第35話 台風の夜

 台風が直撃していた。

 管理小屋のリビングで気象情報を眺めながら、俺は入れたばかりのコーヒーを一口。


「迅堂は寝ないのか?」


 隣でスマホを弄っている迅堂に問う。

 迅堂はイヤホンを外す。


「半端な時間に寝ちゃってあまり眠くないので。先輩もでしょう?」

「まぁな」


 迅堂と交代で昼過ぎまで仮眠を取った。おかげで、いまはそんなに眠くない。

 十一日の今夜を乗り越えれば、明日の晩には消防団に動いてもらって丑の刻参りの女を捕捉したい。場所はおおよそ割れているし、気象予報によれば明日の晩は晴れるそうだから見通しも利くだろう。


「どうせ眠れないんだし、見回りの強化でもしようか」

「ずぶ濡れになっちゃいますよ?」


 迅堂が西側の小さな窓の外を指さす。横殴りの激しい雨が窓も壁も強く叩いて、風の強弱に合わせて不規則な雨音を響かせる。

 迅堂の言う通りずぶ濡れになるだろうけど、バンガローに火を付けられて死者が出るよりずっとましだ。


「そうはいってもこの風だと、テントも飛ばされかねないからな。バイトとはいえ、心配はしないとだろ。迅堂はここで待っていてもいいけど」

「いいえ、私も行きます。先輩、畑の様子が心配だからって用水路にハマる人みたいな言動してるの、気付いてますか?」

「言われてみれば確かに。じゃあ、こんなところにいられるかってやつはどう?」

「先輩、私と一緒に駆け落ちしたいだなんてそんな大胆な!」

「言ってないな」


 飛躍しすぎて一瞬戸惑ったわ。

 傘を差しても壊されるだけなので、二人揃って黄色い合羽を羽織る。ゴム製の長靴に防水スプレーを吹きかけて、管理小屋を出た。


「何時間おきくらいに見回ります?」


 木の幹を盾にして雨を巧みにやり過ごす迅堂がそんなことを聞いてくる。

 現在時刻は十時半。丑の刻参りの女がキャンプ場の近くを通るのは二時ごろだが、バンガロー放火事件はあの女以外の犯人がいるように思える。

 以前の世界線で笹篠を刺し殺した別の犯人か、また別の何者か。とにかく、二人目を想定しなくてはいけない。


「二時間おきで」

「かなり頻繁ですね。大学生のお姉さんがそんなに気になりますか?」


 横目で睨んでくる迅堂に肩をすくめる。


「美人だとは思うけど、あんまり興味はないかな」

「なら、他に気になることでも?」


 やっぱりその質問が来るよな。

 ちょうどいい機会だと思い、俺は迅堂に情報を共有する。


「俺なりに考えてみたんだけど、肝試しの夜に俺が一人のところを殺されるんだろ?」

「えぇ、今となっては過ぎた話ですけど」

「肝試しの時刻は三時、丑三つ時だ。加えて、昨日監督から聞いた話なんだけど、杖突の音が五日の夜にも聞こえていたらしい」

「妖怪ですよね。それがどうかしたんですか?」

「あの音、木に何かを打ち付けているような音だったろ。例えば、呪いの藁人形とか」


 チェシャ猫に引っかからないように言葉を選びながら、迅堂に情報を渡す。文字通り命がけで迅堂自身が俺に残してくれた情報だ。

 迅堂は口を閉ざし、しばらく無言で考えを巡らせながら歩く。

 キャンプ場内は雨と風の音、木々の騒めきで騒々しいが人の気配はない。


「……火の玉が目撃されているんです。キャンプ場の近くで、午前二時ごろに」

「へぇ」


 既知の情報だ。

 迅堂なりに情報を整理し終えたのか、丑の刻参りを行う何者かの存在を認めた。


「信憑性が高い仮説です。確か、丑の刻参りって人に見られると失敗するんですよね。だから、目撃者を殺そうとしている。あれ? でも、そうなると火事が……」


 バンガローの火事のことを考えているのだろう。再び黙りこくった迅堂から視線を前に戻した俺は、バンガローから聞こえてくるにぎやかな声に気付いた。

 午後十時半だから、大学生にとってはまだ一日は終わらない。昨日に引き続き酒盛りでもしているらしく、バンガローの窓から光がこぼれていた。

