀しいキスは受け取れない」


 リチャードが悲しそうに眉尻を下げると、エルシーの目に溜まった涙が盛り上がり頬を伝って次々と地面に溢れた。


「だって私、他にあげられるものなんてなにも……。なんにも持ってない……!」


 くしゃりと歪めて顔を手で覆い、少女は泣いた。そんな彼女にリチャードはハンカチを渡し、優しく語りかける。


「あなたの気持ちはよく分かりました。私もケネスをなんとかするつもりでいます。そのために村長と話をしたのです」


 ハンカチを涙で濡らしながら、エルシーは顔を上げた。


「本当、ですか……?」

「本当です。だから、ケネスのことは村長と私に任せてください」


 鼻を啜り、言葉をつかえさせる彼女の頭に手を置く。分かり、ましたと呟いたエルシーは少しだけ肩の力が抜けたようだった。


「さぁ、顔を洗ってきなさい。そのまま帰ったら家族がびっくりしますよ」

「はい。あの、失礼しました」


 やや顔を赤らめて彼女は一礼し、井戸のある広場の方へ走っていった。その様子をリチャードは、己の無力さに歯噛みしながら見送った。


 自分は強い。物理的にはそうだと自覚している。しかし万能ではない。それをこういう時に思い知らされるのだ。


 そうして十数分の間その場に立ち尽くしていたリチャードは、振り返って林の向こうに声を掛けた。


「やめておいた方がいいですよ。あまり良い結果にはならない」


 木々の合間に声が消えてたっぷり十秒経ったころ、下生えを揺らして1人の人物が林道に現れる。青年と言っていい若い男。エルシーの兄のデリックだ。彼は矢を番えた弓を手に、リチャードへ怒りの目を向けていた。

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