第二章 はじめての仕事、新たな歌

第一話 子守はつらいよ

「こーらーーー!ブレント!今は静かに本を読む時間でしょう!」


「べーーーだ!」


「ああ、もう!走らないで!せっかくルチアが寝そうなのに!」



 ストフさんのお宅では、今日も私と子どもたちの賑やかな声が響いている。


 「賑やか」と言えば聞こえは良いけれど、半分は私が怒っているだけな気がする。世間のワンオペで頑張る保護者の皆さまに比べたら、たった半日だけの子守なんて可愛いものなんだろうけれど、毎日ヘトヘトだ。世界中のママさんパパさんの偉大さを知った。


 最初は人見知りもあって多少の遠慮が見られた子どもたちも、あれから二週間も経てばすっかり私に懐き、次男のブレントに至っては懐くを通り越して私をなめてかかってくるのでついつい大人げなく本気で喧嘩もしてしまう。

 あの子は私を怒らせて楽しんでいる節がある。大好物のお菓子を食べているときと眠っているときだけは可愛いんだけどな。



 長男のエミールは、日々はしゃぎ暴れまわる弟と、一度泣いたら手が付けられない妹のお世話をしなければという意識があるようで、健気に私のお手伝いをしてくれる。

 しかし彼だってまだ五歳。自分だって遊びたいときはあるし、弟妹がハチャメチャなときには泣きたくもなる。エミールは感情がキャパオーバーになると突然泣き出すのだけど、最初のうちはそこの限界ラインがよく分からず、何度か大泣きさせてしまった。


 段々私も距離感がつかめてきて、エミールの気持ちも察することができるようになってきた。お兄ちゃんだからという責任感もあってうまく大人に甘えられない不器用な子なのだ。だからこそ、下の二人が昼寝に入ったときには、エミールの好きな遊びに付き合ったり、お喋りをしたりする時間に充てている。


 末っ子のルチアは天使。もうね、本当に天使。異論は認めない。この子に関してはまだ一歳の赤ちゃんで、寝ていても起きていても泣いていても、ただただ可愛い。

 いつも私がストフさんの家の呼び鈴を鳴らすと、玄関まで全力ハイハイで出迎えに来てくれる。


「ルチア、こんにちは!」


「チー!あーーー!」


 言葉にはなっていないけれど、大きく私に向かって手を広げ、抱っこしろと主張をする。ルチアの歓迎を受けると私はついデレデレしてしまう。抱き上げると赤ちゃん特有の香りとポカポカした温かさで、なんだか幸せな気持ちになってしまうのだ。


 泣き出したら一番収拾がつかないのがルチアなので、ストフさんはいちばん手を焼いていたけれど、私が歌うと泣き止んでくれるし、すんなりお昼寝もしてくれるので、私にとってはただただ可愛い天使にしか見えない。


 最近では次男ブレントの背中にいたずら好きの小悪魔の羽が見えるから、余計にそう思ってしまうのかもしれないけどね。これでルチアが二足歩行をマスターして口も達者になってきたらまた手のかかり方が違うんだろうな。



 ただ、子どもたちがそれぞれどこか精神的に不安定なのは確かで、それはお母さんが急に亡くなってしまったことが一因なんだと思う。


 ストフさんは子どもたちにうまく説明ができなかったのか、ブレントとエミールはお母さんが戻って来ないことを理解できていないようで、それが見ていて余計に悲しい気持ちになってしまう。


「ねー、とーちゃ。ママどこ行ったのー?会いたいよ~」


「…ごめんね、ブレント。ママは遠い所へ行っちゃったんだ…」


「ちぇー。早く帰ってくればいいのにな~」


 ブレントとストフさんのこんな会話は数日おきに繰り返されていて、私まで胸が苦しくなる。エミールはお兄ちゃんだからストフさんを困らせちゃダメだと思っているようで、こういう質問はしないけど、その代わりに泣いてしまうときにはいつも大声でママを呼んでいて、やはり淋しいのだと理解する。


 ルチアは赤ちゃんだから理解も何もないだろうけれど、お母さんがいたときにはあれほどひどい泣き方はしなかったそうだから、やっぱり異変は感じ取っているんだと思う。


 そしてそんな幼い子ども三人を抱えて急に奥さんを亡くしてしまったストフさんは、どれほど辛かっただろう。私がお手伝いをすることで少しでもこの一家が心穏やかに暮らせるのなら、出来る限り助けてあげたいと思っている。




「チヨリ、いつもありがとう。ちょっと休憩しない?」


 今日は子どもたちが全員昼寝に入ってしまい、簡単に部屋の片付けをしていたら、ストフさんに声をかけられた。


 子守歌でルチアを昼寝へと誘い、追いかけっこの末にブレントは電池切れで爆睡、その後は一緒に本を読んでいたエミールもポカポカ陽気で心地よくなったのか眠ってしまったのだ。


