第6話 ラテアート勝負

 二股男を見る目を向けられて一日を過ごした。

 所々記憶が抜けているのは机に突っ伏して話題提供しないよう心掛けているうちに寝たからだ。


 とはいえ、流石に一日も経つと詳細な情報を手に入れようと俺や笹篠に直接質問をしに来るクラスメイトが出始め、二股男のレッテルは解消の兆しが見えてきた。

 明日には、学年の一部に正確な情報が出回ってくれるだろう。くれるよね?


「白杉、喫茶店に行くわよ」

「マジで行くんだ」

「ケンカを売られたら買わないわけにいかないわ。限定品だもの」

「売れ残っていい奴だよ、それ」


 鞄を担いで、笹篠と共に教室を出る。


「ラテアートに自信のほどは?」

「今日の夜に何度も練習したし、犬くらい書いて見せるわ。猫より画数も少ないもの」

「漢字かよ!」


 こんなところでトンチを利かせてくるとは思わなかった。

 笹篠が笑う。


「冗談だって。ちゃんと描けるわよ。――向こうもやる気みたいね」


 笹篠が校舎の出口を見て目を細める。

 笹篠の視線の先に、両手を腰に当てて仁王立ちし、不敵な笑みを浮かべる迅堂がいた。


「逃げませんでしたか。相手にとって不足なしです。苦い経験をさせてあげますよ、コーヒーだけに!」

「後輩だからって甘やかさないわよ。ミルクはたっぷり入れてもね」

「なに、この会話……」


 周りの生徒からひそひそされてる。俺もう帰りたい。

 しかし、バイトがある以上は帰れるはずもなく、三人揃ってバスに乗り込むことになった。


 俺を挟んで両隣に笹篠と迅堂が座る。

 両手に花だね、と笑い飛ばせるのは外野ばかり。俺自身は気が気じゃない。


「笹篠先輩、今日は午後五時から六時までお客さんゼロになるので、そのタイミングでラテアート勝負をしましょう」

「何でそんなことわかるのよ?」


 笹篠が怪訝そうに迅堂に尋ねる。

 当然、迅堂が未来を観測してきているからだが――言わせねぇよ?