 窓際でビール缶を片手に笑っていた難羽さんがこちらに気付く。派手な黄色の合羽は台風の夜でも十分に目立っていたらしい。

 手を振ってくる難羽さんに手を振り返すのと、バンガローの扉が開くのは同時だった。


 扉から出てきたのは偽名の使い手、家狩さんだった。


「やぁ、高校生ズ。見回りご苦労だね!」

「あれ、なんでここに?」

「台風だからって小品田君が心配してくれてね。バンガローで飲み明かそうって話になって、テントは畳んでしまったんだ。飛ばされたわけじゃないから、心配しなくていいよ。今日はここで寝かせてもらえるんだ」


 昨日の映画上映会でよほど意気投合したのか、家狩さんは小品田さんとハイタッチを交わしている。というか、結構酔ってるな、あれ。二人の後ろで大塚さんが苦笑いしていた。

 まさか昨日の上映会でバタフライエフェクトが起きて、こんなことになるとは。要警戒の未来人と事件現場が揃ったから監視しやすくて助かるけど、大丈夫だろうか。

 とはいえ、バンガローに三人以上いれば火事でも対処が容易になるか。


「分かりました。一応、ちょくちょく見回りに来ますけど気にしないでくださいね」

「夏風邪をひかないようにね」

「ありがとうございます」


 バンガローを後にして管理小屋へ歩き出すと、迅堂が首を傾げた。


「この展開は私も初めてですね」

「そうなのか?」

「今夜の二時ごろにバンガローが放火されるんですけど、今までの世界では小品田さんと大塚さんの二人だけがバンガローにいたんです」

「やっぱり、二時ごろか」

「丑の刻参りの人がキャンプ場の近くを通る時間ですね。今回は三人もいるわけですから、どうなるでしょう」

「バタフライエフェクトだとしたら、放火時間もズレかねないな。見回りは頻繁に行こう」

「ミイラ取りがミイラにならないようにしましょうね」


 それ、肝試しの夜の君に言いたいよ。


 そんなこんなで、十一日の夜は頻繁な見回りを行いながら何事もなく更けていく。

 深夜を回り、問題の二時が近づくと迅堂と共に管理小屋の玄関近くに置いてある消火器を頻繁に確認する。

 しかし、問題が起きる様子もなく二時が過ぎ、三時を回る。

 丑の刻参りの女はもう儀式を始めているだろう。キャンプ場の近くは通り過ぎたはずだ。

 バンガローに三人いたのが功を奏したか。


 迅堂と相談の上、夜が明けるまでは警戒を続けることを決める。


「――というわけで、何時でも動けるようにストレッチしません?」

「ラジオ体操とか?」

「背中を合わせて立って、反らすやつとかですね。せっかくなので、二人でやれる体操にしましょうよ」

「単純に体を動かしたくて仕方ないだけに見えるんだが」


 睡眠不足になるとテンションが上がっていく性質なのか、迅堂は夜が更けるにつれて活動的になっていく。

 火事になった時、すぐに動けた方がいいという意見は賛成だし、ストレッチは理にかなってるけど。

 ジャージ姿の迅堂が俺に背中を向けて肩越しに振り返る。


「さぁ、先輩、背中を向けてください。それで、腕をこんな感じで肘を曲げて組んで――身長差が!」

「まぁ、こうなるわな」


 俺は身長百七十センチ。男子の中では別に大きな方ではないが、小柄な迅堂と比較すると当然、肘の高さも変わる。


「ぐぬぬ、身長とは思わぬ壁ですね。うん? 壁……」

「人の背中を見て何を考えこんでるんだよ」

「ふむふむ、先輩の背中もなかなかいいものですね」

「触んな」


 壁から連想して背中をペタペタ触ったかと思うとニヤニヤし出した迅堂から離れる。


「うぅ……先輩、背中」


 両手を突き出してゾンビのように近寄ってくる迅堂から逃げて売り場の棚を盾にする。


「こら、迅堂、正気に戻れ。深夜テンションで羽目を外すと日が昇ってから後悔するぞ」

「青春の夏は甘酸っぱい思い出と後悔のためにあるんですよ!」

「どんな人生観だよ!?」

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