第伍章 魔女と“守り神さま”
『終わったよォ♪』
身長百八十センチ以上はあろうかという鮮やかな緑色をしたセミロングの髪と瞳を持つ少女、いや、美女というべき精霊が月弥に勢い良く抱きついてきた。
ユームは潰されるのではないかとヒヤリとしたが、気が付けば緑の精霊はふわりと横に半回転して床に座っていた。
月弥は突っ込んできた精霊の衣を掴みながら自分も踏み込み重心を崩して彼女を斜め後方に投げたのである。衣以外、相手に触れずに投げる
現に緑の精霊は何事が起きたのか理解しておらず、目をパチクリとさせていた。
ちなみにこの技は隅に相手を投げ落とす事から、かつて『柔道の父』と呼ばれた嘉納治五郎氏により『
「
月弥が後ろから抱きついて頭をわしゃわしゃ撫でてやれば緑の精霊こと木の精霊・歳星は嬉しそうにきゃあきゃあと喚声をあげる。
ユームは倍近い相手を投げた事実を見なかった事にして、月弥と歳星の遣り取りを微笑ましく見ていた。
ふと背後から凄まじい怒気を感じ取って振り返る。
清流を想わせる水色の髪をツインテールにした少女が腰に手を当てていた。
『さ~~~~~い~~~~~せ~~~~~い~~~~~っ!!』
『ふえ? 何?』
『“ふえ? 何?”じゃないわよ!! アンタのデカイ図体で飛び掛かってツキヤが潰れたらどうする気よ?!』
『痛い痛い?!
水の精霊・辰星にこめかみを拳で挟まれてグリグリと押し付けられた歳星が涙を流して許しを乞うが辰星は構わずに続ける。
「まあまあ、何も起きなかったんだから歳星を許してあげてよ」
『ツキヤは甘いのよ。こういう莫迦は体に教え込まないと何度も繰り返すんだから』
『ひ~~~~~ん、許してぇ』
月弥が庇っても緩めない辰星の両手を掴んで引き剥がしたのは茶髪に黃色のメッシュが入った少年だった。
『ダメよん。もうお仕置きをしてツキヤちゃんも許してあげてって云ってるんですもの。許してあげなきゃ。これ以上は只の苛めになっちゃうわよん?』
左頬に右手の甲を当てて品を作る少年に辰星が噛み付いた。
『でも
『えへへ♪ ツキヤちゃん、あったかくて良い匂いがするから好き♪』
『ほら、見なさい!! 全っ然、反省してないじゃないの!!』
『まあまあ、無邪気なのも個性ってね。自由じゃ無い歳星ちゃんは歳星ちゃんが無いわよん。それに嫉妬して歳星ちゃんに当たるくらいなら辰星ちゃんもツキヤちゃんに添い寝して貰えば良いじゃない? これから暑い時期になってくるんだしツキヤちゃんだって嬉しいと思うわよん』
『なっ?! あ、アタシがツキヤとそそそそそそそそそ添い……っ?!』
歳星を指差しがなる辰星に土の精霊・鎮星は苦笑しながらも宥める。
ただ余計な挑発(?)のせいで辰星は顔を真っ赤にしてフリーズしてしまったが。
大人しくなった辰星に“やれやれ”と思っていると、今度はガシャコンガシャコンとやかましい音がして鎮星は額に手を当て渋い顔で目を瞑った。
『ほう、ソレは聞き捨てならぬで御座るな。
純白の甲冑とフルフェイスの兜を着込んだ小柄な――声から察するに若い女が自身の身長を遙かに陵駕する槍を手に
その背後に闇の渦が生じると黒い足が現れて太白を蹴り飛ばす。
すると太白はあっさりと倒れて短い手足をバタバタさせて藻掻き始めた。
『誰だ?! この太白を突き飛ばしたのは?! ぬうううううっ!! 立てん! 立てぬぞおおおおおおおおおっ?!』
『貴女が出てくると進む話しも進まない。しばらく大人しくしてて』
銀の髪をオールバックに撫で付け、
『あ~~~~~~れ~~~~~~~っ!! 主殿、次の添い寝は是非ともこの太白に御用命を~~~~~~~~~~~~~っ!!』
『アンタ、甲冑そのものじゃない……何にせよ、グッジョブよん、
親指を立てる鎮星に闇の精霊・玉兎もサムズアップで返した。
『あの
ハニーブロンドを膝裏まで伸ばしワンレングスにした白い袖無しワンピースを着た少女が玉兎を嗜めるように云った。
『ん、ツキヤのお祈りが終わったら出しておく』
『精霊が暗所恐怖症というのも変な話だけどねん。普通に悪霊や怨霊、妖怪の類を斬り捨てるクセに何が怖いのかしらん?』
