第181話

 ユリーナはさらに身を乗り出す。顔が近い。


「ユリーナさん、近いです」

「りゃっりゃ!」


 俺がドン引きしている様子をシギショアラが目を輝かせて見つめていた。

 楽しいのだろうか。羽をパタパタさせている。


「ユリーナさん、何をおっしゃってるのか、ちょっとよくわからないです」

「なんでよ! わかるでしょ?」

「クルスに頼めば……」

「私もそうしたいわよ。でもクルスは女の子よ」


 貴族的には跡取りを作りたいので男女の組み合わせにこだわりたいのだろう。

 それはわかる。わかるのだが、とても面倒である。


「それに、もう言っちゃったし」

「なにを?」

「代行の息子に、恋人がいるからごめんなさいって」

「そんな、無断で……」

「ごめんなさい! 咄嗟のことで、申し訳ないとは思っているのだわ」


 しっかりと謝られたら、許さないわけにはいかない。


「仕方ないなー」

「ありがとう」


 ユリーナはにっこりと笑う。そうすると可愛らしい。


「その代官代行の息子ってどんな奴なの?」

「よく知らないわ。紹介された直後に、恋人いるからって断っちゃったし」

「へー」

「でも、代官代行の息子はしつこくて。恋人に会わせろとか言ってくるのだわ」


 代官代行の息子が嫌だというよりは、結婚したくないということなのだろう。

 気持ちはわからなくもない。まだユリーナは若いのだ。 


「さっきから代官代行の息子とばかり呼んでるけど、……名前は?」

「えっと……なんだったかしら。紹介はされたのだけど」

「覚えてないのかよ。さすがに可哀そうだろ」

「だってだって、いきなりお見合いとか言われて慌てていたのだわ」

「いきなりか」


 ユリーナはうなずく。


「そうなの。実家においてある資料を見せようと思って、クルスを連れて実家に行ったの」

「ほうほう」

「クルスを書庫に案内していたら、お父さまに呼ばれて……。クルスを残して向かったのだけど」

「ふむふむ」

「そしたら、代官代行の息子と私のお父さまがいて。いいところに来た、ユリーナ結婚しろ的な感じなのよ」

「スピード感がすごいな」

「信じられないでしょう? それで咄嗟に恋人がいるって断ったのだけど」

「まあ、その状況なら、俺でも断るかも」

「でしょ? そしたら、お父さまも代行の息子も恋人に会わせろとか、言ってくるし」

「面倒だな」「もお」


 ユリーナはしゃべりながら、右手でモーフィを撫でまくっている。

 モーフィにはストレス軽減効果があるのだろう。


「だから、私はクルスが戻ってきたのをいい機会だと思って、逃げようとしたのだけど、代行の息子がクルスを手伝うとか言ってきて」

「代行の息子ってクルスの部下だもんな」

「クルスも、手伝ってくれるの? ありがとうとか言ってるし」

「クルスは何も考えてないからな」「わふ」


 ユリーナはさらに左手で、フェムを撫で始めた。

 もふもふのストレス軽減効果はすごいのだ。撫でたくなる気持ちはよくわかる。


「クルスは婚約について何か言ってた?」

「クルスは資料のある書庫に行ってたし、まだ言ってないから婚約を申し込まれたことは知らないのよ」

「そうなのか」


 道理で、クルスはユリーナの機嫌の悪い理由をわからないとか言っていたはずである。


「代行の息子がついて行くってなったら、執事もついて来るって言い張るし……。せっかくのデートが……」

「それは災難だったな」

「だから、嫌われようと思って、めちゃくちゃ嫌な奴を演じたのだけど」

「あー、ユリーナ偉そうだったもんな」


 ユリーナは、代行の息子と執事たちに「控えなさい」とか言っていた。

 クルスの部下に対して態度が悪いと思ったが、そういう事情があったのか。

 だが、本気で嫌われたいのなら、あの態度は上品すぎるとも思う。


 俺も話しながら、シギを優しく撫でる。


「……りゃ」

「眠たい?」

「……りゃあ」


 シギが少し眠そうだ。

 それを見て、ユリーナが立ち上がる。


「夜遅くに悪かったのだわ」

「いや、気にするな」

「迷惑かけるけど、よろしくなのだわ」


 そう言ってユリーナは部屋から出て行こうとする。


「あ、ユリーナ。口裏合わせとかはそっちでやっとけよ」


 俺は帰りかけたユリーナに念押しする。

 もし、代官代行の息子が現れたとき、周囲の人間が知らなければ、すぐばれる。

 口裏合わせは必須である。それは、とても面倒くさい。


「それは任せておいて!」


 ユリーナはその豊かな胸を堂々と張った。

 ユリーナが去った後、フェムが言う。


『人間は大変なのだなぁ』

「まあねえ。冒険者だとそういう苦労はないのだけど、貴族になるとな」

『アルは結婚しろとか言われないのだな?』

「親もいないしな」

『そうなのだな』


 それに王都中枢とは距離をとっているのも大きいと思う。

 そうでなければ、俺に娘を嫁がせたがるやつが近づいてくるかもしれない。

 特に、貴族ではない豪商などには、喉から手が出るほど独身の貴族は魅力的だろう。


『クルスとかも大変なのか?』

「もう?」

「クルスは可愛いし、伯爵だし領地持ってるし。親戚になりたい奴はたくさんいるかもな」

『ルカはどうなのだ?』

「ルカも人気かもなー」

「……り……ゃ」


 そんなことを言っていると、シギが寝息を立て始めた。

 とても可愛らしい。

 俺はそっと、シギをベッドに寝かせる。


「寝るか」

『もう寝るのだ』

「も」


 フェムは枕元に移動して丸くなる。

 モーフィは俺のお腹に頭を乗せる。少し重い。

 俺はシギを撫でながら、眠りについた。

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