第57話 ある男の話②

 一九六一年八月頃。

 二十一歳で三年間の大学生生活を終えて博士課程へ進むフェンは、人並みの生活を送っていた。


 朝起きて武蔵むさしあずさという女の分も含めた朝食を作るところから一日が始まる。いちいち文句を言ってくる梓と度々ぶつかり合いながらも大学で勉学に励み、太陽が沈む前に帰宅。部屋の掃除や洗濯を済ませて夕飯を作り始める頃に梓が酒が入った袋をぶら下げて帰宅。他愛もない話をしながら一緒に食し、各々で自由に就寝まで過ごす。


 十数年間、梓に押し付けられる仕事をこなしながら日々を過ごすうちに、梓という女がどんな人物がある程度わかった。


 性格は大雑把極まりない。脱いだ服は脱ぎっぱなし。使ったものを元の位置に戻さない。おまけに浪費癖持ち。何度それが衝突の原因になったか覚えていない。

 しかし、自分を「日本語の相手が欲しい」という理由だけで拾ったにも関わらず未だにその仁義を通しているということは、根はいい人であるのは間違いないだろう。その指導の一つとして「フェン」ではなく、瞳が赤いことから「アカツキ」と呼ばれてはいるが。


 だが、梓が何者なのか未だにわからない。

 梓はイギリスの住居を拠点として様々な国・地域へ何度も赴いている。彼女自身、「クソッタレな日本皇国のために働いているんだよ」と、酒を飲んでいるときに質問したところ何度もそのような愚痴を吐いていることから、政府関係、それも外務的な仕事なのはほぼ確定だ。公的に動いている風にも見えないことから諜報員かも疑ったが、あそこまでガバガバな私生活を送る以上似合う職業柄だとは到底思えなかった。


 また、いつも左手の指先から前腕辺りまで巻きつけてある包帯と、ベッドの下に存在する鞘に収められた剣も同様だ。固く巻かれている包帯は変えているようだがその場面に出くわしたことはなく、剣も鞘から少したりとも引き抜けない。何とも不思議としか言いようがないが、それ以上でもそれ以下でもなかったのでアカツキは放っておいている。


 そして今日、食事の席についた梓からある話を出された。


「アカツキ、ちょっといいか?」

「何だ?」


 向こうからそこそこ真面目な顔をして話し掛けてくるので、珍しいなと思いながら席につく。


「実はな、ロンドンから離れようと思っていてな」

「おう」

「家はこのまま残しておくが、お前は一人で暮らせるか?」

「当たり前だ。そもそもあんたが一人で暮らせるかが疑わしいぞ」

「うるさいな。話は終わりだ」




 斯くして、アカツキは一人暮らしを続けながら博士課程を歩むこととなる。


 その課程の中でアカツキを魅了したのは、一九六〇年にウラル山脈に存在する小さな町カリヤで発見された謎の光球と、そこから発せられるエネルギーだ。

 米ソの緊張が多少緩やかになってきたところで一九六三年に情報公開されて知ったそれは、巷ではUFO関連の物ではないかなどと騒がれていたが、その反応は科学者の間でも同様だった。

 それもそのはず。電気に似た性質を持ち合わせるが既存の四つのエネルギー、つまり電気エネルギー、熱エネルギー、光エネルギー、化学エネルギーのどれにも当てはまらない、第五のエネルギーなのだ。地球外生命体からの贈り物だと言われて信じるのも無理はない。


 しかし、あくまで科学者である以上、それを科学的に分析して論文に纏めなければならない。

 アカツキは大学院三年生の僅か一年間、あらゆる科学雑誌と最近発明されたインターネットをフル活用して、光球にスフェーリャ、エネルギーにエーテルと名付けられたそれに没頭することになる。


