ひとりぐらし

燈 歩(alum)

1.4月

『お弁当作ってあげようかと思ったのだけど、起きられそうにないの。せめてこれで美味しいものでも食べてね』


 起きられるはずもないのにそう思ってくれていることが、なんだか嬉しかった。書置きの上には千円札が2枚。貴重な臨時収入だ。


「行ってきます」


 登志子おばさんを起こさないように小声で呟いて、そっと玄関を出た。


 日差しは柔らかいけれど、まだ微かにキンとする冷たさが残っている。終わりと始まりの季節は、いつだって少しだけ浮足立つものだ。


 20回目のこの季節、私は人生で初めて居候をすることになった。


 大学近くのアパートに自分の城を構えて好きにやっていたのだけれど、道路の拡張地になったために失ってしまったのだ。事前勧告があったから、工事のことも、退去時期のことも知っていた。知ってはいたものの、どうにかなるだろうという根拠のない自信を信じて過ごしていた。


 いよいよ、という算段になって慌てて家探しをしたのだけれど、近くのアパートは全て埋まり、仕送り範囲内でどうにかできる問題ではなくなってしまって、結局親に泣きついた。


「お母さん、その、家が見つからなくて」


「は? アンタ今まで何してたの?」


「ごめんなさい。でも大学は通いたいです」


「住みたいエリアを広げれば、いくらでも見つかるでしょ」


「そう…だけど……、バイト先とか、大学までのアクセスとか、その辺考えると他のところは厳しいんだよ。どうしても、今と変わらない立地がいいんだけど。…空きはあるのよ? あるんだけど、家賃がちょっと…」


「バカ言わないで。仕送りは増やせませんからね」


「う……、ですよね。それでさ、登志子おばさんってこの近くだよね? アパートの空きが出るまでの間とか、住まわせてもらうことってできないかな」


 私が口にすると、母は電話の向こうで大袈裟にため息をついた。


「アンタ、意味、分かって言ってんの?」


「だって、そうするしか、ないじゃない。どうにかするよ。空きが出たらすぐ出ればいいんだし」


「親戚ではあるけど、家族ではないのよ。そういうところに住まわせてもらうってこと、よく考えなさい」


「考えたから言ってるの。お願い、お母さんから話してくれないかな」


 先ほどより長く大きなため息をついて、母は言った。


「半年間でなんとかしなさい。アンタのことだからいつまでもズルズルするに決まってる。その期間内だけって約束で話をしてみるわ」


 私の言葉も待たずに電話が切れた。相当怒っている。そして呆れていた。私だって本当は居候なんてめんどうくさいって思ってる。でも勉強にサークル活動、バイトが忙しかったせいで、選択肢がないんだから仕方ないじゃない。


 だいたい道路工事なんてするのがいけないんだ。狙ったように、私の住んでいるアパートを突っ切る形で作るなんて。立地、家賃、住みやすさ。どれをとってもこれ以上はないってぐらいに素敵な城だったのに。


 そうは言っても、もう過ぎたことだ。住めば都、という言葉もあることだし、新しい城を見つけるまでの仮住まいとして、登志子おばさんに厄介になるしか手段がない。


 登志子おばさんは、母のいとこだ。わたしのおばあちゃんの妹の娘に当たる人で、お盆やお正月によく遊びに来ていた。その度に、色とりどりのチョコレートや可愛らしい形のクッキー、高級そうなドレッシングやジャムなど、とてもキラキラしていてワクワクするお土産をどっさりと持ってきてくれた。そしてこっそりとくれる金額の大きなお小遣いが、私を含め子供たちの一番の楽しみだった。


 着ている洋服も、田舎では見ないようなエキセントリックな色や柄のものばかりで、私が都会に憧れを抱いたきっかけの人でもある。


 母と同い年の登志子おばさんは、田舎では変わった人だと言われていた。それは豪快に笑う姿や、その着ている洋服のセンス、いい歳になっても結婚しないところ、などが理由なんじゃないかと思う。


「都会は自由にできるのよ。なんだって手に入るわ。キラキラのネオンもあるし、いつだって人がいる。あなたも大きくなったら、ぜひ私の家に遊びに来てね」


 お小遣いをくれる時、登志子おばさんはよくそんなことを言っていたのだ。


 そのせいで「こんな田舎でなければどこだっていい」と思うほど都会に憧れを抱く、拗らせた思春期を過ごす羽目になったけれど、それも今の私がここにいる理由だ。


 だから私には、この居候計画に勝算があった。母やおばあちゃんは登志子おばさんをよく思っていないようだけど、そんなのはきっと田舎者の偏見に過ぎない。私にはよくしてくれるはず……。


 母とは地元のショッピングモールに安い服を見繕いに行く、なんていう予定とも言えないような、必要に迫られた買い物しか一緒にしたことがない。でも登志子おばさんとなら、おしゃれなセレクトショップとかで一緒にショッピングが楽しめるんじゃないかと胸が躍るし、なんならおねだりすれば買ってもらえるんじゃなかろうか…なんて打算もある。


 そういった意味では、これから起きることに期待感で心が軽くなっていた。ウキウキと荷造りを済ませ、母からの電話があったその日には、もう引っ越しを終えた。


 案の定、登志子おばさんは私を大歓迎してくれて、荷物を運んだその日は急であったにも関わらず、ごちそうを用意してパーティーを開いてくれたのだ。2人ではとても食べきれない量の料理が、テーブルの上にどっさりと乗っている姿は圧巻だった。和洋中華にエスニック、ジャンクフード、そのほか食べたこともない料理、そして飲んだことのもない飲み物、カラフルな野菜たちに、上品な生クリームたっぷりのプチケーキ。


 私が求めていたものが具現化したような気になって、その日は大いに食べて飲んだ。登志子おばさんとも楽しい話ばかりで盛り上がった。どこそこのお店の紅茶が美味しいの、この前行ったお店の刺繍がとっても個性的で可愛かった、今度2人でお洋服をオーダーメイドしようか。


 夢がどんどん膨らんで、そのどれもがすぐに叶えられそうで、自分の身体に羽が生えたように感じた。どこまでも自由が広がっているように見えた。そのおかげで、最初に抱いていた「めんどうだな」なんて気持ちは吹き飛んでしまった。


 今までとは違う学校までの道のりが新鮮で、これもまたワクワクする。大学進学を機に、この地へ越してきた時以来のワクワクだ。


 こうして一人暮らしするよりも、さらに自由を感じる居候生活はスタートしたのだった。

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