第35話 実験開始

「うーん……どうしたものか……」


 暖かく広い書記長執務室で、常装を着ているアリエチカが重い顔で戦況報告の書類を見ていた。

 開始直後に日本人民共和国の大幅な撤退に加え、日本皇国海軍に制海権の大半を奪取されている状況を鑑みて、アリエチカは追加の軍事顧問団の派遣を決定。しかしソ連東部の停電によって兵士の輸送は困難を極めている。


 懸命にも、日本人民共和国陸軍は越後山脈と関東山地を利用した防衛ラインの構築に成功。日本皇国の攻勢の流れを止めることには成功した。

 しかし十分な兵士を送り切れるまで持ちこたえるかは怪しいのが現状だ。依然日本海の制海権の回復は見込めず、航空機による輸送も考えたが費用が馬鹿にならないのと航空基地の敷地面積が足りないために断念した。


「まったく、これではいたずらに兵を死なせてしまうぞ……」


 アリエチカは万一使用することを考え、確認のために黒い固定電話の受話器を手に取る。番号をプッシュして耳に当てて相手の応答を待る。


「はい、こちらスヴォボートヌイ発射場管理長のアレクセイ・パーヴロヴィチ・アバルキナです」


 アレクセイはすぐに応答した。


「アリエチカだ。ICBM大陸間弾道ミサイルの状態はどうだ?」

「えー現在、五基が発射可能な状態にあり、一月末までには追加で二十基が発射可能な状態になります」

「了解した。戦争中は常に整備を怠るなと、整備士に伝えておいてくれ。以上だ」

「わかりました。我ら祖国の書記長に勝利あれ」


 アリエチカは受話器を置いて通話を切った。

 間髪入れずに次のダイヤルを回す。今度の電話の受信先も素早く応答した。


「こちらカリヤ・新エネルギー応用開発研究所所長ユーリ・ユーリエヴィチ・アンドロポフです」

「アリエチカだ。シュティキの整備は終わったよな? まさか一ヶ月待たせても完成していないとは言わせんぞ」

 

 顔をしかめたアリエチカはドスを含ませて受話器へ詰問する。


「先ほど、整備が完了したと報告を受けたので、私から電話をかけようと思った所存でございます」

「なら明日、列車と輸送船を手配するからそいつらを乗せてウラジオストクへ送ってくれ。その後の行動は命令が来るまで待機だ」

「わかりました。一つ要望を付け加えたいのですが、途中一駅止まらせてもよろしいでしょうか」

「構わん、好きにしろ。また別の者に電話を回させるから、その時に頼む」

「了解しました。では」


 アリエチカは受話器を勢いよく受話器を振り下ろした。

 そして黒革の回転椅子の背もたれに寄り掛かり、色鮮やかな天井を仰いだ。


「下っ端も上の奴も、戦争っていうのは嫌いなんだな」




「もうやだ、頼む、やめてくれ、頼む、頼むから……」


 窓や影すら何もない真っ白な密室は、絶えず光り続ける白い蛍光灯と、白いスピーカーからかすかに鳴り続けるホワイトノイズで満たされている。

 外部の情報が一切遮断されている環境で、真っ白な手術服を着せられている水野は精神に異常をきたしていた。床に座り込み、恐怖で震える頭を震える手で抑え込む。目は一点に定まらず、この環境から逃避するように小言を繰り返している。


 目が覚めてすぐにこの環境の異常さに気付き、拷問されていると水野は悟っていた。自身の視界を限りなく白一色に埋め尽くして精神的に追い詰め、洗いざらい吐かさせる手法を公安庁の教育課程で習ったことを思い出したのだ。


 真っ先に壁や床を壊してみたり、脱走か自殺に使えそうなものを探そうとする。しかし壁や床は堅牢な対能力者物質で構成されていて家具はトイレ以外何もなく、収容者が死なないよう徹底的に対策されていた。

 不定期に来る食事も白飯と水だけなので喉が満足に通さない。


 何より、自身の肌色と白のみで視界が彩られているので、徐々に平衡感覚が失われていく。次第にヒステリックになり、大粒の涙を流しながら扉であろう箇所に力の限り血痕が残るまで拳を叩きつけたが、無反応だった。この先自分がどうなるのかすらわからず、床に弱々しく座って現在に至る。




 何分か何時間後。

 ドアと思わしき真っ白な壁が開き、銃床を伸ばしたAKMSを構える三人の兵士が現れた。


「来い」


 一番先に入った一人はそう言って水野を無理やり立ち上がらせる。


「な、何をするんだ⁉ 放せ!! 放せぇ!!」


 生命の危機をどのような事象からも感じ取っている水野は、兵士たちが自分の命を奪いに来る死神にしか見えなかった。体をありったけの力でのたうち回らせ、四肢を存分に振るいまくる。

