第4章 No.1935
第22話 晩餐
イルクーツク時間十二月十七日午後八時二十四分。
アカツキ、リザ、玄蔵、ナランカはソ連東部の都市イルクーツク郊外にある一軒家にいた。
イルクーツクはバイカル湖から流れ出たアンガラ川とイクルート川の合流地点に面している都市だ。夏には気温三十度までしばしば上り、冬は最低気温が氷点下二十度を余裕で下回る過酷な環境。過去には日本人拘留地の一つに選ばれ、抑留者によって建設された建物が今でも残っている。
首都モスクワとはシベリア鉄道で直結していてソ連東部のあらゆる要所として機能している。ロシア正教会の大主教座や劇場などの文化施設も充実しており、街並みが美しいことから『シベリアのパリ』と呼ばるほどだ。
その郊外にある小さな車道の傍に作られた一軒家はアカツキが半日を費やして生成した建築物だった。
仲間たちの喧騒と家の照明を背にして、アカツキは静かに降っている雪を二重窓越しに眺めている。二重窓であってもガラスは氷のように冷たい。吐息を吹き掛けるとすぐに白い水玉となって水気のない窓に結露した。その向こう側は暗闇に覆われており、
「玄蔵! ちゃんと四つん這いになってなさい!」
「お前が上でグラグラするからだろ! そもそも手が届く俺に任せればいいのにさぁ……」
「何言ってんのよ! ツリーのてっぺんの星を自分で付けたいからやるんでしょうが!」
他の仲間たちは薪がパチパチと燃えている暖炉の横で早めにクリスマスツリーの飾り付けをしている最中だ。
玄蔵が不服に四つん這い状態になり、リザがその上に乗って飾り付けをしている。傍らでナランカは喜劇でも見ているかのように二人の言い合いを面白おかしく眺めていた。
「おー、届いた届いた!」
ナランカは貧しい胸の前で手を合わせて声を上げる。
「でしょ! やっぱ私って才能あるのよ!」
「は? あるわけねーじゃん、飾り付けなんてガキでもできるぞ。チビは黙っとけ」
「うっさいわね! あんたは一生私の馬にでもなってなさい!」
「よいしょっと」
そう掛け声を出すと玄蔵は上半身を起こして立ち上がる。
「うわぁあ!!」
リザは落下し、思いっ切り尻餅をついた。
「ちょっと玄蔵! 何勝手に立ってんのよ!」
「ナランカ、俺の背中に何かいたか?」
「まな板が一枚あったくらいかな?」
リザより大きいナランカは皮肉する。
「あんたたちねぇ」
「はぁ、まったく……そこまでだ」
茶番を呆れ顔で眺めていたアカツキが仲裁した。皆はアカツキの方を注視する。
「今日の晩飯当番はリザだろ? そろそろ作り始めた方がいいんじゃないのか?」
「言われなくてもわかってるわよ。不味くても文句言わないでよ」
リザはそそくさと台所へ消えた。
「ナランカと玄蔵は薪を暖炉に焚べてくれ。俺は自室にいるから。頼んだぞ」
アカツキは階段を上がって一階のリビングから二階の自室に入った。部屋は木製の机に黒革の回転椅子、それに持って来た据え置きのパソコンとラジオ以外何もない簡素な部屋だ。
アカツキはラジオの電源を点けて周波数を合わせる。ノイズ混じりにニュースキャスターが取り乱した口調で報道していた。アカツキはとうとう始まったかと思いながらその内容を聞き入る。
キャスターが話している内容は、『日本人民共和国が日本皇国へ最後通牒を渡した』ことであった。「度重なる貴国の軍事的挑発は我々日本人民共和国の国家存続を危ぶませる行為である。よって、日本時間の十二月十八日午後六時までに日本人民共和国へ我々が規定する賠償を納めなければ、武力を含めた制裁を行う」と日本人民共和国は発表した。
アリエチカは先刻、日本人民共和国への支援を表明したそうだ。武器弾薬の援助に加えて軍事顧問団を派遣するのは朝鮮戦争と同じだった。
同じく中国も既に人民志願軍を集め始めているらしい。朝鮮戦争と違って国力が疲弊しているわけではないため、恐らく戦争開始日から軍の輸送を始めるだろう。
「……なるほど。あとは開始命令が出るまでだな」
ラジオを流したまま、パソコンの電源を点けてUSBを端子に突っ込む。そしてイルクーツク風力発電所に関するデータを引っ張り出した。
アカツキたちがソ連にいる理由は開戦直後の破壊工作を行うためである。日本皇国が日本アルプスを利用して防衛しても、オカルトに思われている例の雲で脅しても、数で押し切られるのは明白だった。
そこでソ連と中国から送り出される兵士を少しでも減らすためにソ連東部と中国北東部を停電させる。そうすることで日本人民共和国の増援を遅滞させてその隙に戦線を押し上げるだけ押し上げるのが日本皇国の算段だ。
もちろん民間人も停電に巻き込まれるので、戦時国際法に反する行為である。だが戦時国際法違反など世界の半数が味方してくれればどうってことはなく、こうでもしないとアメリカ軍の援助も間に合わずに日本列島は赤化してしまうと上層部は考えていた。
そして極東の電力を賄っている電力はどこなのか。それで目を付けたのがイルクーツク風力発電所だった。
イルクーツク風力発電所はソ連東部全体を賄っていると言っても過言ではないほどの発電量を誇る。周囲数キロはタイガごと進入禁止区域に指定され、鉄条網と電流フェンスで仕切られている。
電力の流れとしては、西側のエーテルで発電した電力がソ連を横断するようにして建てられた送電鉄塔を通じてイルクーツク風力発電所に運ばれてくる。そして風力で発電した電力を足して変電施設を通過し、極東へ伸びる送電鉄塔と中国へ伸びる送電鉄塔へ二分するのだ。
なぜ、中国へ電線が伸びるのか。それはこれまで同じ社会主義陣営同士で険悪だった中国と和解するため、アリエチカが取引道具として不法に占拠した領土の返還に電力の割安販売、兵器の貸出・輸出を提案したのだ。中国共産党党首
そのような背景があるので、アカツキたちはイルクーツク風力発電所を襲撃するのだ。
アカツキは前々から不審に思っていた、日本皇国がハッキングに成功した書類を画面に浮かび上がらせる。
『オラクル移送計画表』と書かれたそのデータは、一週間後のクリスマスイブにイルクーツク風力発電所からカリヤ・新エーテル応用開発研究所へ移送される旨が書かれていた。自身の見解ではあるが、この『オラクル』という文面から推測するにして単数の生物がイルクーツク風力発電所の発電量の源だと考えていた。
もちろん、そうでないかもしれない。しかしアカツキは過去に一度だけ見た、あの化け物のような奴ならば可能なのかもしれないと踏んでいた。
何度も読んだその資料を閉じる。発電所の情報に矛盾点や漏れがないか、ラジオを右から左へ流しながら他の資料を開いて何度も確認した。
「アカツキ、ご飯だぞ」
玄蔵が部屋の扉を開けて声を掛ける。アカツキは時間を忘れて一時間ほどデスクトップに張り付いていた。
「そうか。今行く」
素早くログアウトし、回転椅子から立ち上がってリビングへ向かう。
リビングではリザとしかめっ面をしているナランカが先に夕食を食べている。テーブルには牛肉の薄切りを発酵乳で和えたビーフストロガノフとロールキャベツに米を入れたものにトマトソースが掛けられているガルブツィーという料理が大皿に盛られていた。全員の席の前にはボルシチと黒パンに食器と取皿がランチョンマットの上に用意されている。
アカツキと玄蔵は席に着いて料理に手を出す。
最初に玄蔵はボルシチを啜った。途端にナランカと同様のしかめっ面をした。アカツキは真顔のまま黙々とリザの料理を食べる。
「何よ玄蔵。そんな顔するほど私の料理が美味しいってわけ?」
「ちげーよ、不味いんだよ」
「それはあんたの舌が狂ってんのよ。ナランカ、私の料理美味しいでしょ?」
「いや、こればかりはその……擁護できない」
「は、はぁ? ちょっと? ね、ねね、アカツキはどうなのよ?」
黙々と無表情で次々に料理に手を出しているアカツキに問う。
「美味いんじゃね? 貧乏舌だけど」
「……え? 待ってよ? 嘘でしょ?」
リザは料理の腕前が絶無な事実を突き付けられて失望する。
実際、不味いのだ。塩や水の分量、調理時間を感覚で入れているリザは味付けの才能が皆無だった。体内時計はそれなりに正確なので煮込みや焼きで形が崩れることはない。よって、見栄えは良くても味が異様に塩っぱかったり油濃かったりするのだ。
無論、調理途中で味見はしている。しかし『自分の料理は絶対に美味い』というスパイスがリザの味覚を狂わせてしまっているのだ。
その結果、皆の反応がこれである。
「それはさて置き、日本人民共和国が日本皇国に最後通牒を渡してきたぞ」
三人は表情を変えずにその知らせを聞いた。なぜなら、ナランカと玄蔵が暇になってテレビをつけるとニュースでそのことが報道されていたからだ。それに加えて、ソ連に入国してから各々は既に覚悟を決めていた。
「日本時間で明日の六時までに賠償しないと武力を含めた制裁を行うそうだ」
「でも皇国は応じないでしょ?」
ナランカが確認する。
「当り前だろ。てなわけだ。飯を食い終わったらいつでも出られるよう準備してくれ。朝っぱらから出るかもしれないからな」
「「「了解」」」
三人は返事をし、玄蔵とナランカはすぐに「ごちそうさま」という。そのまま各々の皿を台所に置いて自分たちは自室へ向かった。
テーブルには大きく失望するリザと黙々と食べ続けるアカツキ、そして俯瞰的に見て不味い料理が残されたのだ。
そして二日後。
一軒家に併設されている郵便受けに一通の命令書が届いた。その内容に従い、十二月二十日に向けて各々は準備を始める。
イルクーツク風力発電所にある地下深くの廊下で、金髪の男の軍人が軍靴を鳴らしながら歩いていた。濃緑色の常装には年齢に相応しくないほど金枠が煌めく様々な勲章が掛けられていて身長は百八十センチを優に超える。顔は若々しく年相応ではない威厳を逞しい体躯から放っていた。
廊下の突き当たりにある『特別収容室』の前で足を止める。男は武装した兵士二人に電子ロック式のスライドドアを開錠してもらい、扉の先にある指紋確認やX線検査などの厳重なセキュリティチェックを受けた。本人と安全を確認された男は厚さ十センチの対能力金庫扉を跨ぐ。
その先はほどよい光量で満ちた真っ白い面会室だった。書斎部屋ほどの大きさで真ん中には鉄製のパイプ椅子が一つだけ置かれている。椅子が向いている先には、姫様が住むような白い部屋の間取りをした空間が対能力アクリル板によって隔離されていた。
その向こう側に男の目的である思春期頃の女が、
「今日も体調は万全そうですね」
白いドレスに長く綺麗な白髪、豊満な胸を持つ女へ紳士的に話し掛ける。
「うん。毎日面会ありがとね、ミハイルさん」
ベッドの上にぺたん座りをしながら女は礼をする。
「あなたはずっとここにいるのですから、一人では寂しいでしょう」
「うん、お陰様でミハイルさんが来てくれているから毎日が楽しいよ」
「いえいえ、あなたが気にする必要もないですよ。私は好きにやっているので。何か困っていることはありませんか?」
ミハイルは女に何か異常はないか確認する。それは残虐な研究者を炙り出すための日課となっていた。
「大丈夫だよ」
「それは良かった。では、いつものように雑談しましょう」
二人は談笑し始めた。内容はよくある日常的な会話で、時には頷き合い、時にはミハイルの愚痴を女が聞き、時には二人で笑い合った。
「そろそろ就寝の時間ですよ」
二人の空間に水を差すように、監視室にいる研究員の声が頭上のスピーカーから鳴り響く。
「おや、もうこんな時間か」
「明日もお喋りすればいいよ」
「そうですね」
ミハイルは立ち上がり、分厚いドアの前まで歩く。
「ミハイルさん、お休みなさい」
「お休みなさい」
ミハイルはゆっくりとドアを閉める。それを確認した後、自動消灯が合図となって女は布団に入り、眠りについた。
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