第漆章 魔女の為の救済策

 場の空気が凍りつき体感温度が一気に下がったのをクシモは感じていた。

 ユームも一瞬、何を云われたのか理解できていなかったのか、暫くきょとんとしていたが、少しずつ意味が脳に浸透するにつれ表情が険しいものとなっていく。


「どういう意味だい? オアーゼ様と別れろだなんて……事と次第によってはアンタといえども承知しないよゥ?」


『ユームの云う通りだ。そなたが突飛な言動をするのは今に始まった事ではないが、云って良い事と悪い事の区別がつかぬ分別の無い男ではなかったであろう』


 ミーケの三白眼が今度はクシモを捉える。

 その威圧に地母神は小柄とさえも呼べぬ小さく幼い教皇が巨大に見えたものだ。


「バアさんは兎も角、アンタが知らねぇのは可笑しいだろ。それでも『一頭九尾ナインテール』が一柱か。いや、だからこそ内密にしているのか?」


『何の話だ? そなたは何を存じおる?』


 すると教皇は再び天井を見上げて目を瞑った。

 そして七呼吸の間を置いた後、エナジードリンクの残りを一気に呷る。

 叩きつけたワケではないが、テーブルに空き缶を置いた音がいやに響く。


「口止めをされたワケじゃねぇが、かといって云い触らす話でもねぇ。そこを含ンだ上で聞いてくれ」


 クシモとユームはほぼ同時に頷いた。


「近い将来、と云っても何千もの年月を生きる魔王の時間感覚だからスパンは無茶苦茶だが遅くとも二十年内に『魔王禍』が起こる。それもざこば・・・の手によってな」


『ま、『魔王禍』だと?! およそ百年前、確かに余も行ったが、自分の意思で地上を侵攻したと認識はあれど、魔王の手による神罰の代行・・・・・・・・・・・・をさせられているという自覚が出来ないタチの悪いものだ。それが再び……』


「と云うか、ざこばって誰だい?」


「あ? バアさん、アンタ、自分の先祖のことも知らねぇのかよ」


「せ、先祖って『死者の王』ドクトル・ゲシュペンスト様の事かい?!」


『そなたがつけるニックネームは相変わらず酷いな』


 『死者の王』ドクトル・ゲシュペンスト、本名をクレーエという。

 太古において魔導を極め、人類で初めて大精霊との契約に成功した偉大な魔法遣いであり、精霊魔法の礎を築いた人物でもある。

 死後、その知識と知恵が失われる事を惜しんだ神々に請われるまま冥府の王の補佐に就き、彷徨える憐れな亡霊達や天国にも地獄にも行けぬ自殺者の魂、幼くして死した魂の引き取り手ともなった。

 しかし、世に怨みを遺したまま死んだ魂は思いの外に多く、神の救済の手が追い付かない程であり、然しものクレーエも扱いに困る事になる。

 その頃、魔界に潜む悪鬼、悪霊を抑え込む為に天界より『月の大神』が降臨する事が決まり、クレーエが『月の大神』に怨霊と化した憐れな魂達の救済を請うと、魔界の一角に死者の国を作り、その王になる事を提案された。

 荒魂に生前と同様の生活をさせる事で安寧を取り戻させる為の仮初め国ではあったが、魂達の慰めになるならばと慈悲深くもあったクレーエは王となる事を承諾し、名をドクトル・ゲシュペンストと改めて『死者の王』を名乗るようになる。

 その際、彼女は大精霊達をも虜にした美貌を捨て、髑髏のかんばせとなり、彼らから与えられた煌びやかにして荘厳なドレスを色褪せさせ埃にまみれさせる事で、美しいものもいずれは朽ち果て滅びるのだと己を見る者達への教訓としたのであった。

 しかし、彼女の美貌を惜しむ大精霊達の強い訴えにより、『月の大神』が月に一夜、満月の夜にだけ元の美麗なるクレーエに戻れるようにしたという。

 そして日が昇り始めると共にクレーエは急激に老いて、夜が完全に明ける頃にはおぞましい髑髏の魔王へと戻ってしまうのだ。

 その老いた顔が教皇ミーケの目に上方落語家の二代目・桂ざこば氏そっくりに映った事がニックネームの由来である。


「仮にも女につける渾名じゃないだろう……」


「本人は気に入ってるンだから別に良いだろ。そのせいか知らねぇが、『死者の王』の趣味に落語が加わっちまってな。一度、“廓物”を聞いてみねぇ。髑髏とは思えねぇ表情豊かな色っぽい演技がたまんねぇから」