『聞いた話では、マスターに頼み込んで自分を着て頂いた際に、その嬉しさの余りマスターが中にいるのを忘れて踊り狂ったそうでして……長時間、無理な動きをさせられたマスターにお仕置きとして動けなくされた後、三日間真っ暗な倉の中に閉じ込められたのが大分応えたようですよ』
精霊達が月弥を見ると、初めはきょとんとしていた月弥だったが、ふと思い出したようにポンと手を叩くと、あの時かと云った。
「太白の中って微妙に空白があってさ、動くたびにアチコチ体をぶつけて痛かったんだよ。しかも太白は“裸じゃないとサイズが合わせにくいので”って云ってさ。もうダイレクトにぶつかるから痛いのなんのって……どうしたの、
『玉兎、マスターのお祈りが終わるまでと云わず、明朝までしまっておきなさい』
『らじゃー……』
光の精霊・金烏の微笑みに何かを感じたのか、玉兎は何故か敬礼をした。
『結局、一番美味しい思いをしてたのは太白だったってオチかよ』
火の精霊・
「さてと、そろそろお祈りをして帰ろうか、今頃は内弟子衆も起き出して道場を掃除してるだろうしね」
月弥がクシモと向き合うようにちょこんと座ると、精霊達もその後ろに行儀良く並んで座る。
ユームは、どうしようかと一瞬迷ったが、魔界の眷属として自分は自分でクシモに祈りを捧げる事にした。
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」
月弥と精霊達が合掌して目を瞑る。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」
「えぇ……」
言葉の意味は分からないが社の中の空気がピリッと張り詰めて厳かな雰囲気となっていくのを肌で感じ取る。
恐らくは何かの教典を読んだものと思われるが、月弥はただ暗記して諳んじている訳では無く、一言一言意味を把握した上で唱えているのが理解出来た。
月弥本人に気付いているのかは分からないが、彼の全身に神聖な魔力が溢れ、封印されているクシモの像へと注がれていく。
クシモの像の真上に肌が透ける薄い衣を纏った女神のような姿をしたクシモの姿が浮かび上がり慈愛の頬笑みを湛えて、月弥の口の動きに合わせて自らの口も動かしているではないか。
誰もこの姿を見て最強の
まさに月弥が“守り神さま”と呼び慕う慈母の神が顕現していたのである。
『ユームよ。久方振りであるな』
『クシモ様……ご機嫌麗しいご様子。このユーム、安堵致しました』
脳内に直接響く声に驚く事なく、ユームも念話で返した。
ただ月弥を想うと、感情が少し隠し切れていなかったようだ。
『そう睨むな。そなたが案じておるような事をするつもりは余には無い。ツキヤを我が騎士にしようとは考えてはおらぬ。この子は魔界程度で収まる器ではないからな。フェアラートリッターにするよりも自由に育てた方が面白い事になると余の勘が告げておるのよ』
『そうですか。しかしツキヤの口から契約を持ち掛けられたと聞かされてはおりますが? それに三つの願いも一つ、叶えているご様子ですしね』
クシモの幻影が苦笑いをする。
“見守って欲しい”との願いは山中での修行の間、事故を起こさせず、獣を遠ざけ、悪霊の類を浄化するなど“修行中の安全を保障”をし、魔法で悪戯しようとすれば叱ってやめさせる事で叶えている。
月弥の行動範囲は広く、また幼いがゆえに発想が豊かで何をしでかすか解らないので、その対処に追われるとなるとかなり多忙な一日となるのだ。
意外な話ではあるが、普通の願いの方が楽なのである。
『それにあやつは無欲ではないぞ。ただ魔王に叶えて貰う事を拒否しているだけであって、望みは自らの手で叶えるものと考えておるのだ』
以前にも“強くしてやろう”と云えば“強くなる為に修行している”と返され、“金はどうか”と訊けば“今は師範代としての収入で十分”と断られ、“最強の武器は要らぬか”と打診をすれば、木剣で鉄の塊を斬り、火や風のみならず闇や光すら截断せしめる事で無言の拒絶とした。
『我らが世界では月は『月の大神』そのものとし闇の象徴としておるが、川面に映る月を想い剣を振るい続ける事で『闇』を斬る事が可能となった。また月はその身そのものが輝いてはおらず太陽の光を受け止めて優しく光を放っていることから、月を斬るという事は同時に『光』をも斬れる事を示している』