「俺たちのバイト先の喫茶店は主要な客が大学生なんだけど、今日はオリエンテーションで新入生が遊んでいられないから客入りが鈍るんだよ」

「へぇ、そうなんだ。好都合ね」


 人を救うためにつく嘘もコーヒーのように苦いんだなって。

 胃が荒れそう。


「はぇ……そんな理由だったんですか」

「なんで迅堂さんも感心しているのよ」

「マスターから暇な時間は聞いてもその理由までは聞かされてないからだろ。それより、笹篠、喫茶店に来るからには普通の注文も頼むよ。親戚とはいえ、バイト先だからさ」

「分かってるわよ。チョコレートケーキが美味しいのよね。甘すぎなくて」

「笹篠先輩、来たことあるんですか?」

「当然、白杉のバイト先だし」

「あれ? 白杉先輩が喫茶店バイトを始めたのって昨日からのはずじゃ――」


 変なところで勘がいいな、迅堂。


「ネットで調べればわかるけど、口コミレビューに書いてあるんだよ」


 バイト先のことは知っておこうと思って昨日調べておいてよかった。

 二人がバスの中で会話のキャッチボールがてら投げ合う爆弾を適宜処理していると、主観的にはあっという間に目的のバス停に到着する旨がアナウンスされる。

 迅堂がバスの中を見まわして保育園児がいないかを確認した後、おもむろに降車ボタンを押した。


「昨日の園児がトラウマにでもなってるのか?」

「子供自体は好きなんですけどね。泣かれるのはやっぱり困っちゃいますよ」


 迅堂が苦笑すると、笹篠が身を乗り出した。


「なんの話よ?」

「昨日のバイト帰りの話」


 かくかくしかじかと話すと、笹篠が笑う。


「それは災難だったわね。私も今日、白杉に送ってもらおうっと」

「笹篠先輩、ずるいですよ! というか、バイト終わりまで居座るつもりですか?」

「あまり混むようなら帰ろうかと思ってたけど、今日はそんなに客入りもないし、勉強しつつ、コーヒー飲みつつ、待とうかなってね」

「お客さんがあまり入らないのは本当ですけど……」


 マスターの宮納さんの前でその話はしないでね。未来人暴露を防ぐ以外のことにまで気を回さないといけないなんて、いやだよ。

 バスを降りて、喫茶店に向かう。


「笹篠は入り口からどうぞ。俺と迅堂は裏口から入るように言われてるから」

「バイトだもんね。分かった」


 笹篠と別れて、俺は迅堂と共に裏口に回り込む。

 シャッターが降りた隣の蕎麦屋との間の路地に入り、喫茶店の裏口を目指す。

 そこにはスマホを耳に当てた宮納さんがいた。ぺこぺこと愛想笑いで見えない誰かにお辞儀している。


「……テレホンハンマー、またはジャップペッカー」


 ボソッと呟くと、迅堂が口を押えて笑いをこらえ、俺の背中に抗議の正拳突きを放ってくる。

 宮納さんと目が合ったので通話の邪魔にならないように無言で会釈し、裏口を指さす。

 入っていいかという無言の質問が通じたのだろう、宮納さんは頷いて裏口から入るよう手ぶりで示してくれた。

 裏口の戸を開けて、迅堂を先に入れる。


「――えぇ、次の日曜日になるので、はい、その時にお願いします……」


 宮納さんのそんな言葉を聞きながら、俺も中に入る。

 あの様子だと、通話が終わるまでそんなに時間はかからなそうだ。


 更衣室で学校指定の制服を着替えて、エプロンを身に着ける。

 手を洗ってアルコール消毒し、店舗スペースに出ると通話を終えた宮納さんがすでにコーヒーを淹れ始めていた。

 宮納さんが俺を見て、窓際の席に座っている笹篠を横目で見る。


「巴君、友達連れて来てくれたんだね。今日は客入りが少なそうだから、助かるよ」

「迷惑じゃなければよかったです」

「迷惑なものか。凄い美人さんじゃないか。巴君も隅に置けないね」

「そういうのじゃ――」

「マスター、白杉先輩はこの迅堂春が予約してます!」

「……隅に置けないなぁ」

「やめて。宮納さんまでその目で見ないで。ようやく学校の方は誤解が解けそうなのに……」


 二股男のレッテルからは逃れられぬ運命だというのか。


 コーヒーカップを洗いながら、店内BGMに耳を澄ませる。

 今日も今日とてアニソンボサノバカバーだ。


 店内には笹篠の他に大学生が二人、女子高生が三人入っている。窓際に笹篠がいるからか、客は全員女性で迅堂が積極的にホール担当に入ってくれた。

 宮納さんが嬉しそうな顔をしている。


「こんなに女性客が入るのは初めてだよ。やっぱり、窓際に美人がいると客層が変わるものだねぇ。これで女性客も増えてくれると嬉しいんだけど」

「昨日は八割くらい男性客でしたね」

「マスターが僕みたいな男だと自然とね。雰囲気を壊さないようにBGMも変わったものにしてみたり工夫したけど、美人には敵わない」


 宮納さんが言う通り、窓際でコーヒーを飲みながら参考書を開いている金髪ハーフの美人高校生はやたらと絵になる。笹篠がいるだけで落ち着いた雰囲気のオシャレな喫茶店っぽくなるのだ。

 これが迅堂だと部活帰りの中高生ウケする、とっつきやすい喫茶店になりそうだ。イメージ戦略の大事さが分かる。


「松瀬のお嬢様が来てくれるのが一番なんだけどね」

「海空姉さんは家から出ませんから」

「巴君が言ってもかい?」

「俺の言うことを聞くような人だと思います? 俺は誰の指示でここにバイトに来たでしょう?」

「ははっ、そうだった」


 宮納さんは小さく笑って、迅堂から注文票を受け取るとフライパンを取り出した。オムレツをオーダーされたらしい。


 それから時は過ぎ、迅堂の事前の予言通り五時を過ぎると客が完全にはけた。

 笹篠効果でかなりの客入りになっていたため、がらんとした店内を見ても宮納さんは気を落とすどころか機嫌よく夜の洋食酒屋用の下ごしらえを始めている。


「第一回にして最終回、ラテアート勝負のコーナー!」


 迅堂が天井にこぶしを突き上げて開催を宣言する。


「宮納さん、いいんですか?」

「今日のお客さんのほとんどは美人さんのおかげだからね。暇な今、お金も払ってくれるんだから文句はないよ。僕も迅堂さんのラテアートの腕前次第では、お客さんに出すものを任せてもいいと思うし」

