双極性障害のママと知的障害のたっくんの日常

新井ひより

初めてうつ状態と診断される

初めは風邪のような症状だった。


看護師国家試験に合格し、就職して2年目、23歳の時。私は脳外科整形外科病棟の、急性期脳外科チームで働いていた。

そのチームは、脳の病気の手術後の患者さん、または入院してまもない患者さんを看護するチームだった。

患者さんの意識レベルに変化はないか、からだの麻痺に進行はないかを細やかに観察しなければならない。とても神経を使った。

とくに夜勤はそのチームの患者さんたちを1人で担当しなければならないため、大きなプレッシャーを感じていた。せん妄状態(一種の意識精神障害)となり、ベッドの上に仁王立ちになる患者さんがいると思えば、自分で痰を出せず、吸引(痰を細いチューブで吸引すること)が必要な患者さんがいる。1人の患者さんの吸引が終わったと思えば、また隣のベッドの患者さんが痰を喉でゴロゴロいわせている。そんな状態だった。

また、その頃、看護学生時代から3年半付き合っていた彼と別れたのだった。


次第に、仕事の日は普通に出勤して業務をこなすのだが、休みの日になるとからだの節々が痛くからだもだるいという症状が出た。「風邪かな?」と思い、熱を測るのだが熱はない。休みの日は一日中横になっており、勤務の日になれば仕事に行く。そんな状態がしばらく続いたため、内科を何箇所か受診して採血もしたが異常はない。


そんな中、ある病院の内科を受診した際、隣に心療内科があった。「もしかしたら…」と私は思った。私の母はうつ病を患っており入院していたこともある。私にとって、心療内科の壁は高くはなかった。

心療内科を受診すると、年配のおじいちゃん先生が優しく迎えてくれた。私は最近の状態を話し始めた。話している間に仕事(特に夜勤)が自分にとってプレッシャーとなっていて、追い詰められていたこと、付き合っていた彼と別れて、一人暮らしで本当はとても寂しかった気持ちに気づき、涙がポロポロと流れていた。

結局私はうつ状態と診断され、3週間休職した。仕事を休み、実家に帰省すると、すぐにからだの症状は良くなった。復帰後は、比較的病状が落ち着いている患者さんを看る整形外科チームへと担当が変わり、一人暮らしをしながら、からだの症状をぶり返すことなく看護師の仕事を続けられた。


この何年か後に、当時、急性期脳外科チームで一緒に働いていた先輩と食事をすることになったのだが、その時先輩が「あの時は本当に大変だったよね」とポロリと言った。その時私は「えっ?先輩も大変だと思っていたの?」と驚いたのである。

当時私は、仕事で気持ちが追い詰められていたにもかかわらず、「他のみんながこなしているんだから私も頑張らなくちゃいけない。大変なんて思っちゃいけない。」と思いながら弱音も吐かずに仕事していた。自分の気持ちに蓋をしていたのである。先輩と話をして、「大変って思ってよかったんだ〜」と思ったのである。


この経験から、わたしは自分に湧き上がった気持ちを無視しないこと。そして、それを誰かに聞いてもらったり、相談すること。自分の中に気持ちを溜め込まないことと教訓を得たのだった。

また、担当チームが変わったことで仕事を続けられたのだが、人には向き不向きがあることがわかった。看護師で言ったら、急性期のスピードを要する看護が得意な人。逆に慢性期のゆったり患者さんと関われる看護が得意な人、といった具合だ。

どちらも必要な看護で、それを優劣と思わないことだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る