第13話 フェイント

「白杉? おーい、どうしたの?」

「目に砂が……」


 風の強さを言い分けに涙をごまかし、道の端に笹篠を引っ張り込む。

 目をこすりながら、早鐘を打つ心臓を無視して頭を酷使する。


 戻っている。

 ――時間が戻っている!


 直前に聞こえた『ラビット』の言葉は無関係ではないだろう。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 差し迫った問題の解決が先だ。


 トラックが突っ込んでくる未来をどう回避する?


 俺も未来から戻ってきたことを伝えるか?

 駄目だ。いまや俺も未来人なんだから、『シュレーディンガーのチェシャ猫』が発生してしまう。


 未来から戻ったことを伝えた瞬間、笹篠の未来の記憶と人格が吹き飛ぶ。実際にそんな現象が起こるのかは分からないけど、試すにはリスクが大きすぎる。


 笹篠は言っていた。未来から俺を救うためにやってきたと。

 遠回りをしようと言い出したのは笹篠だ。つまり、先ほどのトラック事故は笹篠が知らない未来につながる。


 だが、知らない未来は、生き残る未来とは限らない。事故死で過去に戻れなくなる行き止まりの未来の可能性がある。

 笹篠をそれとなく誘導し、生き残るルートに向かう必要がある。


「笹篠、ちょっとコンビニに寄りたい」

「え? テニスクラブの売店で大概のものは買えるでしょ?」


 笹篠としては、余計な寄り道をして外に出る時間を引き延ばしたくないのが本音だろう。

 だが、雑木林ルートはダメだ。選択するのなら、この道から逆方向に向かうべきだ。


「目薬が欲しいんだ。行こう」

「えっ、ちょっと!?」


 笹篠の手を握って、有無を言わさず歩き出す。


 分かっている。柄にもなく焦っている。

 脳裏に、道路で倒れ伏している笹篠の姿がちらつくたび、胸がざわめく。


 笹篠はすごいな。よくこんな状況で平然と道順を変更したものだ。まるで違和感がなかったぞ。


「白杉、ちょっと、歩くの速い!」

「あっ、悪い」

「どんだけ目薬欲しいのよ。中毒?」

「やっぱ粘膜から直接摂取するあの感覚がたまらないんだよなって違うわ!」


 ノリツッコミを入れつつ、背後をさりげなく確認する。

 トラックの姿はない。十字路を自転車に乗った中学生の集団が走り抜けていくのが見えた。他に人影も車両の影もない。


 雑木林沿いを歩かなければ事故を回避できるのか?

 いや、笹篠は意図して雑木林に俺を誘導した。つまり、他のところで事故が起きたから、回避策として道順を変更したと考える方がつじつまが合う。

 この道も油断はできない。


「それにしても、風が強いわね」

「風に負けないドライブ回転をかける練習でもする?」

「今日はフォーメーション練習よ。残り一週間を切ってるんだから、付け焼刃の技術よりも連携を磨きましょう。後は体力づくりね」

「代表決めの時は余裕がなくなってたもんな」


 話しながら、笹篠の歩く速度に注意する。改めて観察してみると、今日の笹篠はいつもよりも早歩きに見える。


 二車線道路沿いにあるコンビニが見えてくる。交通量はそれなりに多いものの、ガードレールで歩道が保護されているから安心感があった。

 田舎コンビニらしいだだっ広さの駐車場に足を踏み入れる。周囲に気を配るが、駐車場へ入ってくる車はない。


 無事にコンビニへ入店した時、ようやく肩の荷が下りた。

 これをテニスクラブまで続けるのか。しかも帰り道もある。


「目薬、あったわよ」

「ありがとう。笹篠は何か買っていく?」

「うーん、ちょっと見て回る」


 笹篠はちらりと窓の外を見てからそう言って、ゆっくりと店内を歩き始めた。笹篠もこのタイミングでコンビニに入ったことでトラックを回避できる可能性に気付いたのだろう。

 俺は雑誌コーナーを眺める振りをして考える。


 ここからテニスクラブへ行くとして、どんなルートを取るか。

 笹篠がいままでどのルートを選び、失敗してきたのかを聞きたいところだ。

 だが、それを聞けば笹篠の記憶と人格が消えるのか。

 俺が未来人になる前にもっと詳しく聞いておくべきだった。


 いや、笹篠が自発的に言わなかったということは、言っても回避できなかったのか?

 それとも――別の問題が起きるのか?


 駄目だ、情報が足りない。

 今から取れる選択肢は、テニスクラブに行くか、帰宅するか、松瀬本家あたりに避難するか。

 迅堂の話では未来で笹篠はトラックに轢かれて死亡しているという。どんな選択肢を取るとしても、笹篠を自宅に安全に送り届ける必要がある。


 海空姉さんに車を回してもらうか? いや、海空姉さんまで巻き込んでトラック事故が起きるのか?