ユームが月弥の父親から聞いた話では、祖父から“月を斬れ”と密かに命じられていたのだという。
初めは夜空に浮かぶ月に向かって剣を振っていた月弥だったが、剣に変な癖がついてしまい、その事を指摘した事でその修行は無意味であると判断したらしい。
想い悩む月弥に姉が川遊びに誘い、二人で泳いでいると月弥は太陽を背にしているのに眩しいと感じた。見れば川面が陽光を反射して月弥の目を刺激していたそうな。
『天啓を得た月弥はその日の晩から川に映る月を斬るようになる。満月ではなくとも鮮烈に夢想する事で三日月であろうと新月であろうと川面に満月を映し出し斬り続けたのだ』
初めは川面を叩いて水飛沫を上げるだけだったが、これこそが“月を斬る“極意だと悟っていた月弥はその修行を続け、一年後についに月を截断する事に成功している。百回中三回の成績だったが、その半年後には百回中五十も成功するようになり、三年も経つ頃には確実に斬れるようになり、いつしか水飛沫すら上がらなくなったという。
『しかもである。川を斬り続けた事で『水』といった形を持たぬ物まで斬れるようになり、『火』を斬り、『風』を斬り、『地』を斬り裂き、『鉄(金属)』をも斬るに至る。それこそ勇者であった父親ですら会得出来なんだ三池流極意『
ユームは頭を抱えたくなった。
魔法の才は母親より上で剣も父親を陵駕する逸材だ。
これはクシモならずとも放ってはおかないだろう。
今は経験の差で両親には敵わないが、いずれは二人を超える実力者として名を馳せる事になるのは明白であり、それを危険視する者もいれば利用しようとする者も現れるだろう事は予測できる。
しかも剣を握っても良し、魔法を遣っても良し、自分より大きな相手を投げられる格闘センスも有しているオールラウンダーとくれば『
『いや、既に星神教の神もちょっかいをかけてきておる。まあ、その悉くを余とフランメによって退けてはいるがな。よしんばツキヤとの接触に成功しても“ネットもシャワートイレも無いんじゃ異世界に行きたくない”などと宣っておるヤツだから勧誘以前の問題であろうよ』
アルウェンにこの世界に連れて来られてから不浄を貸してもらったが、確かにあのシャワートイレは癖になる。使い心地も良いが何より紙の節約にもなるのが良い。
月弥に感化されたワケではないが、水で尻を洗う魔法を開発するのも面白いだろう。三池宅に帰ったら契約している水の最高位精霊にシャワートイレを使わせて心地良さを実感させれば開発に協力してくれるかも知れない。
いや待て。今はそんな事より月弥だ。
『ツキヤほど願いの叶え甲斐の無いヤツもおるまい。神を崇拝しておきながら頼ろうとはしないからな。畑で取れた物を供えておいて、“お裾分け”と云いながらも来年の豊作を祈るでもなし。一度、“地母神に豊穣を願わぬのか?”と問うた事があったが、“豊作を願って不作だった時、神様を恨みそうで嫌だ”だとよ。しかも“いくら地母神さまでも日照りや台風には勝てないでしょ?”と来た。あの時の余の気持ちが解るか? 神を前にして“仏ほっとけ、神かまうな。神はただ見守ってこそ神。自分の禍福は自分で決める”と平然と抜かすようなヤツなのだ』
台風に襲われようと日照りが続こうと三池家の畑が毎年豊作なのは月弥が願ったワケではなく、クシモの地母神としての意地なのだそうな。
善く祟られないものだと感心するが、善く善く考えてみればクシモにとっても月弥の祈りは必要なので苦しめるワケにはいかないのだろう。
『ツキヤの祈りが素晴らしいのは認めるところだ。お陰で今ではこうしてそなたと念話が出来る程に回復をしておる。否、力だけで云えば封印される前など比べようもないくらい力を増しておる。後は何かしらの切っ掛けがあればすぐにでも復活できるであろうよ』
『その切っ掛けとは? それによっては私もどう動くか分かりませぬぞ?』
もしアルウェン夫婦を生贄にすると云うのであれば、クシモ様とも敵対し、彼女を道連れに自爆する事すら厭わない。