『魔界がどんどんツキヤの色に染まっていくなぁ……この間も盗賊の守護者であり、人に他者の財を奪う知恵と誘惑をもたらす『盗賊王』に向かって、“盗みを極めたという事は防ぎ方も分かるはず、なら『防犯の神』になれ”と抜かしおったしな』


「おう、名付けて『魔界ポジティブキャンペーン』よ。魔王みんなで神になって星神教から信者を掠め取ってやろうって云ったら『盗賊王』のとっつぁんが乗り気になってくれてな。今、『防犯の神』を中心に据えたセキュリティ会社を作ろうぜって話が纏まりつつあるンだ。当然、宗教法人としてな」


 クシモとユームは返す言葉が見つからなかった。

 この子はどこまで商売を広げる気なのだ。

 しかも魔王達をも巻き込んでまで……


「まあ、商売の話は横に置いといてだ」


 ミーケの言葉に両者ははっとなる。


「ざこ…『死者の王』が『魔王禍』を起こしたらどうなるか、聡明なバアさんなら分からねぇワケはねぇよな?」


 魔女は『死者の王』の流れを汲み、ユームに至っては直系の子孫である。

 しかも魔界の眷属であり、ただでさえ迫害の対象となっているのだ。

 場合によっては魔女狩りさえ起こりかねない。


「それに聖都スチューデリアの大臣だぁ? スチューデリアと云ったら星神教を国教にしてるだろがよ。あの異端アレルギーの星神教の事だ。下手したらアンタの大事なオアーゼ様は魔女と交わったとして改易、悪けりゃ死罪もあり得るぞ?」


 ミーケの指摘にユームは唇を噛んで俯く。目尻には涙の粒が浮かんでいた。

 どうして? 初めての恋、祝福してくれると思っていたのに……

 クシモは揶揄いながらも温かな眼差しを向けてくれたが、孫のように可愛がっていたミーケはそれどころか別れろ、このままでは破滅するとまで云う。

 ユームの気持ちを察したのかクシモが非難を込めてミーケの脇を肘でつつく。


『おい、少しはユームの……』


「気持ちを汲めってか? それでどうなる? キツく云おうがやんわり云おうが別れさせる事に違いはねぇだろ? だったらバアさんに恨まれようと確実に別れさせられ

る方を選ぶよ、俺は」


『だからと云ってそなたが悪者になる事もあるまい。況してやユームにはそなたも懐いていたであろう。そういう役目は余に任せれば宜しい』


 俺が云うから効くンだろうが――教皇は目を瞑り眉間にシワを寄せて続ける。


「相手が公爵、しかも皇族公爵じゃなけりゃ、ハイス母さんにバアさんがやったように遠くに逃がすって手もあったがな。しかも妻子がいるンだぞ? 側室は? 公爵のご母堂もご健在だ。兄弟、親戚、女房殿の親類もいるぞ。云いたい事は分かるよな? この手の罪は連座が相場なんだぜ。一族郎党丸ごと助けろってのか? そんな事をしたら今度は慈母豊穣会とスチューデリアとの戦争だ。いや、状況が状況だ。星神教の本隊が出張ってくるかもだぜ。教皇としてそんなリスクは負えねぇよ」


 慈母豊穣会も今や星神教やプネブマ教も無視できない規模に発展しており、現世利益もある事から権威も順当に上がってきている。

 その組織の設立者でもあるおさが構成員を危険に晒すワケにはいかないのは理解できるが、それでもツキヤにだけは味方でいて欲しかったと思うのは図々しい話なのであろうか?

 ユームはまるで捨てられた赤子のように心細かった。


「俺に、いや、『死者の王』に出来る事は精々『魔王禍』までに魔女と魔界が不仲である事を見せ付けて、この戦争に魔女は関わりが無いとアピールするくらいだ。これはバアさんの事が無くても元々そうするつもりだったがな。それに『月の大神』の方でも動いているそうだ。“魔女は魔界の眷属なれど人類の敵に非ず。妄りに事を構える事は禁ず”ってな」


