妹を助けても……

 それから、俺が電話を切ってそれほどの時間も経たたずに、葵は来てくれた。

 けど、俺の頭の中では、妹が拐われたという事実だけがぐるぐると回り続けている。


「それで、悠くん。何があったのか話してくれる?」


 葵にそう言われても、妹が拐われたっ!? どういうことだよ! と、頭の中はまだ混乱していた。

 未だ、俺は妹が拐われたという事実に感情だけじゃなく、思考までもが追いついていなかった。

 そんな俺に、彼女は、そう優しく聞いてくれている。

 それでも、俺の頭の中はパニックを起こしたままだった。

 それでも、俺はなんとか葵にこう返した。


「あ、あの。その、ちょっとだけ、もうすこしだけ、落ち着く時間をくれ」


 今の俺には、落ち着くまでの時間が必要だ。

 まだ、俺は心のどこかで『妹が拐われたんだ』ということを受け止めきれずにいるからだ。

 別に、妹と特段仲が良かったというわけではない。

 だからといって、別に仲が悪かったというわけでもない。

 それに、そんなことを抜きにしても心配なものは心配だ。だって、俺は彩華あやかの兄だから。大事な家族の一人だから。

 それに、兄として妹の力になってやるのは当然のことだ。当然のことだからこそ──。

 そうして考えているだけで、俺は感情が爆発しそうになる。

 けれど、時間の経過とともに、妹が拐われたという事態を受け止めることはできなくても、理解することはできた。

 だから、俺は何が起きたのか? ということを、葵に掻い摘んで話すことにした。

 ぽつりぽつりと、あのときのことを思い出しながら。そのたびに、俺は辛い思いをしたとしても。



「そんなことになってただなんてっ! そのことも知らずに、あんな風に聞いてごめんね。でも、そうだよね。何か大変なことになってるから私を呼んだんだってことはわかってなきゃいけなかったのに、私……」


「いや、俺が呼んだわけだし……。俺こそこんな事態に巻き込んでごめん、葵」


「別に、いいよ」


 葵は、話を聞き終わっても依然として変わることはなかった。

 それどころか、これからどうする? ということを目で訴えてきてる気がした。

 どうして、俺なんかのためにそこまでできる?

 葵だって大変なことになってしまうかもしれないというのに、どうして俺なんかに付き合ってくれるんだ?

