第20話 言い分(了)
父親が出してきた非情な条件を飲み、実行に移してしまったヴラディスラフを待っていたのは自由の日々ではなく、軟禁生活だった。父親と手を組んだ医師によってヴラディスラフは心神耗弱の状態にあると診断され、周囲には療養中であると偽られた上で、屋敷に閉じ込められたのだと語る。
「懲りることなく幾度も逃亡を図り、その度に屋敷へと連れ戻された。一向に諦める気配のない私に、配偶者となった公爵令嬢は言い放った。自分をキーリャを捨てるのかと。肉体関係を持ったというのに、子供まで産んだというのに、貴方は自分を妻と認めないというのかと、彼女は訴え掛けてきた」
その相手に対して、ヴラディスラフは反論した。
――内縁関係だったとはいえ、自分に妻子を捨てさせたのはお前たちだろう。それを棚に上げて寝言を言うなど神経がどうかしている、精神を病んでいるのは私ではなく、貴様たちの方ではないか。
思いつく限りの呪いの言葉を配偶者に、両親に、親族に浴びせていた。その様子は傍目から見て、精神を病んでいるようにしか見えなかったのかもしれないと、頭の片隅でヴラディスラフは思っていた。
昼も夜も関係なく周囲の者たちと諍いを起こしていくうちに疑心暗鬼に陥っていくヴラディスラフだが、幼いキリールだけは例外だった。父母の不和を見ているためか、キリールは常に大人の顔色を窺う子供となってしまっていた。顔を合わせれば罵り合う父母の仲を取り持とうとする幼子がいじらしくて、いとおしかった。そう思う度に、赤ん坊の頃に別れたきりのフェレシュテフのことが頭に過ぎり、罪悪感を胸を襲った。無意識のうちにキリールをフェレシュテフと比較してしまったこともあるかもしれない。いや、きっとあったのだろう。
大人の勝手に巻き込まれているキリールを守らなければ。マツヤの町に戻ることが出来ないのであれば、せめて、キリールの盾になろう。それが過ちを犯したヴラディスラフの、キリールへの贖罪だった。というのは建前で、純粋にヴラディスラフを父親と慕ってくれているキリールがいとおしくて堪らなかったのかもしれない。稚いキリールの手を振り払うことはしたくなかった。
それでは、置き去りにしてきた妻子のことはどうするのか。勝手極まりない事情を伝えれば良いというわけではないことは充分に理解している。動くことが出来ないヴラディスラフに出来るのは、二人が健やかに暮らしていけるように支援をすることだけだろう。それがナーザーファリンとフェレシュテフへの贖罪だった。
毎月欠かすことなく、ヴラディスラフはマツヤの町にいるナーザーファリンたちに、ある人物を通して送金をしていた。自身の近況と、ナーザーファリンたちの様子を尋ねる手紙を添えて。けれどもナーザーファリンからは何の反応も帰ってくることはない。ヴラディスラフはめげることなく、何年も何年も続けていた。
(……でも、手紙もお金も、私たちの許に届いたことはなかったわ)
どうして、そうなっていたのか。謎はこの先の話で解決していくのだろうからと、フェレシュテフは喉まで出てきていた言葉を飲み込んだ。
「十年ほど前に父が亡くなり、私は爵位を継いだ。そのことで父の息がかかっていた監視の目は緩み、ある程度は自由が利くようになったのだが……今度は自らの意思でスネジノグラードに留まっていた。所領の管理などの執務が忙しかったこともあるが、何よりもキーリャのことが気がかりでね。一人息子ということもあって、キーリャには周囲の目が集中していた。将来を過度に期待する視線や……私のようにならないようにと願う視線を一身に浴びていたんだ」
キリールにかかっていた重圧を知っていたヴラディスラフは、傍について彼を支えようとしていた。付き纏う罪悪感は、最低の義務は果たしているという自己満足で覆い被して、見ようとしなかった。
だから再びの過ちに気付こうともしなかったのだと、ヴラディスラフは何度目とも分からない自嘲の笑みを浮かべる。
――時は流れて、二年ほど前のこと。父親が亡くなった後、別の土地で隠居生活をしていた母親が亡くなったのだ。葬儀を済ませて喪に服した後、ヴラディスラフは遺品の整理をしている最中にある物を見つけた。衣装箪笥の奥深くに、人目につかないように隠されていた彫りが施された大きな木箱だ。鍵穴はあるものの鍵がかかっていなかったので、ヴラディスラフは蓋を開けた。中に入っていたのは何十通もの、封筒だ。上質の封筒にはヴラディスラフの筆跡があり、質の悪い封筒には懐かしい人物の筆跡があった。
