第18話 隠滅
保健室に迅堂を運び込む。
「あとは私たちでやっておくから、白杉君は迅堂さんについていてあげて」
「……分かりました」
気を利かせてくれた梁玉先輩が俺を残して保健室を出る。
俺は窓の外を眺めつつ、思考を巡らせる。
完全に失敗した。というより、俺のミスだ。
この春に俺は笹篠、迅堂、海空姉さんの三人と共に戻って来ているはずだが、確証はなかった。限りなく黒に近いグレーだったからこそ、チェシャ猫の手を逃れていたのだ。
だが、今までの世界線とは違い、俺たちは全員が互いを未来人ではないかと半ば確信している。何らかの傍証一つでチェシャ猫が発動する可能性が高い。
春の宮納さんの喫茶店についても、俺は迅堂に対して「近所からのタレコミを受けて」と情報元をぼかしてチェシャ猫を回避した。
しかし、今回の文化祭は全員にとって初めての商店街との共催だ。自分が未来に起こる問題の情報源ではない以上、他の誰かが情報源と考えられる。
今回、迅堂の目から見た俺は食中毒対策が不十分だと突然言い出し、生徒会長である伊勢松先輩や学校側との相談を飛ばして準備を整えていた。
俺の立場上、そこまで食中毒への対策を練るのはおかしな動きだ。
そして、迅堂は俺か、俺の背後にいる海空姉さんがやはり未来人だと確証を得た。
結果がこの状態だ。
しかも、笹篠や海空姉さんも同様にチェシャ猫が発動しうる。今までの世界線よりもチェシャ猫がずっと身近な存在になっているのだ。
「俺、何で気付かなかったんだよ……」
一度乗り越えた事件ばかりだからと調子に乗っていた。冬までは絶対に油断してはいけなかったのに。
ベッドに寝かされている迅堂を見る。
結局、自信を取り戻すチャンスがないまま、未来人としての迅堂の人格は消えてしまった。
俺のミスだ。
ため息をついて、拳を握る。
考えるべきは別のことだ。これからどうすればいい。
チェシャ猫を回避しつつ、食中毒事件も回避するにはどうすればいい。
俺の動きだけでなく、笹篠たちの動きでも未来人バレに繋がりかねない。ほんの些細なキッカケでもチェシャ猫に繋がる。
となれば、俺たち未来人が直接的に事件解決を行ったり、解決に直接つながるような準備をしてはいけない。
例えば、周りに情報をそれとなく拡散して回避策へと誘導し、未来人が介入しないで事件を収束させる。
……言うは易しってやつだな。
積極的に動いてくれそうなのは伊勢松先輩、商工会の銅突さん、商店街だと塚田さんあたりか。
他の回避方法としては、春の宮納さんの事件のように、未来情報を未来人ではない外部から得たと証言する方法。
どう取り繕うかはまだ思いつかないが、頭に入れておいた方がいいか。
「そもそも、なんで食中毒事件が起きたんだ?」
徹底した衛生指導、カフェテリアの冷蔵庫を用いた食品の保管など、海空姉さんいわく『当日に汚染が発生しない限り万が一もあり得ない』はずだ。
確かに気温も湿度も高いが……。
まぁ、老若男女が訪れる文化祭だ。もともと多少の体調不良があったなら食中毒の症状が出ることもあるだろう。
患者の年齢や体調、症状などの詳細が出てこないと分からないか。原因食品の特定までできれば話が早い。
ひとまず、迅堂の目覚めを待ってフォローを入れて――と考えていると、スマホが振動した。
「もしもし、海空姉さん?」
『巴、食中毒発生の報を聞いたよ。巴は無事かい?』
心配そうな海空姉さんに、俺は迅堂の寝顔を横目で見て答える。
「俺は無事だ。情報が足りないんだけど、海空姉さんはどこまで分かってる?」
迅堂が倒れたことは伏せて尋ねる。迅堂にチェシャ猫が発生したと知れば、海空姉さんにどんな影響があるか分からない。ほんの些細なキッカケでチェシャ猫が発生するのだから。
海空姉さんは小さく唸った。
『ボクの方もあまり情報を持っているわけではないよ。現場にいる巴の方が詳しいかもね。とりあえず、病院へ搬送された患者は三人いる。学校見学に友達と訪れた中学生三人組だ。貴唯の知り合いらしい』
「貴唯ちゃんの?」
親戚の中学生だ。斎田のやんちゃ娘である。
『ボクの経験上、これから重症者が出る。前の世界線とはいろいろと異なってはいるけど、食中毒が発生した以上は注意してほしい』
「分かった。できるだけ情報を集めてみる」
『頼んだよ。それから、食品が保管されているのはカフェテリアだったね。確認してくれるかい?』
「カフェテリアを? 分かった」
通話を切り、俺は立ち上がる。
チェシャ猫で倒れた場合、一時間は目が覚めない。迅堂が目覚める前に戻ってこられると思う。
保険医に少し外に出ると伝えて、迅堂を任せる。
保健室を出てまっすぐにカフェテリアに向かう。
廊下は相変わらず客で混雑しているが、飲食提供のクラスは一時的に閉店していた。食中毒の発生を受けて学校側が通達を出したのだろう。
カフェテリアについて、周囲を見回す。
教頭先生を含む数人の教師と保健所の所員、商店街の塚田さんや織戸さんもいる。食中毒事件の捜査か何かだろうか。ちらほらと高校生もいるが、困ったような顔で佇んでいるだけだ。
「あ、巴君、ちょっとこっちに来てくれる?」
俺を見つけた塚田さんに声をかけられて、俺は大人たちの輪に加わった。
「食中毒の捜査ですか?」
「その様子だと、巴君も知らないわよね。当たり前だけど」
塚田さんが曖昧に笑う。
食中毒関連じゃないのか?
「どうしたんですか?」
「冷蔵庫の中がぐちゃぐちゃになってるのよ」
ぐちゃぐちゃって……。
織戸さんが冷蔵庫を指さす。
「見てもらった方が早い」
「見てもいいんですか?」
「まぁ、君が見たところで事態が進展するはずもないが、現状を認識しておいた方がいい立場だろう。我々と学校側との折衝をしていたのだから」
「そうですね。ありがとうございます」
塚田さんと織戸さんに連れられてカフェテリアの奥に行く。
商店街向けに貸し出されている業務用の冷蔵庫は幅広で奥行きもある大きなものだ。今、その冷蔵庫は観音開きの扉が開け放たれて中が見えている。
棚や仕切りが崩れ、和菓子やクッキー、まだ生の焼き鳥などが散乱している。
「……どうしてこんなことに?」
「焼きそばの具材を取りに来た子が後ろから強く押されて、崩しちゃったらしいの」
「押した何者かは逃走中だ。目撃者もおらず、途方に暮れている」
食中毒への警戒でカフェテリア付近は関係者以外立ち入り禁止になっているのが裏目に出たか。
というか、これって証拠隠滅に見えるんですけど。
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