 しかし必死の抵抗も虚しく、手際よく目隠しをされてしまう。視界を奪われて硬直しているその隙に腕を後ろに回され、手錠と足枷で拘束される。

 水野は顔面をくしゃくしゃにしながら、涙を流してこの先に不幸がないことを心の底から祈るだけだった。


 医療用担架に乗せられ、三人の兵士と共に連行された。


 運ばれること数分、水野一行は数ある実験室の一室へ入る。

 そして拘束されたまま、実験用ベッドに降ろされて天井を向けさせられた。手足に掛けられた枷が解除されるが、新たな拘束具を四肢に取り付けられる。


「ひっ⁈」


 手の付け根にアルコールが滲み込んだ脱脂綿が拭かれた。アルコールが揮発して神経にひんやりとした感触を伝える。

 素早く誰かに麻酔針が刺され、怯えていた水野は少しずつ落ち着いていく。


「拘束を解け」


 女が許可を下すと兵士たちは手錠と足枷を解く。

 腕、足と続いて目隠しが取られる。


 水野は涙で朧気になっている目をゆっくりと開き、覗き込んでいる人物を捉えようとした。

 目に映したのは見知らぬ白い天井と、長い黒髪を下ろしながらこちらの目を覗き込んでいる女だけだ。


「怖がっているだろうね。安心して。ここは危険な場所じゃないから」


 女は冷たい細長い人差し指で水野の頬を撫でる。それが水野の恐怖感を煽り、冷や汗を掻かせる。


「私はアインス・アラーモヴナ・ライター。気軽にアインスと呼んでね」


 水野はアインスの言葉を聞かずに無理やり暴れて拘束を解いたり叫ぼうとするも、麻痺している体ではその動きも芳しくなかった。


「さ、準備に取り掛かるよ」


 白衣を着たアインスの部下が四人現れ、それぞれ水野の胴体に電極などの機器類を取り付け始めた。

 アインスも水野の上半身の手術服を脱がして胸にパットを張り付けていく。


 作業の途中、白衣の隙間から首飾りが飛び出す。一瞬アインスは気に留めたが、構わず作業を続行する。


「あ……」


 ドクロが十字架に乗ったその首飾りに、水野は八坂との会話を思い出した。




 アインスたちは水野を実験室に残して退出し、管制室で調整に取り掛かっていた。

 真空管のディスプレイが実験機材の出力や水野の健康状態を照らし出している。壁の一面には巨大なモニターが埋め込まれており、怯えている水野がフラフや数値と共に表示されている。

 それらを見て四方八方に支持を出すアインスとその部下を、天野は無言で眺めていた。


 アインスが細やかに指示を出し、部下は素早くキーボードを打鍵だけんする。ディスクトップの数値と計画資料の誤差がないことを確認してアインスへ告げた。


「数値の確認、完了しました。いつでも始められます」

「わかった。では、始めよう」


 アインスは黄色と黒の縞模様の枠の中にある、透明なプラスチックの覆いを上げた。

 その中にある赤く四角いボタンを押し込む。


「あああああああああああああああああ!!」


 一瞬のタイムラグの後、恐怖で震えていた水野が体を何度も起こしながら断末魔を上げ始めた。その悲鳴は管制室にもスピーカーを通じて響き、研究員はボリューム調整の摘みに手を伸ばして音量を下げる。

 しかしその悲痛な叫びは管制室にいる者の心には届かなかった。

 アインスは流し込んでいる時間を記録しているタイマーと水野の健康状態に傾注する。


「ああっ! がはっうっ! ぅぼぇっ! かはっかはっ!」


 水野が咳き込んで紅血を吐き出したところで、アインスはもう一度赤いボタンを押す。

 水野はがっくりと首を横に倒して痛みの潮引き時に浸かった。


「これで君は満足するのかい?」


 アインスは部下に水野の体調確認を任せ、邪魔にならないように管制室の後ろで実験の様子を眺めている天野へ歩み寄る。


「ああ。もっと苦しむ顔が見たいくらいだ」


 天野は復讐に酔う顔を隠そうともせずにありありと浮かべていた。


「アインスさんよ、あいつに腹パン一発食らわせてやりたいんだが駄目か?」

「実験に影響するかも知れないから、処分するときかデータ採取の時にでもお願いね」

「ちっ、わかったよ」


 アインスの拒否に天野は不満の顔を浮かべたが大人しく引き下がり、ぐったりしている水野の方へ目線を戻す。


「さて、もう一度流し込もうか」


 アインスは部下の順が完了するのを見計らい、再度赤いボタンを押した。水野はまた体を跳ね上がらせて、阿鼻叫喚としながら陸に揚げられた魚のように暴れる。

 それを天野が眺めてアインスの部下がデータを取り、水野が吐血して中止する。

 これを三時間ほど繰り返し行って、本日の実験は終了した。


 実験が行われている最中、水野は気絶することなくずっと覚醒状態にいた。

 何かを四肢から無理やり流し込まれている感覚と、それに対する拒絶反応。生きた心地がせず、延々と早く殺してくれと願っていた。


 動く気力もない水野は行きと同じ拘束をさせられ、白い部屋へと放り戻された。

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