「そこで初めて私は知ったんだ、手紙の返事が来なかった理由を」
封筒の山の上に置かれていた日記帳には、ヴラディスラフの母親の字で詳細が記されていた。
ヴラディスラフに未練を断ち切らせようとして、彼の父母は手紙と送金をさせないようにと策を張り巡らしていたのだという。父親の死後も、母親はそれを続けていた。然し母親には僅かばかり罪悪感があったようで、両者の手紙を捨てることなく、隠し持ち続けていたようだ。日記の最後のページには自らの死後、ヴラディスラフが手紙と日記の入った木箱を見つけてくれることを祈っていると綴られていた。
その時のヴラディスラフの胸を襲ったのは、あらゆる人物への憎悪だった。それには、自らも含んでいる。誰も彼もが何かの為に、誰かの為にと勝手を働いていたことにヴラディスラフは立腹した。
「ナージャは私に手紙を書いてくれていたよ。私と交わした約束を守ってくれていたんだ。……私は約束を反故にしてしまったのに」
ナーザーファリンの手紙はスネジノグラードに届いていた。だがヴラディスラフではなく、彼の母親の手に渡っていたのだ。そのことを知らずにのうのうとしていた自分は何と愚かなのだろう。ヴラディスラフの顔に、自らを嘲る乾いた笑みが貼りついた。
「母からの手紙には……何が書かれていたのでしょうか?」
そのことが純粋に気になったフェレシュテフが尋ね、ヴラディスラフが我に返る。彼は思い出したように懐から何通かの手紙を取り出し、食卓の上に並べ、一通ずつ音読をしていく。ナーザーファリンの母国――砂漠の国の文字が分からないフェレシュテフに、内容を知らせる為に。
『愛するあなた、如何お過ごしでしょうか?私もフェルーシャも健やかに過ごしております。お兄様の御加減は如何でしょうか?一日も早くお兄様が御快復されますようにと、フェルーシャと共に祈っております』
『あなた、聞いてくださいませ。歩き始めたばかりだと思っていたフェルーシャが走っていたのです。とても驚きましたけれど、フェルーシャはあなたの器用さを受け継いでいるのかもしれないと嬉しくもなりました。子供の成長には目を見張るものがあるのですね。フェルーシャの危なっかしい走りを、あなたにも見て頂きたいです。是非とも、二人でおろおろと致しましょう』
『マツヤの町も季節が移ろい、少しばかり過ごしやすい日々がやってきたように思います。スネジノグラードの季節はどうですか?あなたが教えてくださった、雪が降っていますか?』
『フェルーシャが赤ん坊の言葉で、私のことを”お母さん”と呼んでくれるようになりました。あなたがお帰りになるまでに”お父さん”という言葉を覚えて欲しいと思いましたので、二人で練習をしております。楽しみにしていてくださいませね』
『あなたの使いだと仰る方がいらっしゃいました。その方から、あなたはスネジノグラードで奥方様を娶られたのだと伺いました。手切れ金だという大金も渡されましたが、直ぐに返却致しました。あの方が仰っていたことが嘘であると、私は信じております』
『あなたがスネジノグラードへと戻られてから、早いもので一年以上も経過してしまいました。お手紙を認めましても、あなたからの御返事が頂けず、私はあなたの近況を知ることが出来ません。私の手紙は、あなたの許へと届いておりますか?あなたのお返事を、心よりお待ち申し上げております』
『あなたの使いだと仰る方が再びいらっしゃいました。その方は、あなたはもう戻られない、手紙を寄越すのは止めるようにと仰いました。愛しいヴァージャ、あなたは私とフェルーシャを見限ったのですか?そうだと仰るのであれば、私とフェルーシャの前に立ち、あなたの言葉で切り捨ててくださいませ。あなたに逢えない寂しさと、独りでフェルーシャを育てていくことの不安で胸が押し潰され、あなたを信じる心が揺らいでしまっています。ヴァージャ、あなたに逢いたい。私たちの許へと帰ってきてくださいませ。フェルーシャがあなたの顔を知らないまま大きくなっていくのが不憫に思えて仕方がないのです』
『ヴァージャへ。あなたに御手紙を書くのはこれで最後にしようと決めました。私はもう、あなたを待つことに疲れました。父親は亡くなってしまったのだということにして、フェルーシャを育てていきます。立派に育て上げてみせます。さようなら、嘗て愛したヴァージャ』