愛する娘を
『……オソロシイ事を考えるな。『死者の王』直系の子孫である最強の魔女よ。そなたを害すれば『死者の王』との闘いは避けられぬ。そのようなリスクを負ってまで復活をしても意味は無い。そもそもにして余はアルウェンを恨んではおらぬ。ツキヤの祈りでここまで力を蓄えられた時点で意趣返しとしても過度であろうよ』
『では、クシモ様が御所望される切っ掛けとは?』
『分からん』
『分からない?』
ユームは訝しむ。
この期に及んでもったいぶる理由が分からない。
『他意は無い。力は取り戻した、否、以前よりも遙かに力を増してはいる。だが封印は解けぬ。封印といっても肉体を眠らせているだけで、特にアルウェンや神々に呪いをかけられているワケでなし。しかし復活するには何かが足りぬのか、未だに“守り神さま”のままなのだ』
どういう事なのか、訊ねようとしたがクシモがソレを手で制した。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」
月弥の祈りが終わったようだ。
月弥はクシモに頭を下げると精霊達に向き直る。
同時にユームとも対面する形となり、何故か彼女は罰の悪い気持ちになった。
「みんな、お疲れ様。お陰で掃除もお祈りも無事に済んだよ。僕はこれから朝稽古に向かうから、みんなはいつも通り自由にしていて良いよ。では解散。ありがとうございました」
月弥が頭を下げると、精霊達も頭を下げた。
こうした遣り取りも精霊達との絆に繋がっていくのだろう。
自分は契約した精霊とこうして交流を深めた事はない。
契約をし、魔法を行使した、その見返りに魔力を与えるだけのドライな関係だ。
だが、こうして精霊との絆を深めていく月弥を見ていると、見習うべき部分もいくらか見えてくる。
それが詠唱の省略に繋がり、魔力運用の効率化にもなっているのだから。
「あ、そうだ。“守り神さま”にプレゼントがあったんだ」
月弥が再びクシモに向き直ると、クシモの像の真上に闇の渦が現れて何やら白い物が落ちてきて覆い被さった。
それはクシモの幻影と同じ白い衣であった。
こちらは透けるほど薄くはなく、光沢があって一目で高級品であると見て取れた。
月弥は帯を締めて衣の乱れを整えると、少し離れてしげしげ見詰めた。
「うん、似合う似合う。お母さんに習って絹を織るところから始めて、ちょっとずつ仕上げてやっと昨日完成したんだ。地母神だから裾に葡萄の模様に刺繡を入れてみたんだけどどうかな? 喜んでくれると嬉しいな」
『う、うむ、ドワーフの血を引いているとはいえ、子供が作ったとは思えぬなかなかの出来映え。気に入った。大儀であるぞ』
「本当? えへへ、実は今日で“守り神さま”と初めて逢って丁度十年なんだ。その記念日に間に合って良かったよ」
『そうか、月日の経つのは早いものよな』
「あ、早いと云えば、そろそろ朝稽古が始まっちゃう。じゃ、僕は行くね」
月弥は手を振りつつ社を出ていき、見送った精霊達も三々五々に散っていった。
残されたユームがクシモの幻影を見れば既に薄衣は月弥作の衣に変わっている。
顔を赤く染めて体をくねらせているクシモにユームはニタリと嗤う。
それに気付いたクシモは咳払いをしてから睨みつける。
『な、何だ?』
「いいえ、封印が解けない理由が解った気がしただけですよ、“守り神さま”?」
言外に“貴女も乙女ですな”と云われた気がしたが反応をしては魔女を喜ばせるだけだと素知らぬふりをするも、結局ユームはその心中を察して益々笑みを深めるばかりであった。
どうせ今戻っても朝食まで待たされるだけなので、ユームはいつから月弥に好意を持ち始めたのか聞いてやろうと目論んでいた。
こうして神聖なはずの社は早朝から女二人の姦しい会話で盛り上がるのだった。
だがユームは知らない。
この日から六十年後に大恋愛をしてクシモに揶揄われる事になるのだと。
そして、その恋こそが人間と魔女との大戦争を引き起こす切っ掛けになるとは神ならぬユームには想像すらしていなかったのである。
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