 嫌なら逃げたっていいはずだ。

 きっと、葵が誘拐のことを知っただなんて思うわけがないだろう。

 けど、葵は俺のことを見てから、なにかわかったかのような顔をすると、こう言った。


「だって、困ったときはお互い様、でしょ?」


 そう言いながら、彼女は俺のことを見て、優しく微笑んでくれる。心底そう思っているかのように。

 そっか。そういうことだったんだ。

 困ってる人がそこにいて、自分になにかできることがあるなら、助けてあげたい。ただ、それだけのことだ。

 別に、見返りなんて求めてない。

 ただ、困ってる人を助けたい! という強い思いが、俺のことを助ける理由。

 いや、困ってる人を助けることに、理由なんていらない。

 だって、人は必ず誰かに支えられていて、誰かを支えながら生きているのだから。

 俺は、そんな葵の優しい気持ちに胸打たれながら、俺はこれからどうすればいいのかということを相談し始めるのだった。

 妹を、彩華あやかを助けるために。


 ♪♪♪


「また、だな。でも、本当にありがとう。この恩は絶対に忘れない」


「もう、本当に気にしなくていいよっ! 私は、したいからしてるだけなんだから……。それに、私は君のことが……」


「えっと、なんて? 『それに』あたりからよく聞こえなかったんだけど……」


「そんなことはいいからっ! それより、妹さんを助けるんでしょ?」


「そうだな」


 結局なんて言ったのかはうやむやにされたけど、そんなことを気にしてる時間もない。

 けど、さっき教えてくれた葵のその案なら、助けることだってできるかもしれない。

 そう思うと、俺は葵に感謝をせずにはいられなかった。

 だけど、きっと、このときの俺は、相当に心が弱っていて、なにも考えられていなかった。妹を助けられると言われて、それを鵜呑みにしただけで。

 違和感なら、間違いなくそこにあったはずなのに。


「でも、本当にありがとな」


「もう、それなら妹さんを助けてからいくらでも聞くから、まずは助けないとでしょ? まあ、一か八かの策だけどね」


「ああ」


 妹を助ける一か八かの方法に、俺はかけることにしたのだった。その、妹が助かるかもしれない方法に。




『悠くん。準備はいい?』


「もちろんだ。絶対に、成功させる!」


 今の俺には強い意志があった。

 妹を助けるのだという強い意志が。

 特段仲がいいとき1割、普通に仲が悪いとき9割の兄妹きょうだいだけど、今日はその1割のときなんだ、きっと。

 もし、俺が助けることができなければ、妹は死んでしまうかもしんないのだから。


「それじゃ、俺は行ってくるよ」


『行ってらっしゃい! ただいまを待ってるからね?』


 最後に葵は冗談めかしたことを言いながら、優しく俺を送り出してくれた。




「ほう? 時間内に来たことだけは褒めてやる。けどな、ちゃんと用意してきてなきゃ意味がねぇよな。それで、ものはちゃんと用意してきたのか?」


「もちろんだ。ちゃんと用意してきたよ」


 そう発した俺の声は誰がどう聞いても、確実に震えてることがわかる。

 それでも、俺はいつもよりも低い声でそう言った。少しでも怖さを紛らわすために。


「それじゃ、渡してもらおうか」


「ちょ、ちょっと待ってくれっ! 俺はまだ、妹が本当に無事なのかどうか確認できてない」


「うん? ああ、そういやそうだったな。おい、お前ら連れて来い!」


「はっ!」


 そう言うと、俺のもとまで妹が連れてこられる。

 けど、妹は下着姿だった。


「時間内なら妹に手を出さないって約束だったはずだろっ……!」


 俺は感情的にそう訴えるが、相手はあっけらかんとした様子でこう言った。。


「うん? 手なら出してねぇよ。持ち物検査をしただけだ。嘘はついてねぇ。少なくとも、お前の考えてるようなことはしてねぇさ。それで、こっちはしっかりと用意してるんだ。お前も早く渡してもらおうか?」


 その言葉に、俺は今まで肩に背負っていたリュックサックを下ろすと、そのリュックサックを相手のもとに放り投げた。


「あぁ、それでいい。そんじゃ、中身を確認したら帰って──」


 という声を背中に聞きながら、俺は妹を担ぎ、一生懸命走りだした。




『悠くん、作戦は上手くいった?』


「ばっちり、だっ! 今の、ところ、何も問題、ない」


 俺は息を切らせながら、なんとかそう返す。


『それじゃ、後は私が呼んでおいた警察が、ちゃんと来れば完璧だね』


 このままいけば、なんとかなりそうだった。

 ちなみに、妹はもう下着姿ではない。俺の着ていた上着を妹には着せた。葵に下着姿かもしれないからと言われて、あらかじめ用意しておいた。

 

 そして、何台かの車の音が聞こえてくる。

 それは、警察の車だった。俺は、それを見た瞬間に安堵した。これで助かるんだと。

 すると、近づいてきた一台のパトカーが止まり、中にいた警察官が降りてくる。

 そして、俺の方に向かって歩いてきて、


「あなたが、柊悠さんですね?」


 俺はそんな風に警察官に訊かれ、上擦った声で「はい」と答えた。

 それを聞いた警察官は少し考える素振りを見せると、もう一人の警察官のもとまで行き、そのことを話している様子だった。

 どうするかという結論でも出たのか、またこちらに来ると、


「それでは、僕らが君を家まで送ろう。乗ってくれたまえ。妹さんは一度病院で検査をしてもらう必要がある。そのため、妹さんにはここで一度救急車を呼び、それから病院に行ってもらおうということになるだろうから、君の妹さんは彼に託してもらいたい。それと、君は親御さんにそのことを伝えといてもらえるかな?」


 そう言われ、「はい」と俺は答えると、妹を言われた通り託したのだった。

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