閑話 宿屋の看板娘シェリーは察する
宿屋の仕事は両親に任せ、意気込んでお見舞いに来たものの、チヨの容態が悪いわけではないので私はだいぶヒマになってしまった。
チヨの顔をこの目でみるまでは心配したけれど、この様子なら今日か明日には当たり前のように目を覚ますのではないかと思う。
こんなにのんびりできることもめったにないので、時折チヨに変化がないか確認しながら、私はポーラさんに淹れてもらった香り豊かな紅茶を楽しみつつ、前々から気になっていた小説を読み始めた。
ポーラさんは私のことなんて知らないはずなのに、紅茶の味や温度も、数冊選んで持ってきてくれた本も、驚くほど私好みだった。これがチヨの言っていた凄腕ということなら確かにすごいわ。
思いがけず小説に熱中してしまい、少し体を伸ばそうかと本をテーブルに置いたとき、部屋のドアを少しだけ開けて、隙間からこちらを覗こうとしている四つの小さな目が見えた。
すぐに誰なのかを察し、慎重に声をかけてみる。あの子たちは人見知りレベルがとんでもないことを知っているからだ。最近はだいぶ改善されたとチヨから聞いているけれど。
「こんにちは。チヨのお見舞いに来たのかな?えっと、エミール君とブレント君だったよね?」
「「……!!」」
ふたりは気付かれているとは思いもしなかったようで、同時に後ずさった。しまった、驚かせたか。
どうしよう、とか、ばれちゃった!とか、ふたりでこそこそ相談しているのが聞こえる。可愛いなあ。
「私、街の宿屋のシェリーよ。前にうちで会ったことあるでしょ?大丈夫だから入っておいで~」
なるべく優しい声を心がけて話しかけると、ふたりは少し迷う素振りを見せてから、恐る恐るドアを開けて入ってきた。知らない人がいる緊張より、チヨのそばに来たいという気持ちが大きかったのだと思う。
私はふたりがチヨのベッドに近付きやすいように、椅子から立ち上がって窓際へと移動した。
ふたりは私との距離を保ちながら入ってきた。そしてふたりとも大切そうにお腹の前でピンク色の何かを抱えていた。
「その色は、ポンムの実かな?チヨのお見舞いに持ってきてくれたの?」
コクコクとふたりが頷くと、くるくるの金髪が揺れてとても微笑ましい。
さすがに寝ているチヨは食べられないけれど、起きたらすぐに気付けるように、テーブルの上に置くようにアドバイスした。
「おいしそうなポンムね。チヨも起きたらきっと喜ぶわよ。でも、こんな大きなポンムの実は珍しいわねえ」
話しかけると、少し緊張が解けてきたのか、弟の方、ブレントが返事をしてくれた。やんちゃな男の子だと聞いているけれど、チヨの顔を心配そうに背伸びして覗き込む様子から、本当にチヨを慕っているのが分かる。
「うん。これ、きのうチヨがつくったポンムで、おいしかったから、チヨにもたべてほしくって…」
「ん?チヨがつくったポンム?」
ちょっと意味が分からなかったので聞き返すと、ブレントは口を両手で抑えて「やばっ」という顔をして、兄エミールに目で助けを求めている。
「(ブレントのばか!それ言っちゃダメってとーちゃに言われてたのにっ!)」
「(だって~!)」
ふたりは内緒話をしているつもりのようだけど、ばっちり聞こえている。
…チヨが作ったポンム。お父さんはストフさんのことだから、つまりストフさんに口止めされたってこと?
昨日ベビーシッターのために出かけたときにチヨがわざわざポンムを買ってこのお宅に来たとは考え辛い。果物屋さんは街の反対側だし、確か昨日チヨは出かける前に宿のお客さんと話し込みすぎて遅刻しそうになって、慌てて出かけていったのだから。
ということは、ブレントがうっかりこぼした「チヨが作った」というのは、言葉どおり、チヨがポンムの実を生み出したということ…?
あれ、そういえば前にチヨが、この家の裏庭には、幹に手を回しても届かないくらいすごく立派なポンムの木があるって話していたような…
私には、なんとなく答えが見えた気がした。大きなポンムの木、倒れたチヨ、そしてストフさんはそれを秘密にしようとした…ということは…
「失礼するよ。エミール、ブレント、ここにいたのか!かくれんぼは一階が範囲だと言ったのに…。シェリーさん、チヨリのお見舞いに来ていただいたのに挨拶もできずすまなかった」
タイミングよくストフさんが疲れた顔をしてやって来た。すでにドアが開いていたのでノックと同時に声をかけられた。どうやらこの兄弟は遊びの途中でストフさんの目を盗んでこの部屋に来たらしい。
「いえ、こちらこそお邪魔しております。いつもチヨが本当にお世話になってます。今回もご迷惑をおかけしてすみませんでした。…それで、ストフさん、少しおうかがいしたいことがあるんですけど…」
これはもしかして…もしかするのかもしれない。ストフさんに確かめねば。
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