 可能性が多すぎる。


 とにかく、いまは当初の予定通りテニスクラブに向かおう。目的地を変更すれば笹篠に理由を問われてボロを出し、『シュレーディンガーのチェシャ猫』を誘発させかねない。

 スポーツドリンクをレジに持っていく笹篠と目が合い、俺も目薬の会計を済ませる。


 コンビニから出てすぐに視線を左右に巡らし、車の有無を確認する。

 問題なし。


「白杉、向こうに歩道橋があるから、渡りましょう?」

「歩道橋?」


 すぐそこに押しボタン式の横断歩道がある。強風が吹くこの日にわざわざ歩道橋を渡る理由なんて――決まっている。


「そうだな。歩道橋を渡ろうか。信号待ちは嫌だし」

「そうそう、行こ」


 笹篠がほっとしたような顔で俺の手を引く。


「もう迅堂さんたちもテニスクラブに着いてる頃よね」

「寄り道したしな。三人にお昼を奢れとか言わないよね?」

「言わないわよ。勉強を教えたのは私だけなんだから、おごってもらうのは私だけの権利よ」

「お手柔らかにお願――」

「っ、白杉!」


 油断はしていなかった。


 だが、笹篠に突き飛ばされた俺は歩道橋の階段下に倒れこむ。


 歩道橋の階段が作る死角から猛スピードで曲がって横道に入ろうとしたトラックが、目の前で笹篠を轢いた。

 トラックに撥ね飛ばされた笹篠が民家の壁に叩きつけられ、テニスボールのようにバウンドし、トラックの側面に当たってさらに運動エネルギーを叩きつけられ、道路のガードレールへと撥ね飛ばされる。


「……さ、笹篠?」


 返事はない。できない。できるはずがない。

 背中は後ろに九十度も曲がらない。笹篠の腕は二本のはずだ。

 引っかかっていたガードレールから笹篠だった肉の塊がどしゃりと歩道にずり落ちた時、機械音声が聞こえた。


『――ロールバックを行います』


 ビニール袋が視界の端を飛んでいく。

 雑木林に吸い込まれたビニール袋を子供が指さしている。


「ちょっと遠回りしましょうよ。風上に向かって歩きたくない」


 頭痛がする。

 浅い呼吸を繰り返し、胸を押さえる。


「白杉!? 大丈夫!?」

「あ、あぁ、大丈夫」


 脳裏をよぎる言葉があった。


『――白杉君を助けに未来から来たの』


 笹篠はこんな経験を何度してきたんだ?

 迅堂も、海空姉さんも、これを何回繰り返した?

 素直に尊敬する。

 だから――たった二回で折れるな。

 俺は負けず嫌いだろうが、馬鹿野郎。


「白杉、具合が悪いなら休む?」

「いや、ちょっと咳が出そうで出なかっただけ」

「でも――」

「心配ないって。ほら、行こう」


 笹篠の手を握って歩き出す。

 温かい、血の通った手だ。

 笹篠は生きている。

 絶対に、死なせない。

 考え抜け。

 トラック事故を回避する方法だ。


 笹篠の動きを思い返す。

 笹篠は、決してトラック事故を回避しようとはしていない。

 トラック事故に、俺を巻き込まないようにしている。


 一見同じように思えるが、前提条件が異なっているのだ。

 笹篠は、トラック事故そのものは回避できないことを前提にして動いている。あたかも、ゲームのイベントのように発生そのものが確定していると考えている節がある。


 笹篠が知る状況と今の状況には差異がある。

 俺が未来の情報を得ているかどうかという、明確な差異だ。


 笹篠は、なぜ俺に今日トラック事故が起きることを話さない?

 話せば俺はどうする?


 確実に、笹篠を庇おうとする。その先は俺の死か、共倒れだ。ちょうど、目の前で笹篠が死んだように、俺も死ぬだろう。

 だから、笹篠は俺に話さない。回避できないトラック事故の被害者を自分一人にとどめるために。


「笹篠、コンビニに寄りたい。来てくれ」

「えっ? そんないきなり」


 笹篠の手を引いて、ガードレールに守られた歩道がある通りへ向かう。

 トラック事故が必ず起こるのなら、起こせばいい。


 だが、事故現場はこちらで調整させてもらう。

 コンビニへと入り、目薬を購入、笹篠と一緒にコンビニを出る。

 笹篠が道の先を指さした。


「この先に歩道橋があるから、そこを渡ろう」

「そうだな。じゃあ、競争しようか」

「え?」


 俺は歩道橋を目指して走り出した。


「ちょっと、いきなりすぎでしょ!?」


 慌てて追いかけてくる笹篠との距離を測る振りをして、振り返る。

 後方にトラックの姿はない。来るとすれば前方だ。


 正面に向き直る。歩道橋の手前五メートルほどのところで横道に入れるようになっている。

 全速力で走り、横道の手前で急停止する。


 その直後、トラックが歩道橋の階段が作る死角から曲がってきた。


「――白杉!」


 叫ぶような笹篠の声を聴くまでもなく、俺は咄嗟に後ろへ飛び、トラックと距離を開けていた。


「えっ?」


 すぐそばまで追いついてきていた笹篠が困惑するような声を上げる。

 俺はトラックの運転席へと目を凝らした。


「――ちっ、見えないか」


 運転手は帽子を目深に被っている。花粉症対策か、マスクまでつけていて顔が全然分からない。

 トラックそのものも企業ロゴなどは入っていない。

 というか――


「泥?」


 ナンバープレートの数字が泥で読めなくなっていた。

 あれはおかしい。


「……白杉、あれ? な、なんで?」


 トラックを観察していたら、笹篠に腕を掴まれた。

 顔を向けると、目が合う。

 笹篠は驚きに口を半開きにしていたが、俺の腕をペタペタと触って存在を確かめると、ぽろぽろ泣き出した。


「し、白杉、白杉……っ!」

「なに?」

「なにじゃないわよ、ばか!」


 泣き出した笹篠が服を掴んでくる。


「また、死んだかと思って、失敗したって、またっ!」

「落ち着きなよ。この通り生きてるって」


 多分、笹篠は以前のループで見てしまったんだろう。

 俺がトラックにわざと轢かれる現場を。


「うぅ……」


 縋りついてくる笹篠の両肩に手を置いてなだめながら、俺は横目でトラックが走り去った横道を見る。


 今回の件で確信した。

 このトラック事故は、事故じゃない。


 ――俺を狙った殺人だ。

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