「その辺、柔軟ですね」


 お店の最高権力者の了解が取れてしまったので、ラテアート勝負が開催された。

 制限時間を決めて、コーヒーにミルクを垂らし始める二人を眺める。

 当事者の二人や宮納さんにとっては真剣勝負に見えるだろう。

 けど、実態は違うと俺は知っている。


 だって、笹篠も迅堂も未来人――勝つまでリトライできるのだ。

 そして、俺の認識できないループで幾度となくぶつかり合って切磋琢磨し合ったこの二人が提出するラテアートがどんなものか、想像に難くない。

 だから、俺は二人に出すお題を分けたのである。

 引き分けでいいじゃない。


「できたわ!」

「できました!」


 二人が揃って俺を見る。

 宮納さんも興味を引かれて、下ごしらえの手を止めて覗きに来た。


「……笹篠さん、だったかな。うちで働く気はない?」


 宮納さんがそう言いだすほどに、笹篠のラテアートのクオリティは高かった。ウインクするポップな柴犬は歪みもなく、ちょろっと出した舌の大きさまで計算して画面を構成している。

 これをあの短時間で……。


「マスター! 私のだって凄いですよ! 笹篠先輩なんていらないですよ!」


 迅堂が主張する通り、こちらもクオリティが高い。写実的な三毛猫が顔を洗う仕草を描いている。

 どれだけ修練を積めばこんなクオリティが出せるんだ。未来人ってチートなのでは?

 マスター宮納さんが腕を組んで唸る。


「絵柄もそうだけど、看板娘の方向性が違うからね。正直甲乙つけがたい。巴君、彼女たちは一体何者なんだ?」

「趣味に全力な女子高生じゃないですかね。引き分けかな、これは」


 こうなると思っていたことはおくびにも出さず、引き分けジャッジ。

 笹篠と迅堂は睨み合うも、互いの健闘をたたえて握手した。


 お前ら、なんでこんなになるまで切磋琢磨しあって互いが同類だと気付かないんだ?


 もしかして、運命が収束するから相手の技量も勝手に上昇するとか考えてる?

 まぁ、互いが同類だと認識した瞬間に記憶も人格も吹き飛ぶわけだから、気付かない未来からしかこの時点に戻ってこないんだけどさ。


 もしかして、『シュレーディンガーのチェシャ猫』って鈍い奴が生き残るシステムなんじゃない?

 蟲毒かよ。


 笹篠がバイトの誘いを断ると、宮納さんは残念そうにカウンターに戻っていく。


「先輩もやってみますか?」

「やめとく。ブラックが好きなんだ」


 牛乳が苦手ともいう。

 香ばしい湯気が立ち上るコーヒーを一口。程よい酸味とどっしりとした苦味と風味。銘柄とかは分からないけど、美味しいコーヒーだ。


「二人ともしばらく休憩に入っていいよ。まかないでも出そうか?」


 カウンターの宮納さんに声をかけられる。

 今日のバイトは午後七時までの予定だ。


「まかないはいらないです」

「俺も必要ないです」

「分かった。何か注文するなら直接言ってくれればいいよ」


 俺はエプロンを外して、笹篠の向かいに座った。ちゃっかりと俺の横に滑り込んできた迅堂を笹篠が睨む。


「ラテアートでは引き分けたけど、まだ明日のお弁当勝負があるわ」

「決着はお弁当でってことですね。望むところです!」

「俺、運動した方がいいのかなぁ」


 未来人二人が切磋琢磨するとどんな料理ができるのか分からないけど、このループを捨て回として好みを探ろうと品数を増やされたりしたら……。

 うん? そもそも、俺は捨て回と認識できるのか?

 未来人が過去に戻ったら、その時の俺や世界はどうなるんだ?