「ツキヤ……」


 ユームが顔を上げる。


「だが、魔女と皇族公爵が結ばれればどうなるか分からん。上層部うえが理解を示しても信徒したはやはり早々には差別根性が抜けねぇと思う。だから俺としてはバアさんの恋を応援するワケにはいかんのよ。もし俺の忠告が聞けないって云うのなら、せめて誰にも見つからねェようにしろ。気の毒だが側室は諦めろ。精々が内縁の妻だ。まあ、公爵が死んだ後、墓を分けて貰い魔女の谷にも建てられる許可を得られるように尽力はしてやるが、俺にできる事は悪いがこれくらいが精一杯よ」


 それで十分だよゥ――ユームは本心では味方のままでいてくれたミーケに嬉し涙を流した。


「ただ、これだけは約束してくれ。予防線を張れるだけ張るがそれでも不測の事態は起こる時は起こるもんだ。その時はまず自分と公爵さまだけでも俺の実家に逃げろ。公爵家や奥方の縁者は可能な限り俺が何とかする。生きる事を諦めるな。そして自分達の恋を続けた結果を呑み込むだけの覚悟はしておけ。その事は公爵さまにもきちんと伝えて約束させろ。いいな?」


 ミーケの三白眼の威圧が増して、ユームは頷くのが精一杯だった。


「頼むぜ。もし、バアさんに何かがあったら、おいらは腹を切って天国にいるハイス母さんに詫びに行かなきゃなんねぇからよ。“アンタの恩人を守護まもることが出来なんだ”ってな」


「ハイス……そうかい。あの、死ぬ間際にアタシの事をアンタに頼んでいたんだね」


「別に頼まれちゃいねぇよ。ただ恩を返しきれてないって云ってたから俺が勝手に引き継いだだけさね」


 ハイスとは昔、ユームが遠方に逃がしたアルウェンの自称ライバルである勇者の名前である。

 またミーケに冒険者のイロハを叩き込み、異世界の知識や各国の情勢を教えてくれた人生の師であり、異世界におけるミーケの母となってくれた女性ひとでもあった。


「けど、良いのかい? オアーゼ様や正妻さまの親類まで助けるって云っちまって。リスクを回避するのが教皇なんだろう?」


「聖都スチューデリアの筆頭将軍ってな、ぽっちゃりした若い娘が好みなんだってよ。星神教最強の聖騎士団長は堅物そうに見えて女装が似合う美少年にどっぷりとハマってるそうだ。その二人にちょいと足止めをお願いすれば一族まるごと助けるのは勿論、慈母豊穣会が動いた証拠を消す時間も十分稼げるだろうさ。後は鼻薬を嗅がせる相手を間違えなければ、“あれぇ? 公爵の親類はどこぉ?”ってなる寸法よ」


「本当にオソロシイ子だねぇ……」


「覚えておけよ。どんなに強い奴でも睾丸きんたま掴ンじまえば力が抜けちまうって事さね。これぞ『淫魔王』直伝ハニートラップの極意よ」


『相手の性癖を掴んで脅す事をハニートラップと抜かすか……』


「絶対に身バレしない上級国民用高級娼館って触れ込みでアチコチに造ったら、まあ、かかるわ、かかるわ。客の中には“聖女さま”と世間で評判を取っている徳の高い尼僧が仮面で顔を隠して御稚児を買いに来るって云うンだからよ。世も末だよな」


 元々は情報収集の為に始めたクシモ配下の吸精鬼サッキュバスによる会員制娼館だが、予想を遙かに超えて慈母豊穣会の敵が多い事に危機感を覚えた彼女達が独断で知識を奪う能力を駆使して軍部、政治、宗教問わず上層部の弱味を握ったのだ。

 武人であるミーケの怒りを買う事を覚悟の上で報告すると、返ってきたのは労いと感謝の言葉であった。

 自分は確かに武人であると謳っているが、策略を用いぬ訳ではない。

 武人には武人の、サッキュバスにはサッキュバスの戦い方がある。

 むしろ体を張って貴重な情報を獲得してきたアンタ達には感謝の念しかない。

 そう云って頭を下げるミーケにサッキュバス達は感激を禁じ得なかったという。

 魔界の騎士達からどちらかと云えば蔑まされていた彼女達は、素直に感謝の意を伝え頭を下げられる彼に熱烈な忠誠を誓うようになっていくのだった。


『近年、サッキュバス達の間では、このクシモとミーケのどちらに命を捧げる事ができるか論争になっているそうだな。ミーケが大切に想われている事を喜ぶべきか、余とミーケを天秤にかけている事に腹を立てるべきか』