約十八年前のこの手紙を最後に、ナーザーファリンからの便りは一度途絶えていた。この手紙を書いた前後から、ナーザーファリンはフェレシュテフに『父親は故国で亡くなった』と言い聞かせるようになったのかもしれない。
ヴラディスラフの手にある最後の一通は、フェレシュテフも見覚えのある、あの手紙だ。あの時、手紙の内容をヴラディスラフに教えて貰ったが、それは彼によって少し内容を変えられていたものだったらしい。正しくはこんな内容だったのだと、ヴラディスラフは静かに手紙を読み上げていく。
『ヴラディスラフ・ラディミーロヴィチ・ネクラーソフ様。図々しいことは重々承知の上で、貴方様にお願い申し上げたいことが御座いまして、このお手紙を認めております。率直に申し上げます。私は病に倒れ、余命幾ばくもない身となってしまいました。私の死後、一人残される娘のフェレシュテフのことが気がかりなのです。貴方様にフェレシュテフを引き取って頂けないかという御相談ではありません。フェレシュテフを娼婦という身分から解放して頂きたいのです。病に伏した母親を救わんとして自ら進んで娼婦となってしまった愚かな、心優しい娘です。私の自慢の娘です。貴方様が父親であるということをフェレシュテフは知りません。父親は既に亡くなっていると言い聞かせて育てました。ほんの気紛れで結構です。僅かばかりでも父親としても情がおありでしたら、どうかどうかフェレシュテフを救ってやってください。宜しく御願い申し上げます』
孤独になってしまう娘のことを慮って、ナーザーファリンは自ら決めたことを曲げてまでヴラディスラフに縋っていた。その衝撃が大きく、フェレシュテフは言葉を失う。
「直ぐにでもマツヤに飛んでいきたかったが、それは出来なかった」
ヴラディスラフが娘を迎えに行きたいと真摯に訴えると、周囲の者たちは猛反対した。野蛮人の娘をネクラーソフ一族に迎え入れることは出来ないと。
キリールにも、彼の母親にも訴えたが――彼らにも反対された。
「使いを送ることを考えたが、私はもう、周囲の人間を信じられなかった。だから私は……キーリャに全てを押しつけることを考えてしまった」
今まで何もしてやれなかったナーザーファリンとフェレシュテフに贖罪をしたいヴラディスラフは、キリールに爵位と事業を譲り、”ただのヴラディスラフ”になってマツヤの町へを向かうことを決意した。けれども、それは容易なことではなかった。若き伯爵となるキリールの後見人探しや、爵位譲渡の手続きなどで思ったよりも時間がかかってしまった。
「キーリャの母親との離縁にも手間取って、マツヤの町にやって来られたのが……ほんの数ヶ月前だ」
たった一人でマツヤに向かうことには不安があった。右足が不自由なこともあったが、ナーザーファリンたちに逢うことに恐れを抱いていたのだ。そこで旧知の仲であったフセヴォロドに頼んで、同行をして貰った。こうして長い旅路の果てに、ヴラディスラフはマツヤの町へとやって来た――いや、戻ってきたのだ。
「違うぞ、ヴァージャ。ヴァージャは何でも一人で抱え込む。セーヴァはそれを憂慮して、共にやって来たのだ」
「……うん、そうだね。有難う、セーヴァ」
それまで沈黙を守っていたフセヴォロドが急に口を挟んできた。納得がいかないことがあったのだろう。反論をされたヴラディスラフは力無い苦笑を浮かべた。
「話が逸れてしまったね。それで、嘗て”親子三人”で暮らしていた家に向かったんだが、其処は既に空き家になっていた。君が言っていたようにね。町の人々に聞き込みをして、ナージャが亡くなっていること、娘のフェルーシャが未だに娼婦をしているらしいということを知っていった」
ナーザーファリンは共同墓地で眠りについていると、彼女と親しくしていたという隣家の女性に聞いたヴラディスラフは其方へ向かう。フセヴォロドの鋭い嗅覚や勘を頼りに膨大な数の墓の中からナーザーファリンの墓を探し当て、墓前で彼女に詫びた。そんなことをしても何にもならないと分かっていたのに、そうせずにはいられなかったのだ。そしてヴラディスラフは――フェレシュテフと出会った。
「ナージャが私の前に現れてくれたのだと思ったよ。私を断罪しにやって来てくれたのだと。どのように話を切り出したらよいのかと逡巡しているうちに、君が……フェレシュテフであると名乗ってくれて、私にナージャの知人かと尋ねてきた」
