9 再会
アスキス六世が亡くなった後、イズナス様はアスキス七世を名乗らなかったそうだ。戦争で民が辛い思いをしたから、新しく幸せな時代を始めようと、イズナス一世を名乗ることにしたとか。
暦も変わり、今はイズナス暦五年。あちらとこちらは同じように時間が流れている。
やがて、国境に近い砦が見えてきた。
石造りの建物に設けられた落とし格子が、ガラガラと引き上げられる。ぽっかり開いた入り口に私たちが入ると、格子は再び降りた。
暗い通路を抜けて中庭に出ると、目の前に再び建物が現れ、再び落とし格子が上がる。
「この先の中庭に、キャシーがいる」
ニューバルはそこで立ち止まった。そして、ためらう様子を見せながらも、言う。
「最近も少し、暴れてな。西の森の一部を灰にした。それで仕方なく、ここに捕らえてあるんだ」
「捕らえる!? 竜の王を捕らえるなんて、神罰が下るわ」
「わかってる。元々、アスキス王が暗殺されてからもこの国がいい方向に行かないのは、竜の王が怒っているからだと皆が思っている。このままでは、竜は『災厄の神』になってしまう」
神とは、人々に優しいだけの存在ではない。あらぶれば魔法神官によって鎮められ、封印されてしまう可能性だってある。
もちろん、簡単なことではない。竜たちも群を作って対抗するはずだ。国には甚大な被害が出るだろう。
私はようやく納得する。
「……だから、私を呼び戻したのね」
「お前なら大丈夫だと思うが、もし危なそうならここを通って逃げてこい。気をつけろ」
私はもう無言で、通路に飛び込んだ。背後で、落とし格子が閉まった。
すぐに、中庭に出た。四方は石の壁になっていて、壁の上に歩廊がある。
中庭の右奥の角に、キャシーがいた。うずくまって、目を閉じている。
翼は背中にたたまれていたけれど、やや不自然な形だった。魔法で固められているのかもしれない。
「キャシー!」
思わず呼びかける。
サッ、とキャシーが顔を上げた。
視線が合った瞬間、私は駆け出していた。キャシーは身体を起こす。
「キャシー! アディリルだよ!」
私はそのまま、彼女の首に飛びついた。彼女は首をぐりぐりと動かして私に顔をこすりつけながら、キュウッキュウッと甘えた鳴き声を出す。
もちろん、怖くなんてなかった。私たちは心が通じるから。私は以前と同じ気持ちをキャシーに対して持っているので、キャシーも一切警戒していないのだ。
「ああ、可哀想に、繋がれて……。離してもらえるよう、頼んでみるからね。これからは私が一緒だから大丈夫」
頭を撫で、首を叩くと、キャシーは長い舌でべろべろと私の顔を舐めた。
「え、なんか、私のこと憐れんでる? ああ、まあね、私もそれなりに大変だったよ」
お互いの数年間を労っていると――
――キャシーが頭を上げ、動きを止めた。
ハッ、と私も向き直る。
私が入ってきた門から見て左側の石壁、その中央部分が、まるで蜃気楼のように揺れた。そして、そこから湧き出すように人影が現れたのだ。
手に、石盤をかざしている。魔法神官だ。
私を見て見開かれたのは、紫の瞳。
かすれた声が漏れる。
「アディリル……!」
ルードだった。
かつて私の、夫だった人。そして、私がイズナス様と姦通していると信じ込み、自らの手で妻の肩に罪人の烙印を印した人。
彼が一歩、こちらに踏み出した瞬間、私は彼に向けて素早く銀色の棒を構えた。
「来ないで」
自分でも驚くほど、私の声は彼を拒絶していた。
ハッ、としたようにルードは立ち止まる。彼はごくりと喉を鳴らしてから、静かに言った。
「話をしたい」
「私はしたくない」
肩が痛む。
暴れ出しそうな気持ちを無理矢理押さえつけながら、私は低い声で続ける。
「中庭から出て行って。キャシーは私の気持ちを読みとって行動する。このままここにいたら、あなたに光弾を飛ばす」
「…………」
ルードは再び口を開いたけれど、キャシーのうなり声を聞いて、口を閉じた。
かつてのキャシーはルードのことを嫌ってなどいなかったけれど、今は私の気持ちと同調している。本当に何をするかわからない。
私は、彼の目をにらみつけたまま、視線を離さなかった。五年前よりも少し、頬が削げたように感じる。
そして、ルードもまた私を見つめていた。私のように威嚇や憎しみの視線ではないけれど、眉をひそめ、何かを耐えているような視線。
不自然なほど長く見つめてから、彼はつぶやいた。
「元気そうだ」
私はカッとなった。
(追放に荷担したあなたが、何を!)
瞬間、キャシーが大きく口を開けた。光弾が飛ぶ。
光弾はルードをかすめ、壁に着弾した。ズガン、と音を立て、石壁にヒビが入る。壁は魔法で強化されているのだろうが、キャシーの弾は強力だった。
その間、ルードは少しもその場から動かず、私を見つめ続けていた。
そして、言う。
「また来る」
彼は後ろに下がり、再び壁の中に消えた。
石壁は、何事もなかったかのように、元通りになった。
私は大きく深呼吸した。
いつの間にか、息を止めていたらしい。額から嫌な汗が噴き出る。
キュウ、という声がして、あわてて棒を下ろしながら振り向いた。
「だ、大丈夫だよ。大丈夫」
棒を握る手が、震えている。
過去の愛、肩の烙印、今も抱く憎しみ。その一つ一つが燃え上がり、絡まり合い、炎の渦となって私を焼き尽くそうとしていた。
もう一度キャシーの首に抱きつき、必死で気持ちを落ち着かせていると、落とし格子がわずかに上がった。格子の隙間から、ニューバルが怒鳴る。
「アディリル、無事か!? ヤバそうなら避難しろ!」
「あ、何ともない! キャシーは私を攻撃したんじゃないから!」
私はあわてて叫び返し、誤解を解いた。
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