 ストフさんのお宅は全部で十部屋ほどもある大きなお屋敷で、私が子どもたちを相手している午後の時間帯にはストフさんは執務室で仕事をしている。

 本来は兵舎に勤めていると言っていたので仕事は兵士なんだと思うけれど、家の事情から、今は特別に家で出来る仕事だけ持ち帰らせてもらっているんだって。


 もちろん、時々心配して子どもたちと私の様子を見に来てくれるし、私が疲れすぎないよう、ブレントが大暴れしているときには助けにも来てくれる。

 仕事以外にもこの世界の言葉を勉強中の私が読めそうな本を貸してくれたり、他にも何かと気遣ってくれたりして、とても良い雇い主だと思う。日本で働いていたときの横暴上司にはぜひストフさんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。



「本当は子どもたちの世話だけでも十分なのに、片付けまでさせてしまってすまない」


「いえいえ、良いんですよ!大したことはしてませんし、子どもたちと一緒に散らかしちゃったのは私のせいでもありますから」


 ストフさんが淹れてくれたコーヒーを味わいながらゆっくりといただく。そう、この世界にもコーヒーは存在していた。エスプレッソ的なものはないようだけど、粗目に粉をひいたドリップコーヒーは一部の貴族を中心に嗜好品として人気があるらしい。


 食事の支度や掃除はメイドさんに任せているんだけど、コーヒーだけはストフさんのこだわりが強く、いつも自分でハンドドリップで淹れているんだって。


 昔からコーヒーを愛飲していた私としては、ご相伴に預かれると非常に嬉しい。

 こだわりが強いならブラックで飲まなきゃ失礼かなとも思ったけれど、最初にミルクを多めにいれたコーヒーが好きだと伝えて以来、ストフさんはいつも私の分は温かいカフェオレを用意してくれる。


 外見が彫刻並みに美しいだけじゃなくて使用人への気配りまで完璧とか、どれだけ出来た人なんだろうと思う。たぶん仕事も出来るんだろうな、こういう人は。それに子どもたちへの態度を見ていると、きっと奥様のことも大切にしていたんだろうなと想像できる。


「チヨリが来てくれてから本当に助かっているよ。子どもたちも少しずつ気持ちが落ち着いてきたのか、夜も以前よりしっかりと寝てくれるようになったし、ルチアとブレントの大泣きもかなり改善されたんだ。全部チヨリのおかげだよ。本当にありがとう」


 ストフさんは子どもたちと同じ綺麗な青い目を柔らかく細めて美しく笑った。出会った頃と比べて健康を取り戻したストフさんは、顔にも血の気が戻り、外見だけならまさしくおとぎ話や少女漫画に登場する王子様のようだと思う。とても三人の子持ちには見えない。


 出会ったときは睡眠不足がピークで、食事もとにかく子どもたちに食べさせるのに必死で、自分のごはんはほとんど食べる余裕がなかったそうだ。そりゃあいくら綺麗な人でも死神化するわけだ。


 そして、ストフさんは最初は私のことを「チヨさん」と呼んでいたけれど、私が雇われる側なのにさん付けはおかしいと言ったら、「チヨリ」と呼び捨てで呼ぶようになった。

 シェリーやバルドさんには何度教えても「チヨルィ」みたいになってしまって諦めたんだけど、ストフさんは「リ」の音がすんなり発音できた。なんでも、この国から五つほど離れた国の言語では存在する音なんだって。


 私としても子どもの頃から愛着のある名前なので、ちゃんと呼んでもらえることは嬉しい。異世界でも私は私、千縒ちよりという人間なのだと実感できるような気がして。



「それで、そろそろちゃんと説明した方が良いかと思ったんだけど…」


「?」


「子どもたちの母親のことだよ。チヨリもたまにブレントに聞かれたりエミールに泣かれたりして困ってたでしょ?」


「それは…確かに」


「本当に迷惑をかけて申し訳ないと思ってるんだ。この子たちの母親は………」


 私に説明しようと口を開きかけたものの、ストフさんは言い辛そうに眉根を寄せた。エミールやブレントの発言から、子どもたちがお母さんのことを大好きだったことは分かっているし、ストフさんとしてもまだ思い出す度に苦しいのかもしれない。


「…良いんですよ、ストフさん。無理に話さなくても。私もストフさんと同じように伝えますから。“お母さんは遠くへ行っちゃったけど、いつもあなたたちのことを想っているよ”って。それで良いんですよね?」


「…あ、ああ。…でも…」


 ストフさんが何かを言いかけたところで、ルチアの眠るベッドから元気な泣き声が響いた。


「ふふ、お姫様がお目覚めですね。私、行きますね!コーヒーごちそうさまでした」


「…ああ。ありがとう。ルチアを頼む」


 ルチアの泣き声を合図に、エミールとブレントも昼寝から目覚めたので、気合を入れ直す。子どもたちの相手はいつも体力勝負なのだ。


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