 ……怖くなってきた。

 考えないでおこう。


「運動かぁ。先輩たちは球技大会でどっちに出るんですか?」

「そんなのもあったなぁ」


 全学年対抗の球技大会。一学期の最初に行われる学内イベントだ。

 男子はサッカー、女子はバレーボール、さらに加えて男女ペアによるテニスがあり、体育の授業でクラス代表を決めた後、トーナメント形式で全学年がぶつかり合って最強のクラスを決める。


 一学期の目玉イベントだけあって注目度は高いが、すべての競技が並行して行われるため観客は少ないという地味さ。


「俺はサッカーかな。笹篠はどうするんだ?」


 話を振ると、笹篠は渋い顔をする。


「チーム競技って嫌いなのよね。……白杉、一緒に男女テニスに出てくれない?」

「俺?」


 テニスなんてやったことないんだけど。


「というか、笹篠は中学の時にバレー部じゃなかったっけ?」

「途中で退部したけどね。ただ、他のクラスの同中出身の子が中途半端に話しちゃったらしくて、球技大会でバレーボールに参加させられそうになってるのよ。選抜から外れるように立ちまわってたのに……」


 心底バレーボールに参加するのが嫌なのか、笹篠はため息をつく。


「クラスの団結のためにとか言われるのも嫌なのよね。知ったことじゃないし。だからさ、白杉と一緒に男女ペアでテニスに出たいの。どう?」

「サッカーへの参加が決まっているわけでもないから俺は別にいいけど」


 テニスは授業でもやらないし。

 クラスにはテニス部もいたはずだけど、確か、もう男女でペアを組んでいたはずだ。


「そもそも、チーム競技はダメで、ペアならいいのか?」

「組む人にもよるわ。白杉は本質的に貪欲だと知っているから、ペアを組むの。白杉は妥協せずに全力を出すからね」

「まぁ、やるからには本気でやるけど、テニスはあんまりうまくないよ?」

「上手か下手かは関係がない。本気を出すかどうかが大事」


 本気を出すかどうかなら、そりゃあ、本気で取り組むけど。

 負けるのは嫌いだ。努力の成果を活かせないのはもっと嫌いだ。


「……こういう時に同じクラスなのずるいですよね」


 ボソッと不平を言いながら、迅堂がカフェラテをすする。


「迅堂はバレーボールにでるのか?」

「まぁ、他の男子とペアでテニスに出て、先輩たちをぼっこぼっこにしたり、先輩に嫉妬してもらったりするシチュに興味はありますけど、無難にバレーに出ます」


 よかった。未来人の迅堂が対抗してくると、激戦になるし。


「クラス代表決めはクラスごとの授業ですけど、球技大会の本戦は他クラスでも観戦できるので、応援しますよ。冷やしたタオルを渡せるのは応援団の特権ですので。笹篠先輩の分もしょうがないので用意してあげます。物欲しそうな目で見てくださいね」

「コートにも入れない分際でハンカチ噛みしめて外から物欲しそうな目で見てるといいわ」


 売り言葉に買い言葉、迅堂と笹篠はにらみ合う。

 勝負の相手はネットの向こう側にいるはずだと思うのは俺だけなのか。


「それはそうと、先輩たちの男女ペア受付っていつになるんです? うちの学年はもう、参加表明が終わっちゃってますけど」

「明日の体育で名乗り出れば大丈夫よ」

「そっか、明日は男女合同で体育か」


 明日の体育のサッカーはめちゃくちゃ荒れそうだな。笹篠がクラスにいるから、良い所見せようとクラス代表の座を勝ち取るために本気になる奴が多そうだ。

 悲しいけど、男の子って単純なのよね。


「男女テニスのクラス代表を決めるのは今週の金曜日の授業ね」


 今日が火曜日だから、二日しか練習できないのか。帰ったらルールを確認しておこう。

 笹篠は未来人だし、テニスが上手くなっていそうだ。足を引っ張らないようにしないと。


「うぅ、やっぱりずるいです! 私も白杉先輩と共同作業したいです!」

「迅堂さんは白杉とバイトしてるじゃない」

「そうでした! そうじゃないです! もっとこう、デート的な、トロフィ的なのが欲しいんですよ! 思い出の一ページに残るような!」

「明日のお弁当勝負で頑張ることね」

「なるほど、手料理を食べてもらうのも確かに青春の一ページ。燃えてきました!」


 自然な流れに見えるけど、笹篠は未来人だからお弁当勝負で負けないって確信があっての発言なんだよなぁ。

 未来人との勝負ダメ、絶対。

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