 そしてエーテルを多量に含有している鉱物、エテライトからエーテルを抽出して様々な実験を行い、それから得られたデータから考察。博論に纏めて提出した。


 半年後に行われた口頭発表をパスし、ついに博士号を獲得。そのまま大学の博士研究員となる。

 一九六五年の三月頃だった。




「カリヤに各国合同の研究施設ができる?」


 研究員としてデスクに座って早々、教授が持ってきたその話がアカツキの人生を大きく変えることになる。


「そうだ。世界各国でエーテルを本格的に解明しようとする動きが盛んでな。その一環で行われるものらしい。南極の基地が一箇所に集まったものだと思ってくれればいいさ」

「それで私を現地に送ろうと?」

「察しが良くて助かる。頼めるか?」


 正直言って、現地に行くことに不安を感じていた。


 あの魔界としか形容し難いソ連に行くとなれば、遺書を書くほどの勇気を決めなければならないだろう。

 それも研究施設となれば、KGBソ連国家保安委員会の職員が用紙一枚の変化まで逐一観察されるはず。個人の自由など存在しないのだ。


 それでも、実際にスフェーリャを生で観察したいのも事実。写真越しでなく、実物を見て是非ともデータを取ってみたい。


「任期はどのぐらいですか?」

「半年程度を国は見込んでいる」


 この質問で未開の地へ足を運ぼうか決めようとしたが、半年という短くなければ長いとも言い難い期間を言い渡されて顔を顰めさせてしまう。

 己の超精密な天秤に二つを乗せて測定した結果、僅差で片方が下がる。アカツキはそれに従った。


「わかりました。行きましょう」


 そこから話は早かった。

 すぐにパスポートを作成し、数少ない私物をスーツケースとバックパックに詰め込む。この家をしばらくの間留守にしてしまうので、その旨を手紙に綴って日本皇国にある梓の住居へ国際郵便で郵送。それに加えて研究も行う中、合間を縫ってロシア語の勉強にも手を出す。


 四月初旬に国が特別に用意した旅客機が、アカツキ含めたイギリスの優れた学者たちを乗せて母国を離れた。




 荷物の整理が終わって本格的に研究へ乗り出した五月十三日午後二時五十八分。


 アカツキは施設外の外で煙草を吹かしていた。

 ソ連側から提示された規則に反する行為だが、部屋の中が煙ったくなるのを嫌ったので無断で外部喫煙をしている。当初はここの警備を行っているKGB職員に度々注意されていたが、今は諦めて不承不承ながらも暇潰しのトランプゲームに乗ってくる仲になった。


「にしてもあいつ、どう見ても若すぎるんだよなぁ。ソ連は十五歳程度の少女まで諜報機関で労働させるほど人が足りないのか?」


 畑で人が採れる国にしちゃおかしな事だな、と紫煙を吐き出してそう呟く。


「お、そろそろ三時か。ティータイムとしよう」


 アカツキは吸い殻をその場でポイ捨てし、施設へと足を運ぶ。

 その最中、ソ連へ渡ってから印象に残ったことを連連つらつらと思い浮かべる。


 入国した瞬間からKGBの管轄に置かれ、現在に至るまで監視カメラ含め監視の目から逃れられていないことについて。まあ、これは出国前から予想していたことだが。


 次に生活水準が明らかに低い。

 家電から家具、トイレ、果ては用意されたフルシチョフカフルシチョフ時代に建てられた集合住宅すら西側諸国と雲泥の差だった。すぐに壊れる、水漏れが同時に起こる、壁は薄いし隣人の生活音が筒抜け。フルシチョフのスラムと呼ばれる理由が身を以てして嫌というほど理解できた。


 強いて褒められる点をあげるとするならば、飯が美味い。アカツキは自身を味音痴と自覚しているが、そんな自分でもわかるほどロシアの料理は美味だ。コックが出せる料理が蒸したジャガイモ以外に存在する時点で驚きを隠せなかったのは記憶に新しい。


 そのまま食繋がりで今日の茶葉はどれにしようか、限られた数と種類の中から一品を悩みながら歩みを続けた。




 現地時間五月十三日十五時頃、ソ連スヴェルドロフスク州のカリヤにて大規模な爆発事故が発生。付近に存在するエーテル関連の施設は全て全壊し、その場にいた千人余りの関係者が死亡または行方不明。その中には日本皇国の科学者十人の何人かが含まれているという。

 ソ連当局によると通信機器も全て瞬時に破壊されたため、外部からの定期通信で初めて異変に気づいたとのこと。直ちに救助隊を派遣して未だ活動を続けているが生存者は発見されていない。

 当時アメリカがスフェ―リャで実験を行っており、それが原因と見てフルシチョフは直ちに非難声明を出した。これに対し、アメリカ政府は「流石に時期尚早だ。ちゃんと捜査してから言及してもらいたい」と反論。

 また、この時を境に一部の人々に特殊な能力が発現したと見られており、国が因果関係解明のために調査している。一部ではこの超能力と結びつけて持論を唱えている者まで現れており、各国はその混乱を収めるために多忙を極めている。

 現在はKGBなどが事故現場の捜査に当たっており、事態を明確にしようと活動している。


 ― 一九六五年五月十五日朝刊 日皇新聞の一面の要約 ―

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