この女性はナーザーファリンではなく、美しく成長した娘のフェレシュテフだと漸く理解したヴラディスラフだが、その場凌ぎの嘘をついてしまった。「私は妻子を捨てた最低の人間です」と告げる勇気が無かったのかもしれない。
「自分から父親だと言い出せなかった卑怯者は、ナージャに縋った。……そんな資格など、あるはずも無いのにね」
ナーザーファリンの手紙を読んで理解してもらおうというヴラディスラフの思惑は成らなかった。ヴラディスラフはそれを逆手にとって、知人の振りを続けることにした――フセヴォロドを巻き込んで。
「窮地に陥っているナージャとフェルーシャを救おうと意気込んでやって来たのに、この様だ。不甲斐ない私は嘘をつき続けて、この町で暮らしていくことにした。……何も知らない娘とセーヴァと、”家族ごっこ”がしたかったのだろう」
三人での生活は充実していた――スネジノグラードのことを忘れてしまいそうになるほど。フェレシュテフが無惨な目に遭った時は心身を引き裂かれるような思いに打ちのめされたが、父親として傷ついたフェレシュテフに何をしてやれるのだろうかと必死に考えた。辛い目に遭っても、フェレシュテフがそれを乗り越えていった時は、心の強い娘に育て上げてくれたナーザーファリンに心から感謝をした。
この日々が続いてくれたら良いと願ったのがいけなかったのだろう。スネジノグラードに残してきた未練が、ヴラディスラフを追いかけてきた。
「フェルーシャは天涯孤独の身の上だが、キーリャには沢山の味方がいるのだと私は思い込んでいた。私がいなくなったとしてもキーリャは大丈夫だと……思い込んでいたんだ」
キリールの言い分に耳を貸そうとしなかったことをヴラディスラフは悔いている。あらゆる不安と緊張、恐怖で目の前が真っ暗になっているキリールが頼れる相手は、ヴラディスラフだけだったのだ。だが、助けを求めたキリールをヴラディスラフは見捨てた。
助けを求めている息子よりも、娘への贖罪を優先したのだ。そのことにキリールは絶望を覚えたのかもしれない。それで怒りの矛先をフェレシュテフに向けてきたのだろうと、彼女は納得した。
(……難しいわ。一体何が、正解なのかしら……?)
ヴラディスラフから見た全ての経緯を聞き終えたフェレシュテフは息を吐き、考えを巡らせる。どうしていきたいのか、どうしたら良いのか、あれこれと考える。長い沈黙の後、フェレシュテフは一つの答えのようなものを見つけた気がした。
「先ず言いたいのは……私ではなく、若様の味方であってください。貴方は若様の御父上なのですから」
抱えていた借金は無くなり、娼婦である必要がなくなったことだけでフェレシュテフには充分だった。それ以上のことは望んでいなかったのだと告げると、ヴラディスラフは難色を示した。
「”貴方のフェルーシャ”は大人の庇護が必要な赤ん坊のままなのでしょうけれど、”目の前にいるフェルーシャ”は……ナーザーファリンの娘のフェレシュテフはもう成人しているのです。自分のことは、自分で決めていけます。貴方の庇護は……私には必要ありません」
ヴラディスラフの庇護から抜け出せば、貧しい暮らしが待っているのは目に見えている。けれども貧しい暮らしには慣れている。苦しくても辛くても何とかやっていけるだろうという自信がフェレシュテフにはある。
ヴラディスラフの庇護を求めているのはフェレシュテフではない。あの失礼な貴族のお坊ちゃまだろうと、彼女ははっきりと告げた。
「良い暮らしを続けて生きたいという欲はあります。でも、誰かに目の敵にされてまで続けたいと思うほど、私は図太くありません。貴方がなさりたいという贖罪は……私にとって不可解なものでしかありません。何を今更、ということではなくて……突然現れた実の父親という存在を理解しきれていない、のかもしれません」
様々な要因が複雑に絡まった結果が、現在だ。そのことを後悔しても過去に戻ってやり直すことは出来ないのだから、現在を、未来をどうしていくのかに目を向けた方が建設的なような気がした。
「一人で抱え込んだところで問題は解決していかないのだろうと、私は考えるようになってきました。こうして互いに話をして、理解や妥協をしていかなければならないのではないかと。ですから、その……私に向き合ってくださったように、若様とも向き合ってください。色々なことを話してください。優先するべきことはそれなのではないかと、私は思います」
