第18話 上下逆さまの笑顔

 ベータ魔術学院がもうすぐ開校する街、アルファの中心地近くにとある酒屋がある。

 そこの強みは、踊り子を眺めながら酒を飲む事が出来るシステムにある。

 踊り子は風俗店が客引きとして使う踊りは決して踊らず、踊りのみでお客を酒と共に酔わせ、肴と共に満たす。

 

 店前の人通りは、戦後の街の夜にしては隙間は少なく、油断すれば肩をぶつける程だった。

 そんな中、甲高い声が路に響く。

 

「おい! 見ろよ! あのガキ、インベーダだってよ!」


 びく、とフクリが肩を震わせながらその方向を振り向く。

 往来激しく目撃者だらけの道を、まるで市中引き回しの様に檻が横切っていく。

 その中に一人の少年が、絶望しきった瞳で座り込んでいるのが見えた。

 

 銀髪に銀眼。

 それがインベーダの特徴。

 あの色は夜闇でも良くわかる、紛う事なきインベーダの子供だ。

 

「あんな子供でも奴隷に売られていくの? カワイソー」


「ふん。きっと一時的にインベーダが植民地にしていた場所で無責任に産んだんだろうよ。ま、あのガキも一時的には人間を奴隷にしていたって事でな」


 想像でしかない罵声を浴びせられながら、生命として扱ってもらえない場所へ運ばれていくインベーダ。

 彼を出荷していく奴隷売人たちも、公的には許されたものではない。

 奴隷は禁止されており、売人も買い手も重い罪に問われる。

 しかし通りかかった兵士も、何も見なかったかのように口笛を吹いて擦れ違うだけだった。

 誰も彼も、あの奴隷売人を外注を喰らう益虫程度にしか考えていないのだ。

 

 実際、地球に残されてしまったインベーダを除外していくという自浄作用がある以上、帝国も見て見ぬふりをするのは自明の理である。

 

 フクリも、見ている事しか出来なかった。

 これが、現実なのだ。

 あの少年は、フクリが助けられる領域を飛び越えている。

 きっとあの教師だったらもしかしたらこんな衆人監視の中でも助け出せるかもしれないけれど、フクリには親友を助ける力さえない。自分の事で手一杯だ。

 ミモザがプロキオンに連れ去られたとき、それを思い知らされた。

 

「しかし奴隷売人も上手いよな……髪や目の色を変えちまうインベーダの変装も見破って、インベーダであることを周りに見せびらかしながら連れ去っていくんだから」


 それを聞いて、更にフクリは目を逸らしながら、つぶやいた。

 

「……ごめんなさい」




 店内で制服から白いワンピースの衣装に着替えながら、フクリの頭を色んなことがグルグル回る。

 本当は、今日は踊り子をしていられる気分じゃない。

 親友が死にかけたし、出荷されていく命を見たばかりだ。

 きっと他に掛け持ちしている三つの仕事だって、手に着かないに違いなかっただろう。

 

「あらぁ、フクリ。制服なんて着て、随分と余裕があるのねぇ」


「……あなたには及びません」


「フクリは人形みたいにかわいいからねぇ。子供の代名詞である制服の方が、確かに似合ってるわよぉ」


 厭味ったらしく言葉を踊り子かけたの方が、ずっと余裕がある金やら銀やらのアクセサリを身にまとっている。

 一体どこからそんなお金を捻出できたのか、勿論察する事は出来た。

 この店の踊り子は、ステージの上で客の心を掴み、その後話を聞いてあげる事までである。客と体の関係なんて持つなど、以ての外――表向きは。

 しかし、この店員の女子の一部は、それで知り合った異性をお金を巻き上げて関係を持ち、よい出資者を抑えている。

 

 さもなければ、フクリの様に二つも三つも四つも仕事を駆け持つ苦労人くらいしかいない。

 

「でも大丈夫なの? 学校なんて始めたら、他の仕事辞めなきゃいけないんじゃない? そしたら……まあ、大人の勉強をしてみるのもありかもね」


「私、そういう事は絶対にしないので」


 ばん、とロッカーを閉めて纏った衣装を鏡でチェックし、衣装室を出た。


「ふん、お高くまとまりやがって」


 閉めた部屋の中から舌打ちが聞こえたが、そんな事をいちいち気にしていては自分は生きられない。

 少なくとも、働く場所を選べる身分じゃない。

 せめて女性として最後の誇りは保てるよう、風俗のような事をしないので精いっぱいだ。

 そうでなければ、ミモザなんて太陽と会う資格も自分にはない。

 

「おお、見ろ。“天使”だ」


 酒瓶を手にした客が、小さなステージを見ながら喉をうならせる。

 魔術による強い光に反射した純白の衣装も相まって、フクリのあどけない雰囲気が、全てを癒す天使を思わせる。

 そのまま、この店に現れる“天使”として、フクリはゆっくりと知名度を上げてきた。

 

 勿論、フクリを見つめる視線の中には露出度の高い姿に、邪な想像を膨らませる目線もある。

 虫でも張り付かせているような、気持ち悪い視線。

 しかし、こんな生暖かい湿地でやり抜くだけの経験は十分積んできた。

 

 清濁関係なく客人達は、手にしていた酒を口に運ぶことも忘れ、奥からピアノ音が流れるのを今か今かと待った。

 そして音が鳴り、フクリは舞った。

 

 曲名、“きらきら星変奏曲”。

 

 煌めく星の様に調べの曲調が良くわかる、耳に優しい曲。

 主張も少ない。故に踊り子の舞いを殺さないし、故に踊り子の技量が問われる曲でもある。

 

 その瞬間、客は目の前の少女が雰囲気だけではない、神々しい存在だと錯覚し始める。

 最初の、静の動き。

 夕暮れになって、星が見え始めた時を連想する。

 黄昏時が、未だ跳躍も激しい動きもしていないフクリの一挙一動一足によって描かれる。

 

「……」


 客の一人が瓶を置いた。

 スローモーションで空をなぞる、白い二の腕に釘付けになる。

 次第に動きは体全体に伝播していき、月がそこにあるかのように瞼を閉じ、背を反り終える。

 矮躯ながらも女の温もりを男達に植え付けるには充分な、胸の膨らみが一瞬際立つ。

 

 曲は第一部のピーク。

 やや強くメゾフォルテの変遷へと合わせ、突然動きが滑らかになる。

 露出した左足を軸にしながら、スカートに覆われた右足を開いて回転。

 途中で右足を折り曲げ、一旦逆立ちすると、スカートが落ちるのと同一のタイミングで着地する。

 

 しなやかに立ち上がると、色を付けた魔力を両手から振りまきながら、両手両足が別の動き。

 魔力を芸術として、衣装として、演出して使っているのだ。

 

 その粉は、果たして空から降りてきた天使の微笑みか。

 ……いつしか、酒があったことも、酒に酔っていたことも忘れていた。

 

 

 その時だった。

 突如、フクリに投擲された瓶が直撃したのは。

 

 

「わあっ!」


 右側頭部に直撃。

 重症には至らないにしても、ぽたぽたと血を流す程のダメージに、踊りを中断せざるを得なかった。

 

「お前ら騙されるんじゃねーっぜえ!」


 無粋。

 突然差された水に酔っ払い達が声を上げなかったのは、その投げた相手が悪すぎたからだ。

 

 彼らは街でも有名な奴隷売人集団。

 “インベーダ専門”の奴隷売人達であり、体中に纏わりついた筋肉、さらには全身を纏う武装に立ち向かう気力が無かったからだ。

 奴らは戦闘のプロ。

 天使を守るためだなんて笑える理由で戦えば、怪我では済まない。

 

「な、なんですか! あなた達は」


 店員がやむを得ず止めに行くが、どけ、と逆に殴り倒されてしまった。

 その暴力だけで、客達の僅かな戦意を削ぐには充分すぎた。ステージに向かって歩いていく。

 

「お前らよーく聞け! こいつはなぁ、本日話題になったあのリチャード=クレラスの娘を庇っていた! あのリチャードの娘を、スパイ発覚後もずっと庇っていたんだぜぇ!」


 こんな小さな店だ。屈強な男の大声は、否が応でも耳に入る。

 そしてその情報も、戦争の悲惨さを嫌というほど思い知っていた今の時代にはこれが良く刺さる。

 西ガラクシ帝国に情報を流し、ガラクシの壁を越えて戦争再会を助長させた存在、リチャード。

 そのリチャードに与した天使の様な悪魔。

 

 生まれた生まれた。

 客の中に、そんな疑惑が悶々と生まれ始めた。

 

「み、ミモザちゃんは……!」


 ここでフクリが一時的にミモザを非難しておいて、これ以上の諍いを起こさない理性を持っていれば、それだけで済んだかもしれない。

 しかしフクリは、ここで太陽の様な親友を想うという最悪の選択をしてしまう。


「ミモザちゃんは悪くありません! あの子は何にも……!」


「聞いての通りだ! 聞いての通りだ! ほれみたことか! 惚れて連れて帰ろうものなら、情報と一緒に骨抜きにされて、最悪殺されてしまうかもしれないなぁ!?」


 結果、更に混沌とした空気が流れてしまった。

 

 そもそも、フクリもこの男達と面識がある訳ではない。

 さてはプロキオンの残党だろうか。

 否、プロキオンが滅んだことで活動が目立つようになった別の過激派団体だろうか。

 

 しかし、そのうちの一人が――先程檻に入れたインベーダを運んでいた奴隷売人だったことを思い出す。

 

「……!」


 奴隷を金に換える商人。

 そうだと知った時。

 フクリに、戦慄が走った。

 

「更によく聞けお前ら! ここで今俺らが証明してやる。実はこのフクリって奴はな、実はな――」


 しかし、男の言葉はそこで止まる。

 仰々しくプレゼンテーションをしており、それこそ踊りの様に舞わせていた腕を止められたからだ。

 筋骨隆々の、丸太の様な腕を塞き止められていたからだ。

 

「……そこまでだ」


 その止めた存在の性別は分からなかった。

 まず、声を加工していたから。魔術で声の波長が酷くブレている。

 ならば顔からなら判断出来る筈。いや、出来る筈はない。

 

 

 何せ、“真っ白な笑顔の仮面を、上下逆さま”に、その顔に張り付かせていたのだから。


 

「あぁ!? なんだ手前は!?」


 客の一人が、代弁するかのように言った。

 恐る恐る、戦々恐々としながら。

 黒いローブに全身を包み、純白の上下逆さまの笑顔の仮面に包んだその存在を見て、ゴクリと喉を鳴らして。

 

 

「“白日夢オーロラスマイル”……?」

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