第196話

 向こう岸といっても、俺たちがいる所より上流にしばらく向かったところだ。

 そこにいる人たちも俺たちに気づいたようで、下流側へと歩いてくる。


『人がいるのだ』

「ふむう。何者か?」


 水を飲んでいたティミショアラが、懐にシギショアラをしまった。

 誰かわからないから、一応隠しているのだろう。


「こんなところに人がいるのは珍しいな」

『怪しいのだ』


 ここに道はない。今作っているところなのだ。

 普通の人は通らない。


「クルスが呼んだという官僚と橋の技術者の人たちかもな」

『意外と早いのだな?』


 俺は向こう岸の集団を観察した。全員徒歩の10人の集団だ。

 眺めていたティミが言う。


「やはり、身なりもそれなりに整っておるし、官僚団であろうな?」

「というか……先頭にいるやつ、ユリーナの婚約者候補じゃないか」

「代官代行の息子じゃな?」

「そうそう」


 俺は代官代行の息子に一度しかあったことがない。

 向こうは覚えているかは知らないが、俺は覚えている。

 相変わらず、若くて育ちのよさそうな青年である。

 だが、今日はとても不機嫌そうに見えた。


 ついに集団は俺たちの正面まで歩いてきた。

 代行の息子の隣にいる中年男性が、大きな声を上げた。


「この辺りに住む者たちか?」


 川幅は広い。せせらぎの音もある。聞こえにくい。

 だから俺は魔法で聴力を向上させながら、返答する。


「まあ、そんなところですよ」


 正確には違うが、大きくは違わない。

 否定するほどでもない。


「死神教団の関係者か?」

「はい。そうですね」


 これは正しい。間違いなく関係者ではある。

 チェルノボクとは仲良しなのだ。


「ここで何をしているのだ?」

「土木作業が一段落したから、休憩しているところですよ」


 そのとき、代官代行の息子が、明後日の方向を向きながら言った。


「さぼりか。こういうやつらは監督しなければ、すぐにさぼる」


 まるで、独り言のような口ぶりだったが、声はかなり大きい。

 あえて聞かせているのかもしれない。


「あ゛っ?」


 ティミが代官代行の息子の言葉に反応した。

 ティミは古代竜なので魔法など使わなくても人間より耳がいいのだ。


 怒ったティミは超怖い。

 無駄に怒らせるのはやめて欲しい。


「まあまあ、ティミさん。彼にも悪気が……」


 そこまで言ってふと気づく。

 明らかに悪気があったのでは?

 少なくともどのような労働をしていたか知らないのに、決めつけるのはよくない。


「まあまあ……、とりあえず落ち着いて、ね!」


 弁護できなかった。仕方ないので、適当にティミをなだめる。

 フェムまで、尻尾をピンと立てていた。


『ちょっと脅してやった方がいいのだ』

「まあまあ、フェムさんも、ね!」

『吠え声をぶつけてやっていいか?』

「ダメだよ」


 距離はかなり離れている。

 だが、魔狼王にして魔天狼のフェムの咆哮は強烈だ。

 ほぼ確実に全員が気絶する。


 中年男性は代官代行の息子の言葉をなかったことにすると決めたようだ。

 川幅もあるし、せせらぎの音もある。聞こえなかったと判断したのかもしれない。


 笑顔で、こちらに語り掛けてきた。


「そちらに渡りたいのだが、船とかないかね?」

「あー、そういうのは、ないですね」

「ちっ。つかえねーな」


 代官代行の息子が舌打ちした。

 王都であったときはもっと上品な印象だった。思いのほか態度が悪い。

 ユリーナはこの本性を知っているのだろうか。


「あ゛ぁ゛っ?」

「り゛ゃ!」


 ティミから少し殺気が漏れている。

 殺気に当てられたのか、シギもティミの懐内部で変な声を上げた。

 初めて聞く声だ。

 シギも怒っているのかもしれない。


「もしかしたら、真面目にユリーナの恋人役、演じなければならないかも」


 俺はというと、少し憂鬱な気分になっていた。

 恋人役など気が進まなかったが、仕方あるまい。


「川の深さは、どのくらいかわかるか?」


 中年は舌打ちもなかったことにしたようだ。

 中年の立場としては当然ともいえる。


「ティミ、この川ってどのくらい深いの?」

「しばらく雨が降っていないからな。深いところでも、アルラの胸の下ぐらいであろ」

「広さの割に意外と浅いな」


 ティミの返答を受けて、俺は中年に伝える。


「大体、このぐらいですよ」


 手で胸の下を示した。

 それをみて中年は向こうで相談し始める。普通なら聞こえないぐらいの声量だ。

 だが魔法で聴力を上げているので俺には聞こえる。


「流れも緩やかですし、腹の下ならば、徒歩で渡れなくはないですね」

「私にずぶぬれになれと言うのか?」

「ですが、橋もありませんし」

「肩車でも何でもやりようはあるだろう」


 代官代行の息子はそんなことを言う。

 秋だから水は冷たい。入りたくないという気持ちはわかる。

 だが、わがままが過ぎる。


 中年が他の者たちに肩車できるか尋ねはじめた。


「まあ、命令されればやりますけど、俺は体力ないので途中で転んでも知りませんよ?」


 そんな命令しやがったら途中で落とすからな。そういう脅しが言葉ににじみ出ている。


「私も同様です。むしろ泳げないので私の方が肩車してほしいぐらいですよ」

「私は橋建築の技術者ですから。肩車は業務に含まれてません」


 部下たちに、はっきりと断られている。

 橋の技術者はさらに煽るように言う。


「ぬれるのが嫌なら、橋が完成してからお渡りになればよろしいのでは? ここでしばらく待っていただければ、なるべく早く作りますよ?」


 なるべく早くといっても、橋を作るのだ。かなりかかる。明白な嫌味である。

 それを聞いていたティミがぽつりと言う。


「あの技術者、面白いではないか?」

「よほど、腹に据えかねていたのかもな」


 雇用主側をあおるなど、余程のことがない限りできないものだ。

 よほど、自分の技術に誇りがあるのだろう。

 そのうえで、道中、いらつくことがたくさんあったに違いない。


 断られて、困った様子になった中年はこちらに向かって呼びかけてくる。


「そこの者たち。こちらのお方は代官補佐殿である」

「ほう」


 代官補佐の役職名の前にはおそらく臨時が付く。

 村づくりのためだけに、臨時で新たに任命したのだろう。


「そこの作業員。代官補佐殿を肩車をして運ぶように」

「冷たいので嫌です」


 はっきりと断ると、中年が驚いて唖然とした顔になった。

 そして、臨時代官補佐は腹立たし気に顔をしかめた。

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