ヴラディスラフの愛情は全てフェレシュテフに向いている、と、キリールは思い込んでいるようだった。父親の愛情を確かめたくて、マツヤに乗り込んできたのだろう。ヴラディスラフの話を聞いた限り、ヴラディスラフはキリールを愛している。気にかけている。けれど彼の中の罪悪感が邪魔をする。その罪悪感を感じとり、キリールは誤解したのではないかと、フェレシュテフは考えた。
決してそうなのではないと言葉で、態度で、行動で示してやって欲しいとフェレシュテフが訴える。
「……貴方のことを実の父親であると認めるのか、貴方がしてきたことを許すのか、許さないのか、そもそもそういう問題ではないのかもしれないとか、どうしたら良いのか、私には未だ見当もつきません。母が貴方のことをどう思っていたのか、今ではもう聞くことも出来ません。ただ……母は一度だって、”お父さん”のことを悪く言ったことはありませんでした。それだけは、よく知っています」
このことをどう捉えるのか、それはヴラディスラフの自由だと伝えると、彼は目を潤ませて俯いてしまった。
「貴方のことをどう思うのかは未だ保留中ですけれど、あのお坊ちゃまのことは許しません。私の愛する母親を侮辱してきましたし、野蛮人扱いをされましたし。……ですから父親として、世間知らずのお坊ちゃまを躾け直して差し上げてください」
「……申し訳なかった、二十年近くも放っておいて……いや、何もかも」
「私にも非はありましたし、二十年近くも前の話も覚えておりませんので……謝罪は保留にしてください」
話し合ってくれて有難う、と、ヴラディスラフは掠れた声でフェレシュテフに謝辞を述べた。
「む、ヴァージャ。セーヴァとヴァージャは仕事に遅れているのではないか?」
ふと窓の外を覗いたフセヴォロドが落ち着き払った様子で呟く。それを耳にしたフェレシュテフたちは、慌てて其々の仕度をし始めた。それから、完全に遅刻してしまっている仕事へと向かい、フセヴォロドと共に雇い主に平謝りをしたらしい。
その日の夜、ヴラディスラフはキリールが宿泊している高級宿へと向かっていった。父親と息子が向き合っていけるようにと、フェレシュテフは心の中で祈る。
夕食後の一時。フェレシュテフはフセヴォロドとのお喋りを楽しんでいた。明日の朝食の献立は何にしよう、旬を迎えている野菜や魚介類を市場に買いに行こうなどといった内容だ。
傍から聞いていると女性同士の会話に聞こえる不可思議な会話が一段落したところで、フセヴォロドが席を外した。マサラチャイを淹れてきてくれるというので、フェレシュテフは食卓の席で大人しく待つ。
その間に、朝方のヴラディスラフとの会話について、物思いに耽っていた。やはり悲劇の主人公宜しく、不遇な人生に酔えば良かったのか。ヴラディスラフが望むように、被害者として彼を断罪した方が良かったのか、と。
「……良い子ちゃんでいようとする癖はなかなか治らないのね」
「成人している人間ほど他者に格好をつけようとするものだと、セーヴァは感じている」
何気なく呟いた言葉は宙に消えていくはずだったのだが――それを拾い上げる声が背後からしてきた。驚いて振り返ると、茶器を手にしたフセヴォロドが丁度台所の方から戻ってきたところだった。彼は歩く際に物音を立てないので、フェレシュテフは時々どきっとしてしまうことがある。
「……あの時はあれで良かったのではないかと、セーヴァは思っている。ヴァージャはフェルーシャに深く感謝していた。セーヴァも、フェルーシャに感謝している」
「何だかんだ言っても、私のことよりもお坊ちゃまの方が大切なのでしょう?と、心底では思っているのかもしれないのですけれど……」
「そうなのだとしても構わないだろう。当然のことではないかと、セーヴァは思う。……己の感情よりも事態の収拾を優先させたフェルーシャは尊敬に値すると、セーヴァは思っているぞ」
「そう、ですか。有難う、御座います」
マサラチャイを淹れてくれたフセヴォロドに礼を言って、熱々のそれに口をつける。照れ臭くなったのを誤魔化そうとしたのだろうが、頬が赤くなっている。
(……美味しい)
彼が淹れるチャイはやたらと甘ったるいのだが、この時は丁度良く感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます