第11話 これから(1)――三人連れの虎の亜人――
※時系列は本編後。
想いが通じ合った寧々子とスーリヤだが、二人の前には重大な問題がある。
――この世界では、人間と亜人が想い合うことは禁忌とされている、ということだ。
寧々子とスーリヤが同居していることでさえ、タウシャン村の人々以外にはあまり歓迎されていなかったのだから、こうなったことを知られたらとんでもないことになるのではと、この世界の常識とやらを未だ把握しきれていない寧々子でも理解出来る。
このことは隠し通した方が良いのだろうか、とも思ったのだけれどコソコソするのは寧々子の性に合わないし、「どのみち、お前についた俺の匂いで村人には知られてしまう」とスーリヤに言われた。
――どうせ明るみに出てしまうのであれば、堂々と白状した方がいっそ潔いのでは。そんな結論に達した二人は、村を追われることを覚悟した上で村長の許へと相談をしに向かった――ら。
「おやまあ。お前さんたち、やーっとくっついたの?」
寧々子が”ムスタファーおじいちゃん”と呼んで慕っている村長が、色褪せた黒い兎の耳をぴこぴこと動かしながら、皺の多い顔でくしゃっと笑った。そんな返しをされるとは思っていなかった二人が呆気にとられていると、ムスタファーはしみじみと何かを思い出すような仕草をとる。
「全く、二人ともイイ年して……初恋でもじもじしている若造を見ているようで、物凄くやきもきしたんだよ?あ、言っておくけどワシだけじゃないからね、そんな思いしたのは」
村人たちの殆どには二人が互いを互いに想い合っているのだと、想われていたらしい。気付いていなかったのは、寧々子とスーリヤたちだけのようだ。
「まあ、ことがことだから仕方がないのだけれどねぇ……」
ムスタファーや村人たちも、スーリヤと同様に”禁忌とされていること”を知っている。それでも仲良く同居している二人を見ていたり、亜人だらけの村で一人頑張る人間の寧々子と接しているうちに、人間と亜人が想い合ってもおかしくはないのかもしれないと思い始めたのだと、ムスタファーは語ってくれた。
「何てことをしてしまったんだ!」と罵倒されたりするのではないかと想像していたのだが、それは大きく外れた。此方が心配になるほどあっさりと認められてしまったことに、正直、拍子抜けする。
勿論、全てが全て上手くいっている訳ではない。タウシャン村の人々は概ね二人のことを理解してくれているようだが、そうではない人たちも確かに存在している。村を訪れる人間や亜人たちや、この村以外の人々の中には、世の因習をガチガチに守っている者もいるので、そのことは念頭に置いておくようにと言われた。
そこで初めて、寧々子は思い知った。薄々は感じていた、人間と亜人の間には見えない深い溝があることを。だが、その溝は根深くて、そう簡単には拭い去れない代物なのだということまでは理解出来ていなくて。
人間と番えば周囲から白い目を向けられることを理解していて、それでも最終的には折れて、寧々子の気持ちに応えてくれたスーリヤのことを思うと、寧々子は胸が苦しくなった。
人間は人間と、亜人は亜人と番うのが常識だとスーリヤは教えてくれていたのに、寧々子は理解しなかった。そのことが今になって、後悔となって胸に突き刺さってくる。
だけど、スーリヤと思いを交わせたことには後悔していない。相反する気持ちが胸の中を支配して、もどかしく感じる。
――ムスタファーへの相談を終えた二人は帰路に着く。
ずっと沈黙を保っていた寧々子は、居間の絨毯の上に腰をおろしたスーリヤに勢い良く抱きついた。中腰の不安定な姿勢なので、スーリヤがそっと寧々子を抱き上げて、胡坐をかいた膝の上に膝立ちさせてくれた。
「……スー、ありがとう」
今まで築き上げてきたものを全て失うことになるのが分かっているのに、自分を選んでくれて。
「そうさせてしまってごめんね」と言うのは彼に失礼な気がするし、自分に酔っている感が否めなかったので、出かかったそれは喉の奥に引っ込める。
「……どうした、いきなり」
太い首に確りと腕を巻きつけてしがみついてくる寧々子の背を、スーリヤの大きな掌が優しく撫でてくる。
「……言いたくなったから、言ったの」
「……あっそ」
素っ気無い態度をとる彼の頬に両手を添えて此方に向けさせて、寧々子はそっと唇を重ねる。軽く触れるだけのつもりだったそれは、離れようとする前に首の後ろに手を添えられて、深いキスに変更させられた。
――それからの日々はというと。概ねいつも通りだった。
村長のムスタファーが寧々子とスーリヤの味方についている、という事実はなかなかの効力を持っているらしく、面と向かって非難されることはない。ただ、陰口は態と聞こえるように叩かれたけれど。
スーリヤの方はというと、バイェーズィートとの関係は今まで通りらしくて仕事に支障は出ていないと言っていたので、寧々子はほっと息を吐いた。
(今は分かって貰えなくても、いつか分かって貰えたら良いな)
味方が全くいない訳ではないし、状況があからさまに一変してしまった訳でもない。自分は運が良いなぁ、と、寧々子はしみじみと実感している。
多少の不便くらい何でもない。今までだって数ある不便を何とか克服出来てきたのだから、これからも何とかやっていけるだろうと、前向きに考える。それが寧々子の取り得だから。
**********
あれから一月ほど経過した頃。
寧々子は仲良しの
太陽の位置から察するにそろそろお昼の時間なので、お昼御飯を作らなければならない。バイェーズィートの所で打ち合わせをしているスーリヤも帰ってくるだろうから、気合を入れて沢山作らなければ。
「じゃあね、ネネ」
「うん、またね、ヤセミーン」
ヤセミーンと別れ、大きな荷物を抱えて家の中へ入った寧々子は台所へ向かう。お昼御飯は何を作ろうかな、なんて
考え事をしながら、荷解きをしていく。
昨日沢山作った野菜のオリーブオイル煮は味が馴染んで美味しくなっているだろうから、出しておこう。貯蓄してある豆はスープにでもして、自家製ヨーグルトを使ったソースをかける肉料理も作ろうか。それから、具入りのパンも作りたい。
「あちゃー、卵きらしてるし。……ヤセミーンのお家に分けて貰いに行くかぁ」
彼女の家は養鶏をしているので、ちょくちょくお世話になっている。卵のお返しとして、朝に作り置きしておいたお菓子を持っていこう。おやつにでもして貰えると嬉しい。
皿の上に彼女の家族の人数分のお菓子を乗せて布巾を被せ、小さな籠も持ってお隣へ。
「こんにちは~」
「どうしたの、ネネ?さっき別れたばかりじゃない」
「あら、いらっしゃい、ネネ」
「こんにちは、ギュルさん。ちょっとお願いがありまして……」
ヤセミーンと一緒に顔を出したギュル夫人に事情を話すと快く卵を分けて頂けたので、御礼にお菓子を渡すと喜ばれた。
(よし、卵ゲット!早く御飯作らなくちゃ)
意気揚々と家に戻ろうとした時、向こう側から巨人族――失礼、とてつもなく背の高い方々が歩いてくるのが見えたので寧々子は驚いて目を見開いた。
(うわぁ!
隊商や旅行者が立ち寄ることが多いタウシャン村では、様々な亜人を見かけることが出来る。だが、スーリヤと同じ
何でも、南の方の湿地や森に住んでいる彼らは閉鎖的で、流れの傭兵や護衛などにならない限りは里から出てこないのだと、自称スーリヤの大親友バイェーズィートが教えてくれた。
(一人はホワイトタイガーだし!
その場でじろじろと不躾に眺めていると、黒地のサリーを着た女性が此方に気が付き、目が合った。鋭い虎の目に射抜かれた寧々子は身を強張らせ、その場に立ち尽くす。何故だか、目が逸らせなかった。
何だろう、熊牧場の強化硝子越しに羆と目が合ってしまった時のようだ。違うな、蛇に睨まれた蛙の気分、だろうか。呆然としていると、彼女たちは寧々子の目の前まで距離を詰めていた。そして、ふっと目の前が翳る。その女性が身を屈めて、寧々子の顔を覗き込んできたのだ。
(あれ?この人の顔……誰かに似てる気がする……)
鋭い虎の目に、無表情にも近い浅黒い肌の顔に見覚えがある。だが、この人物とは初対面のはずだ。何故、そう思うのだろう?
「こ、こんにちは……?」
いつまでも黙ったままでは失礼なので、一先ず寧々子が挨拶をすると、誰かに良く似ているその女性が目を細めて、にやりと口角を上げた。
『……この人間のお嬢ちゃんから、愚息その1の濃い匂いがする』
寧々子やタウシャン村の住人たちが使っている言葉とは違うので、何を言われているのかは分からない。ただ、その仕草で瞬時に理解出来た。
――彼女は、スーリヤによく似ている。然し、男性とも女性とも区別のつけ難い低く掠れた声なので、よく観察してみると女性にしては肩幅があって、がっしりとした体格をしているので、寧々子の脳裏にまさかの考えが思い浮かぶ。
「……スー、何で女装してんの?」
「……してねぇよ」
漸く言葉を発せられたと思ったら、後ろから呆れたような声が聞こえたので急いで振り返る。いつの間にか帰ってきていたらしいスーリヤが、眉間に皺を寄せ、腕を組んで仁王立ちをしていた。
見比べてみると、黒地のサリーの女性の方がスーリヤより頭半分くらい身長が低かった。何だ、別人か。良かった。
「……ネネ、腹減った。先に家の中に入れ」
「あ、うん……」
スーリヤにそう促されたので、寧々子は彼らに向けて会釈をすると足早に家の中に入っていく。
(……スー、何だか怖かった……)
口調は普段通りだったのだけれど、鋭いだけの虎の目に敵意が潜んでいるように見えて。大変なことにならなければ良いと願いながら、中断していた昼食の準備を再開する。
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