「クシモ様をして“ミーケの為なら死ねる。むしろ死ぬよ”と仰せですものね」


『おま、ソレをミーケの前で云うなよ』


 姦しくなってきた女二人にミーケはげんなりとした表情を浮かべた。

 話が脱線しかけてきたのでミーケは一度咳払いをする。


「まあ、別れろと云ったのは悪かった。云われるままに引いてくれればそれで良かったンだが、そこまで真剣ガチなら俺からはもう異論を唱えるつもりは無ェよ」


「ツキヤ、ありがとう。約束するよゥ。必ずオアーゼ様とじっくり話し合って、今後の交際をどうすれば安全に続けていけるか考えてみるさ」


「云ってくれれば逢瀬の場所は提供してやる。ただ、その露出の多いアニメの悪役みてぇな魔女ファッションは控えてくれ。悪目立ちにも程がある」


「悪役て……これは魔力の流れを肌で感じ、大気に漂う魔力を全身で吸収し、果ては魔界の王達の無聊をお慰めする由緒正しい魔女の装いだよ」


「魔女で御座いって云わんばかりの恰好をナントカしろって云ってンだよ。お袋だってバアさんに育てられたが露出は好んでなかっただろ」


『いや、アルウェンもミニスカート愛用していて健康的な生足は勿論、動く度に眩いばかりの白いショーツを拝ませてくれていたぞ』


 余計な事を云うクシモの顔にミーケの裏拳が叩き込まれた。

 ミーケとしても、もう玄孫やしゃごもいるのだからそろそろミニスカートはやめにしないか、と打診はしているのだが、“僕のポリシーなんだ”と真剣な顔で云われては“あ、はい”と返すより無かったという。


「まあ、後日、お袋も交えてアンタの服をいくつか新調しようよ。あ、勿論、ミニスカは無しだ。親のパンチラを見るのもキツイのにバアさんのを見た日には……な」


「どういう意味だい」


 ジト目で睨らまれるがミーケは平然としている。


『余としてはレディー用スーツにメガネをかけた女教師風を推したい』


「アンタは黙っとれ。趣味の話をしてるンじゃねぇよ」


『きゅっ!』


 ミーケは裸絞めでクシモを絞め落とした。

 主に対する容赦の無さにユームは苦笑いを浮かべる。

 この主従の遣り取りは最早慣れたものなのだ。


「教皇さま、そろそろお時間です」


「おう、そうか。ありがとうよ」


 ドアがノックされ、時間を告げられるとミーケは礼を云って立ち上がった。


「あ、もう午後の仕事かい。忙しい中、悪かったねェ」


「いや、今日はもう仕事は上がりだよ。ちょっと予定があってな」


「予定?」


 ミーケはクローゼットを開けてスーツを取り出しながら答える。


「ああ、墓参りだよ。今日は大切な友達の祥月命日なんだ」


 ネクタイを締めながらミーケはユームに振り返る。


「バアさんも時間があるなら一緒に行くかい? 暫くお袋にも会ってなかっただろう? ついでに服屋にも行こうじゃねぇか」


 意外にもスーツに着せられた感は無く、きちんと着こなしつつミーケは髪をオールバックにして首の後ろで結わいている。


「行くのは構わないけど、誰の墓だい?」


「バアさんも知ってるヤツだよ。東雲しののめ姫子。姉貴が嫁いだ東雲一族の本家のお姫様さ」


 ユームの脳裏に、かつて’籠の鳥”と表現した幼い少女の顔が鮮明に蘇る。

 自由を渇望しながらソレは叶わず、若くして命を散らした憐れな娘であった。

 そして同時に嫌な顔も思い出してしまう。

 姫子の夫でありながら、彼女の死を嘆くどころか、命と引き替えに産まれた赤ん坊を見て、“何故、男を産まなかった”と亡き妻を罵ったいけ好かない男の顔だ。


「ああ、行こうじゃないか。命日って事はあの男も来るんだろう? ずっと一言文句を云ってやりたいと思っていたんだ」


「悪いが俺はヤツとは会いたくねぇンだよ。本家が墓参りするのは午前中だ。わざと時間をずらしたのさ」


 二人は知らない。

 姫子の夫がミーケの思惑を見越して待ち構えていた事を。

 そして、その再会が後々に思わぬ事態を引き起こす事になるとは想像すらしていなかったのである。

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