第15話

 ムルグ村には温泉がある。

 村人が日常的に使っているのは、村の中央にある大温泉だ。

 そちらに向かおうとすると、村長に呼び止められた。


「アルさん。そちらも勿論お勧めできますが、こっちにもっといい場所があるんですよ」

「ほほう?」


 村長は、村はずれへと歩いていく。


「ムルグ村にはいくつか温泉があります。そのうちのいくつかは普段使われていないのです」

「それは何故です?」

「……それは、管理が大変だからです」

「なるほど」

「先代の村長が、調子に乗って作りすぎましてな。今では半年に一度の掃除の時以外、ほとんど閉鎖しているんですよ」

「そうだったのですか」


 村長は足を止めて、声をひそめる。


「まあそういうわけで、温泉は余っているわけです。そこで管理に責任を持つという条件で、村人に低額で貸し出しています」

「ほほう?」

「そしてここが、我が家で借りている温泉の入り口です」


 そこは綺麗な小屋だった。管理も掃除も行き届いていそうな建物だ。


「アルさん、こちらを好きにお使いください」

「いいんですか?」

「もちろんですよ。借りたのはいいのですが、やっぱり中央の大温泉の方に行ってしまうんです。村長という立場上、村人たちとの接点は多くなければいけないので」


 村長というのも大変な仕事だ。村人たちと一緒に温泉に入りながら要望などを聞いたり揉め事の芽を摘んだりしているのだろう。


「もし気に入られたならアルさん専用にしてもいいですよ。あっ、フェムさんが入られても問題ありません」


 そういって、村長は去っていった。

 村長の最後の言葉のせいか、フェムがものすごくきらきらした目で見つめてくる。


「じゃ。俺は入ってくるから。フェムは待ってて」

「くぅーん」


 念話を使わず、犬のように身体をこすりつけてくる。

 ほんとずるい。


「もう仕方ないな。入ってもいいけど暴れたり汚すなよ」

『当然であろ』

「ふぁ」


 突然念話が飛んできて、少し驚いた。フェムを見るとキリっとしていた。

 俺はフェムト一緒に温泉へと向かう。


 俺はせっかくムルグ村に来たのに、温泉に入っていなかった。ぬれた布で体を拭く程度で済ませていたのだ。

 長年の冒険者根性が染みついていたせいだろう。


「湯船に入るのは体を洗ってからだぞ」

『! わ、わかっておる』

 飛び込もうとしていたフェムがびくっと止まった。


 自分の身体を洗うついでに、フェムも洗う。暴れるかと思ったがフェムは大人しかった。

 体を洗うとお待ちかねの湯舟である。


「ふぃーー」

「わふぅぅぅ」


 少し熱めのお湯が気持ちがいい。フェムも気持ちよさそうだ。


「犬って、お風呂嫌いなんじゃないの?」

『フェムは犬じゃない』

「狼もお風呂嫌いなんじゃないの?」

『フェムはただの狼じゃない』

「そうか」

「わふ」


…………

……


「お湯がひざに染みわたるようだ」

『意味わからぬ』


 夏でもこんなに気持ちがいいのだ。冬はもっと気持ちよかろう。

 ムルグ村の冬は結構寒いと聞く。衛兵小屋の近くに温泉はないのだろうか。


 しばらく浸かっていると、のぼせてくる。


「そろそろ出るか―」

『もう少しー』


 そのとき、脱衣所の方から声が聞こえてきた。


「わらわは風呂など入らずともよいのじゃ!」

「そんなこと言って。汚くなるよ」

「ふん! 下等生物とは違うのじゃ!」

「四天王すごーい」

「魔族も代謝があるから風呂入らないと汗臭くなったり、垢でるよ?」

「臭くないのじゃ!」


 わいわい騒ぎながら、少女二人と幼女が入ってきた。

 なにか手違いがあったのだろうか。


 俺はとっさに、物陰に隠れた。


『なんで隠れているのじゃ?』

「いや、だって……」


 首をかしげながらフェムも一緒に隠れる。



「ほらヴィヴィさん、きれいな髪なんだから、ちゃんと洗わないとダメだよ」

「わらわは、洗わなくてもきれいなのじゃ」

「コレットはもう自分で洗えるんだよ!」


 女子たちの楽しそうな声が聞こえてくる。


「お前……。エルフのくせにでかいな」

「どしたの? ヴィヴィさん」

「うるさいのじゃ! こうしてやる」

「ひゃあ!」

「してんのー、お姉ちゃんのおっぱいは揉んでも出ないんだよ!」


 何をやっているのか。俺にはわからない。

 声しか聞こえないからだ。けして見ていない。紳士だから。


『顔真っ赤であるぞ』

「ふぇ?」


 確かにぼーっとしてきた。のぼせたかもしれない。

 一時しのぎに氷系の魔法を使って頭を冷やそうなどと考えていると、


「あ、おっしゃん! フェムもいる!」


 コレットに見つかった。


「きゃっ、アルさん?」

「わらわの肢体をねろうてきたのじゃろう、猥褻魔導士!」


 ヴィヴィの投げた風呂桶が俺の頭に直撃した。

 そこから先の記憶は定かではない。

 のぼせていたから仕方がない。


 ただ、ミレットが駆け寄ってきて、二つの大きななにか、柔らかいものが、身体に押し付けられたのは覚えている。


 目を覚ますと、脱衣所の椅子でミレットに膝枕されていた。

 なぜかすでに服は着ていた。


「あ、目を覚ましました!」

「情けない奴じゃ。まさに下等生物」


 ミレットは嬉しそうだ。ヴィヴィはどこか不満げだった。

 そして、二人ともうちわで俺のことをあおいでくれていたらしい。


「すまん。ありがとう。迷惑かけたな」

「おっしゃん、のぼせたの?」


 フェムの背中に乗ってコレットが近づいてくる。


「うむ。そうみたいだ」


 仮にもS級冒険者の俺がのぼせるとは情けない。


「ここの温泉は魔鉱石の魔力が混じっているから、魔法使いは酔いやすいのかも?」

「ふむ?」


 のぼせたというより、魔力酔いだったのか。少し腑に落ちた。

 それでもここまで魔力酔いになるはずはないのだが。


 俺が起き上がると、ミレットは水をとりに行ってくれた。


「おっしゃんおっしゃん」

「どした?」

「ミレットねえちゃんが、おっしゃんにパンツはかせたんだよ」


 そういって、コレットはにやっとわらう。


「……ミレットにでかい借りができた気がする」

「わふ」


 フェムの目がどこか呆れているように見えた。



 温泉から出ると、日が沈みかけていた。昼間より少しだけ涼しくなった風が吹いている。

 気持ちよさに目をつぶると、フェムが手をぺろぺろと舐めてきた。

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